第4話 リトル半沢直樹 一刺しで散る その2

 係長職の返上は認められ平社員になったものの、社員の増員はなく業務は相変わらずクレーム対応が続いた。半年後、銀行から部長職が天下ってきた。これで負担が減ると期待するもののすぐに裏切られた。あるクレームの対応をその部長に振ったところ、その部長は即座に白旗を上げた。「君が最後の砦として対応しなさい」その言葉を残し、その後は決済班の島に近づくことはなかった。

 ヤスオは明らかに精神を病んでいた。常に怒りの感情に支配され、社内でも、また通勤途中でも感情を制御できず些細な声で大声を上げるようになった。あるいは駅のプラットフォームから飛び降りれば全てから解放されるだろうか?との思いもよぎることもあった。ヤスオは救いを求めて、心療内科というものを受診してみた。女医は今の業務環境やヤスオの生い立ちなどのヒアリングし、血液検査で◯◯値が低いと示すと、◯◯値を上げる薬を処方した。その薬を頼りにして、ヤスオは決済班の仕事を続けた。20代、30代で転職を経験した彼であるが、子どもが中学に進学した今となっては、もはや迂闊に退職はできない。それに、中途採用する職場というものは何か問題があって人を補充するのであって、そこに安泰はないことは、E社への転職とEサービス社への出向で痛感していた。

 決済班での生活が2年におよんだとき、人事面接で心療内科に通院しており、精神的に危機的な状況であることを告げた。もはや強がりをする余裕は残っていなかった。その後、幸いにして管理部門のスタッフへの異動が実現した。その後を引き継いだのは、ある金融機関から中途採用されたマキタ氏であった。彼には気の毒なことをしたが、彼との交代でヤスオは救われた。


 その2年間でヤスオが実感したこと。それは、ひとの痛みや苦しみは決して当人以外はわからない、ということ。決済班の出口のない日々のなかで、ヤスオは不正行為を働いた。カード利用代金の振込を会員に案内するべきところ、その苦しみから逃れるため、自らのお金を会員に代わってカード会社に振り込んだ。クレーム客に対して、自らが購入した商品券を送付し、折衝を終了させた。電車に飛び込むところまで追い込まれていた彼は、目の前の苦痛から逃れるためにそうした手を使ったのだ。しかし、それを聞いた同僚も上司も、「ルール通り運用しろ」とその行為を責めるだけであった。そこまで追い込まれ、辛かったのかと寄り添うひとはどこにもいなかった。苦しむ人間がいても会社は見てみぬふりをするだけである。なぜなら、そこに手を差し伸べたら、代わりに自分がその苦しみを背負う、または別の誰かに背負わせることになるからである。極端な話、軍隊で士官は誰かを最前線に送らなければならない。ヤスオは決済班という最前線で2年間鉄砲にさらされ、中途入社のマキタ氏にその役を交代することで自らの命をつなぎ留めた。


 なお、クレーム処理から解放され、心療内科には薬の服用も通院も不要と申し入れたところ、女医は「あなたは双極性障害(躁うつ病)だから薬の服用を続けなさい」と言い渡してきた。業務ストレスで心を病んでいたときも休日はスポーツを楽しんでいたたためうつ病ではない、というのが女医の見立てであった。過剰なストレスが原因であり、もともとの精神には異常はないという自覚はあったが、医師側としては病気のレッテルを貼って固定客化した方が経営的なメリットになるのである。世の中はうつ病が増加し蔓延しているが、固定客を増やすという医療側の事情も背景にあるのではないか?医療にも信頼はもてなくなった。 

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