第21回
***********
その後の相原の行動は、小父のみならず大樹をも困惑させてしまうものばかりだった。
あの怪異に対する恐怖や不安がそうさせるのか、或いは大樹が今まで気づかなかっただけで、本来の相原とはこういう性格だったのか。
いずれにせよ、今のこの状況は、理性と性欲の間で激しい葛藤に苛まれながら、辛くも理性が勝利を収めた結果であった、と大樹は思いたかった。
相原の小父は昨夜、終始居心地が悪そうに、そして大樹と何を話したらいいのか心底戸惑っているような様子だった。
三人で夕食を摂っている間もろくに会話はなく、ただ黙々と箸を進めるだけの時間。身の置き所に困ったのは、大樹も同じだった。
さらに問題が起こったのは、その夕食のあとのことだ。
お風呂の湯を沸かし、小父が大樹に「お客様からおさきにどうぞ」とすすめてきたところで、相原が思わぬ言葉を発したのだ。
「木村くんは私と一緒に入るから大丈夫」
その瞬間、場の空気が凍り付いたのは言うまでもない。
「馬鹿な事を言うんじゃない!」
と小父は怒り、
「好きな人と一緒に入って何が悪いのよっ?」
相原は理由にならない返しをして、小父と大樹のふたりを動揺させた。
相原が何を言っているのか大樹にもよく解らなかったし、あまりにも突然過ぎて、何をどう答えたらよいのかもわからなかった。
「え、あ、いや、え……っ?」
思わずおろおろしてしまう大樹の目の前で、小父と相原の言い合いが始まった。
「お父さんに合わせる顔が無くなるだろう!」
「お父さんに言わなければ良いだけでしょっ?」
「何か間違いがあったら、どうするんだ!」
「間違えたら責任とって貰えば良いでしょ? とってくれるよね?」
普段では考えられない剣幕でそう問われ、さすがの大樹も答えられるはずもなかった。
その後も相原と伯父の押し問答は激しく続いたが、やがてついに小父は根負けしたように、
「もういい! 勝手にしなさい!」
そう叫ぶと、足早に自身の寝室に引きこもってしまったのだった。
その後は大樹も、それが現実なのか何なのかわけもわからないまま、相原によって風呂場まで強引に引っ張られた。
相原に背を向けて服を脱ぎ、腰にタオルを巻いて振り向けば、そこには一糸まとわぬ相原が、全てをさらけ出すように立っていた。
大樹はどこを見ていいのか分らず、そもそも本当に見てしまって良いのかも判らず、どうしてこんなことになってしまったのかも全く解らなかった。
相原の乳房を見ないように視線を下に落とせば、そこにはさらに見てはならないであろうモノが目に入る。
慌てて瞼を閉じたが、大樹の身体はその時にはすでに正直な反応を示していた。
しまった、と思いながら再び瞼を開けてみれば、相原が興味深そうな目で、大樹の下半身に視線を落としていた。
大樹はさらに慌てて下半身を両手で押さえつつ、「み、見ないで!」と思わず叫び、相原はハッと我に返ったように「あ、ごめん」と口にして眼を逸らせた。
あとは手早く交代で身体を洗い、風呂に浸かり、外に出てからはテスト勉強に励む……つもりだった。
それなのに、気付けば互いを意識するあまりぼうっとして、全く問題文が頭に入ってこない。そればかりか、勉強中に相原の方から何度も何度もキスを求められた。そして大樹もそれを拒むことはできなかった。拒むという選択肢自体が思い浮かばなかったのだ。大樹にはただ、このままこれ以上先の行動に進まないよう、できる限りの理性を保つことしかできなかった。
そのままいつの間にか眠ってしまったのだろう。
大樹はゆっくりと瞼を開き、天井を仰ぎ見た。見覚えのない天井がそこにはあって、今自分がいる場所が相原の家であることを思い出す。
あぁ、あれは夢じゃなかったのか、と思っていると、すぐ隣で人が動く気配があって、
「――おはよう、大樹くん」
相原が、大樹の口元から垂れた涎を拭ってくれた。
それは、初めて相原の口から出た、大樹の下の名前だった。
相原の顔を目にした途端、昨夜の風呂場で目にした相原の肢体が思い出され、身体が再び熱くなる。
「お、おはよう、相原さん……」
その途端、相原は気に入らないといった表情を浮かべながら、大樹の頬を力いっぱい抓り上げた。
「い、痛い……!」
「――奈央、でしょ?」その口元は、意地悪を愉しむように、ニヤリと笑んでいた。「奈央。はい、もう一度」
「わ、わかった、わかったから離して、痛い……!」
大樹の返事に、相原は微笑みを湛えたまま、大樹の頬から指を離す。
「もう……痛いよ……」と大樹は頬を擦りながら、「えっと……おはよう、奈央」
改めて、言いなおした。
そんな大樹に、しかし相原――奈央は何とも微妙な表情を浮かべる。
これは何を考えているんだろう。大樹が警戒して奈央から顔を背けると、
「んっ」
奈央が眼を閉じ、大樹に唇を突き出してきた。
大樹は戸惑いながらも、けれど自分の気持ちを否定することもできず、奈央と唇を軽く重ねて、すぐに身を引く。
いや、やっぱりだめだ! 昨日の僕らはどうかしていたんだ! 怪異に襲われたことで、お互いに不安定になってしまっていただけなのだから、そんな、こんな不埒なこと……!
