第4話 リトル半沢直樹 一刺しで散る その4
昇格がないと悟ったヤスオはある意味吹っ切れた思いを感じた。組織において理不尽なことは数あるが、なかなかそれに抗うことは難しい。誰もが不承不承自分を押し殺してものだ。そして赤ちょうちんで酒を飲んでくだを巻く。出世のレールを外れたことにより窮屈な世界から解放され自由を得た気持ちはあった。
Eサービス社では終わりなきリストラが続いていた。F社のクレジットカード事務センター運用を受託するにあたり、社内から人をかき集めただけではなく、キャリア採用で多くの人材を抱えた。スタート時は業務量は右肩上がりであった。クレジットカード業界全体が成長するなか、F社は中小のクレジットカード会社の運用を請負し、業務規模を拡大させていたからである。しかし、請け負ったクレジットカード会社において当初はカード会員が一気に増加するものの、やがて新規会員の増加は落ち着いてくる。国民一人ひとりが3枚以上のクレジットカードを保有するようになると飽和状態になってくる。スタート当初にクレームの山を築いた某携帯電話会社のクレジットカードも、5年ほど経過して業務が安定してくると、業務委託をやめて自社運用に切り替えるという。また、世の中全体にインターネットが普及してくるとネットでの手続きが増えて紙の申込書や届けは減り事務量の減少につながった。そういう背景があって、Eサービス社では業務量は業務開始3年目をピークにそこから毎年下がり続ける状況となった。要員がコストとなり利益を圧迫し、やがて赤字体質に転じた。
数百名の人員の半数を閉める派遣社員は、3ヶ月の契約更新ごとに契約が打ち切られた。右肩上がりの時代は歓迎会続きで大所帯になったが、今度は送別会が続くようになった。だれから契約が切られるのか?息苦しい雰囲気が職場を覆う。幹部から人選を迫られるときの現場責任者はつらい。仕事が忙しく苦しい時は彼女たちにさんざん無理をお願いして残業に協力してもらったものだ。それに、ひとの能力や業務上の貢献は一様ではない。手は遅くても丁寧だったり、周囲への気配りができるチームに欠かせない存在もある。あるいはシングルマザーで子育てに奮闘しているというプライベート事情もある。派遣切りは現場で一緒に働くものにとってつらい現実であった。そして人件費がより高額な社員は異動対象となった。Eサービス社内には受け入れ先はなかなかみつからないので、多くはメガバンクの関連会社への出向となった。
経営の目的が永続的な利益の追求にあり売上が確保できない以上は、コストカットは避けられない。しかしEサービス社のリストラの進め方は、現場での引継ぎやバランスを全く配慮しない、一方的かつ強引なやり方だった。異動や出向は受け入れ先が見つかり次第即実行される。残った要員で業務が遂行できるかのシミュレーションなく、決定事項として現場に通達された。その結果、業務運営を担う社員には負荷がどんどん積み重なった。残業増加はもちろん、休暇をとれない、昼休憩を削ることを余儀なくされていく。一方、会社に対して労働基準監督署からの指導もあり残業規制もかかる。一人あたり業務量が増加する中で残業削減令の圧力も強くなり、残業が多い社員は”生産性が低い”という評価で肩身が狭い思いに耐えなければならない。申告されない隠れ残業、サービス残業が水面下で増える。業務運営体制が維持できないリストラはミスやトラブル発生にもつながる。表に現れるミスでだけではなく、ヒヤリハットも増加する、するとその対策のためにチェック作業が増やされて、現場の負担がますます増加するという悪循環にもつながった。
役員や部長連中の参加する幹部会議に事務局として参加するヤスオはそのような状況下で現場の声を全く聴かずに、ただ数字のみを追求し、そのために中間管理職に圧力だけを掛け続ける役員の姿勢を苦々しくみていた。要員数は業務量に比例するわけでわけではなく、業務運営のための最低必要工数がある。それを調査実績をもとに進言したが考慮はされなかった。昼休憩をとることもできず、おにぎり片手に仕事をおこなっているという現場の声も聞く耳は持たなかった。会社として取引先の対して単価改善の交渉を行うわけでもなく、現場だけにしわ寄せが押し付けされた。
ハリモトというその役員はヤスオと同年代。メガバンクの孫会社であるEサービス社の役員は銀行からの天下りで占められていたが、彼だけは生え抜きのプロ−パー社員であった。高卒の彼はブルドーザーのような力技で営業実績を上げてきた人物であり、理論よりは声の大きさだけで周囲を動かしてきた。性格が地味ながらマネジメント理論に基づきコトを進めるヤスオとは対象的な人物であった。メガバンクの孫会社となると天下りする銀行員にもそれほどの切れ者はいない。数年間の任期を無事に終えることだけを考える事なかれ主義に染まった連中であり、威圧感のあるハリモトを制するものはEサービス社にはいなかった。ハリモトは業績維持のために部員に辛苦を押し付ける一方で、社内では敵なしの傍若無人の振る舞いであった。人事という甘い餌で手なづけた人材で役周囲を固めながら、彼に意見するものは容赦なく叩き潰した。自分の意見を言うヤスオを意地でも昇進させなかったのも彼の一存である。ハリモトとその取り巻きは”ファミリー”と社員に呼ばれていた。仕事帰りの呑み屋だけではなく、夏休みにはファミリーで旅行し、正月には揃って宴を催した。ファミリーのなかには役職者に登用された女子社員もいて、毎度の旅行にも同行していることは社員は冷めた目でみていた。社員の多くは反発心を感じていたが、組織のなかで人事権を握られている以上、ファミリーには何も言えなかった。
あるとき事務ミスが原因で重大トラブルが発生した。半日以内に中間報告をまとめるため、すぐに調査に取りかかる必要があった。品質管理を担当するヤスオはすぐに調査に着手したかったが、感情的になったハリモトは、電話会議でただ単にヤスオを叱責し罵倒した。ヤスオは「そんなことはどうでもいい、時間がないから電話会議は終了します」と言って電話会議を打ち切った。「この野郎、見ていろ・・・」というハリモトの唸りがスピーカから消えた。それがハリモトとヤスオの対決の始まりであった。社員の大半はハリモトに批判的で、彼らの悪い情報はいろいろ寄せられていた。そのなかで請求の水増しにヤスオは気付いた。ハリモトの管轄の第一事業部はクレジットカードF社の業務、第二事業部はメガバンクの業務を請け負っていた。第一事業部は赤字でリストラ中である一方、第二事業部は比較的余裕はあった。第二事業部に所属しながら、応援で第一事業部で働く複数名の要員が第一事業部と第二事業部の請求書の工数内訳に二重に記されていた。第二事業部の事務員から請求書とその根拠となる工数表を入手した。資料の提供に皆協力的だった。「あいつを何とか痛い目にあわせてやって」と激励された。
ハリモトは私腹を肥やしていたわけではない。ただし自部門の業績をよく見せるために手段を選ばない姿勢には嫌悪感を覚えた。自部門の業績をよくすることは彼の個人的成績に直結することだからである。彼の仕事ぶりや言動から社長に対していい顔をするためとしか思えなかった。とはいえ、役員を正面から攻めることはサラリーマンとしては怖かった。声が大きくいかつい面構えのハリモトは威圧感があった。それでも、資料を提供してくれた仲間たちの声に報いるためには後には引けなかった。会社員生活約30年、最も緊張した場面かもしれない。
ハリモトを追求する場として部内の予算会議をヤスオは選んだ。まず第一事業部の部長が月次報告を行う。続いて第二事業部の部長が実績を報告する。そこで、工数内訳にヤスオは突っ込む。
「この2人月はだれを指しますか?」 ヤスオ
「◯◯さん、△△さんの2名です」 第二事業部部長
「その2名は、該当月は第一事業部で従事していますよね?」 ヤスオ
「当月は銀行と総額で合意しているからいいんです」 第二事業部部長
「存在しないものを請求書に載せたら水増しでしょ」 ヤスオ
「わしが認めているからいいんだ!がたがた言うな!」 ハリモト
「役員が認めているということはこれが公になってもいいんですね?」 ヤスオ
「お前は出ていけ!」 ハリモト
こうしてヤスオは席をたった。第二事業部部長の細工ではなくハリモト自身の仕業であることの言質がとれたので目的は達成した。宿敵のハリモトに真正面から向き合い一撃を加えたことに興奮するとともの満足もした。
その後、ヤスオはそのことを公にしたのか?銀行のコンプライアンス窓口に連絡する道はあった。ただ会議室のやり取りで彼の闘争心は燃え尽きた。それ以上闘う気力も勇気ももはや残っていなかった。とどめを刺さない以上は振り上げた刀をどこかに落ち着かせなければならない。ヤスオは刀を納めた。ハリモトには「私の勘違いでした」と詫びをいれる形をとった。ハリモトは怒ることなく「そうか、それでいい」と笑顔を返した。彼もほっと安堵したのだろう。天敵を一刺ししたものの致命傷は与えることなく、斬ることもできなかった。ヤスオはリトル半沢直樹になれなかった。
ハリモトとは一旦休戦状態になったものの、彼の公私での横暴な振る舞いは収まることはなく、ヤスオは水面下での攻撃は止めなかった。あるシステムトラブルに対して、Eサービス社としては単なる現場ミスということでF社に対して報告を上げる算段であった。しかし実態は、Eサービス社の委託先会社との関係における組織的問題であった。そこでヤスオは委託先会社に対して仕様書での引継ぎがなく、組織運営に責任があることをF社の品質担当に裏で伝えた。F社担当者としてもハリモトの存在は業務の安定運用のリスクであることは感じでいたので、会社と立場は違えどもヤスオと理解しあっていた。トラブル報告の際、部長と役員のハリモトが現場ミスであることを説明して、引き上げようとしたとき、F社の品質担当は委託先会社との仕様書の引継ぎの有無を問うた。ピンポイントで追求された部長とハリモトは、誤魔化すこともできず、事実を明らかにし、組織的な問題であることを自白せざるを得なかった。彼らにすれば面前の敵と対峙しているとき、後方の味方から矢を放たれたのである。なお、部長もハリモトもヤスオと同世代。学歴がないながら必死の努力で組織にかじりついて階段を昇った二人と、自分の考えで発言し行動する自由を持つ平社員のヤスオは対象的な生き方であった。
その数年後、ハリモトは部下への暴力とその部下のうつ病発症により、社長令により人事担当役員による身辺調査の対象となる。世相はパワハラやコンプライアンスに厳しくなってきていた。人事担当役員はハリモトの行動について社員へのヒアリング調査を実施した。そこでヤスオは請求水増し問題や女性社員を伴う特定グループの旅行を伝え証拠資料を提供した。ハリモトを懲戒対象にするか否かは上層部で議論はあったようである。しかし最終的になんの咎めも受けず役員の地位にとどまった。たまたま同タイミングで別部門で社員の自死事故が発生し、社長としては問題を複数認めたくはなかったようである。所詮は天下り社長は事なかれ主義である。問題を明らかにして責任を問われるより、自分の在任中は臭いものには蓋をしたいのである。いろいろな会社で不祥事事件が新聞に報道されるが、それは氷山の一角であって多くの場合は水面下に隠れていて、そこは誰も触れてはいけない領域なのだ。それが組織という世界なのだ。ハリモトの役員は安泰である一方で、ヤスオは管理スタッフから現場への異動となった。係長ではなく一作業者として。ハリモトからの復讐のメッセージとして受け取った。
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