「……え、これだけ?」
奈央は瞼を開き、口を尖らせながら不満を口にした。それから可愛らしく頬を膨らませて、じっと大樹を睨みつけてくる。
「だ、だって、ほら」大樹は視線を逸らせながら、「やっぱり恥ずかしいじゃないか。まだ、そんな、付き合い始めたばかりだってのにさ……」
「なに、その理由」奈央は今さら何よ、と眉間に皺を寄せる。「良いから、キスして」
「――奈央は気にならないの?」
大樹のその問いに、奈央は「全然?」と答えるや否や、ぐいっと更に顔を近づけてきた。
さぁ、さぁ、と急かす奈央に、大樹も観念し、小さく肩を落とすと奈央の肩に手をやり、そっと唇を重ねた。
昨夜何度もそうしてきたように、大樹は奈央と舌を絡ませる。くねくねと蠢く奈央の舌が、激しく大樹を求めてきた。互いの唾液が混じりあい、頭がぼうっとしてくる。大樹はこのまま奈央を押し倒してしまおうかという邪な思いに駆られたが、寸でのところでその気持ちを止まらせた。
これ以上はダメだ、これ以上は絶対にダメだ……!
やがて朝の口付けに満足した奈央は、そっと唇を離し、身を引いた。ほっと溜息を吐き、微笑みを浮かべる。
一方の大樹は酷く恥ずかしく思いながら、再び奈央から視線を逸らせた。自分の中にある奈央への感情を持て余し、正直に反応している自身の下半身を必死に落ち着かせる。
それからふたりは軽く朝食を済ませると、小母の着替えをいくらか準備し、病院に向かうべく奈央の家をあとにした。
バスを待つ間、ふたりは昨日同様、どちらからともなく手を繋ぐ。その手の温もりがとても現実的で、同時に大樹はこれを守り通さなければ、と思うのだった。
空には多くの雲が漂っていたが、しかし連日の雨や曇り空を思えば、そこに見える僅かな青空や陽光はそれだけで気分を明るくさせてくれた。
それでもなお、大樹の中には不安があった。
あの怪異はあのあとどこへ消えていったのか。小林はあの場にいたのか。或いは今もまだどこかに潜んでいて、僕らの様子を窺っているのか。もしそうなのだとしたら、僕と奈央のこの関係に、相当な苛立ちと怒りを覚えていることだろう。
昨夕襲ってきた怪異が、いつまたやってくるとも知れないのだ。決して油断することなんてできそうになかった。
やがてやってきたバスに乗り、ふたりは空いた席を探した。窓際の席に座った奈央の隣に、大樹は腰を下ろす。動き出したバスの中で、ふと奈央に視線を向ければ、先ほどまでとは打って変わったようないつもの――いや、どこか不安そうな表情を奈央は浮かべていた。
「奈央……大丈夫?」
けれど奈央は、大樹に顔を向けることなく「うん」と小さく答えて、大樹の手を強く握りしめただけだった。
それだけで十分だった。
奈央の気持ちが、そこから伝わってきたような気がして、大樹は「そう」と呟くように口にすると、奈央の手を強く握り返した。
大丈夫なわけ、ないか。昨日からの奈央の言動を見れば、そんなのは聞く必要もなかったかも知れない。
しばらくバスに揺られること十数分。二人は駅前でバスを降り、病院へ足を向けた。ここから病院までは五分ほどの距離だ。
その間、ふたりは取り留めもない話を交わした。自分のクラスのこと、今後委員会でやりたい事、家族の事――そこで大樹は響紀が行方不明になっていることを詳しく聞かされた。
昨夜のうちに簡単な経緯は何となく聞いていたけれども、大樹はそれ以上首を突っ込まない方がいいだろうと思いながら、「心配だね、早く帰ってくるといいね」と答えただけだった。
それと同時に、小林がその件に絡んでいないことを願うばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます