第22回
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病院の中は朝早くから慌ただしく、医者や看護師、患者がひっきりなしに廊下を行き来していた。昔は自分もこの病院によく来ていたな、と思いながら、大樹は奈央と手をつないだままエレベーターに乗り込み、奈央の小母の病室へと向かった。
病室に入ると、小母は昨日と同じような体勢でベッドに横になっており、
「あら、奈央ちゃん。本当に来てくれたの? ごめんなさいね。あらあらあら木村君も一緒なのね。ありがとう、ふたりとも」
そう言って笑顔で迎えてくれた。
「おはよう」と奈央は笑顔で鞄を持ち上げ、「あたりまえでしょう? 着替えを持ってきたよ」
鞄から新しい着替えを取り出し、ベッド横の棚に収められた古い衣類と入れ替えていく。
その時、不意に大樹のポケットに収められていたスマホがけたたましい音を立てて鳴り響いた。しまった、マナーモードにし忘れてた! と大樹は慌てて電話に出ると、
「あ、ごめん、ちょっと外に出てくる!」
スマホを耳に当てながら、大急ぎで通話エリアへと向かったのだった。
電話口の向こうにいたのは母親だった。昨夜「村田の家に泊まる」と嘘をついていたことを思い出す。どうやらその嘘がバレてしまったらしい。自分のスマホの位置情報が村田の家とズレていたことを怪しんだ母親に、大樹は激しく問い質された。奈央と付き合っていること、そして一晩泊ったことを伝えると、母親は若干動揺している様子だった。
当たり前だ。今まで彼女なんていたことなかったし、そんなことに興味がないように生きてきたのだから、母親だって驚いてもしかたがない。
何とか適当に質問の嵐を振り切って電話を切り、大樹はふたたび病室へ戻る。
「……あれ?」
そこに奈央の姿はなく、首を傾げる大樹に小母は「あぁ」と口にした。
「木村くんを探しに行っちゃったわ。待っていれば戻ってくるんじゃないかしら」
「……あぁ、いや、ちょっと探しに行ってきます」
大樹は病室をあとにすると、奈央の姿を探して廊下を歩き回った。
通話エリアまで戻ってみたのだけれど、そこにも奈央の姿は見当たらない。
入れ違いで病室に戻ったんだろうか、と思っていると、不意に視界に入った窓ガラスの向こう側、病院近くの公園に、ひとりで椅子に座る奈央の姿が目に入った。
どうして、あんなところに……?
大樹は訝しみながら、急いでエレベーターに乗り込む。それから駆け足で公園へと向かいながら、「奈央!」と声をかけ、手を振った。
驚いたように辺りを見回す奈央の顔が、こちらに向く。
大樹は奈央のところまで駆け寄ると、
「ひとりで何してんの? こんなところで……」
とひと息吐きながら訊ねた。
奈央は「ひとりで?」と不思議そうに首を傾げる。
「ひとりじゃないよ。今、宮野首さんのおばあちゃんと――」
そう言いながら顔を向けたそこに、しかし誰の姿も見当たらなかった。
……宮野首の、おばあちゃん? 大樹は眉間に皺を寄せた。それって、でも……
奈央は慌てた様子で立ち上がり、自分の右手首とベンチを交互に何度も見ながら、
「そんな……居たのよ、確かに……ついさっきまで、ここに――!」
「居たの? 宮野首のお婆ちゃんが、ここに?」
眉間に皺を寄せながら大樹が問うと、「居たの、絶対に!」と奈央はまるで大樹に詰め寄るように叫んだ。
「だって、このブレスレットをくれたのよ? お守りだって言って! さっきまで私、こんなのしてなかったでしょ? 覚えてるよね? ねぇっ?」
そんな奈央の両肩に、大樹は慌てたように、けれどそっと手を添えながら、
「だ、大丈夫だから奈央。信じる、信じるから、ちょっと落ち着いて……!」
となるべく優しく声をかける。それからじっと奈央の瞳を見つめると、奈央も胸に手を当てながら、深い深いため息をひとつして、「……うん」と少し落ち着いたように、返事した。
やがて奈央は再びベンチにぺたりと座り、大樹もその隣に腰を下ろした。
さて、どこからどこまで話すべきだろうか、と大樹は少しばかり考えてから、
「――宮野首のお婆ちゃんなら、僕も知ってるよ」
そう口にした。
「えっ?」と奈央は驚いて目を見開く。「――そうなの?」
「うん」と大樹は一つ頷くと奈央に顔を向け、「実は、中学を卒業するまで僕もこの辺りに住んでてさ。ほら、奈央と同じクラスに宮野首玲奈と矢野桜、あと村田って男子がいるでしょ? あの三人とは、同じ部活に所属してたんだ。その時に、何度か宮野首を迎えにお婆さんが学校まで来たことがあってさ。よく一緒に話をしたよ。だから、お婆さんのことは僕も知ってるんだ」
大樹はそこまで喋るとひと呼吸置き、すっと視線を前に戻した。両腕を頭上に上げて大きく伸びをひとつすると、笑みを浮かべながら話を続ける。
「ただ、僕だけ高校入学前に親が浅北に新築の家を買って引っ越してさ。あぁ、これでみんなとは会えなくなるのか、なんて思ってたんだけど、運よく四人とも鯉城高校に合格して。仲が良かったから嬉しかったな。ただ、僕だけコースが違うから別のクラスでさ。それでもやっぱり前からの付き合いだし、実は奈央の話もよく矢野や宮野首たちから聞いてたんだ」
よく、というのはさすがに言い過ぎか。何しろ、つい最近まで僕が奈央のことを好きだなんてこと、村田以外では矢野にも宮野首にも言っていなかったのだから。でも、奈央を安心させられるなら、それくらいの嘘は許されるだろう。
「……そう、なんだ」
奈央は答え、大樹の見つめる先、藤棚の方へ顔を向けた。それからしばらく沈黙が続き、それにしても、と奈央は大樹の方に顔を戻す。
「あのお婆ちゃん、いったい何者なの? 突然現れて、色々と訳の解らない話をして、こんなブレスレットまでくれて。喪服の少女の事とか、響紀の事とか、なんであの人がそんなの知ってるわけ? 怖い感じはしなかったけど、なんて言えばいいんだろう、その――」
戸惑う様子の奈央に、大樹はそうだろうなぁ、と思いながら、「あぁ、うん」と頷く。
「僕も詳しくは知らないんだけど、宮野首のお婆ちゃん、昔は神社の巫女で霊能者だか霊媒師だかやってたらしくてさ、よく祈祷やお祓いとかしてたんだって。そのお婆ちゃんがブレスレットを奈央にくれたんなら、きっと何か意味があるんじゃないかな」
よくわからないけどね、と大樹は曖昧な笑みを浮かべた。
あのおばあちゃんが動いているっていうことは、たぶん、それほどのことが今、奈央の周りで起こっているということなんだろう。昨夜のあの肉塊。それを打ち破った何者か。そして、まさか喪服の少女まで関わっているかもしれないだなんて、大樹は思ってもいなかった。関われば消されてしまうと噂され、宮野首たちですら避けるようにしていた、あの喪服の少女……
たぶん、それらすべてが繋がっているのだと大樹は確信した。それと同時に、心強さを感じる。ここまで自分ひとりで何とかしよう、なんて思って不安に感じていたけれど、おばあちゃんが関与しているなら、逆にこれは何とかなるかも知れない。
実は奈央が受け取ったブレスレットと同じものを、大樹も通学鞄の中に入れたままにしていた。いつだったか、宮野首の祖母から四人で貰った魔除けのお守りだ。奈央がこれを持っているのであれば、きっと大丈夫だ。きっと。
奈央は納得しかねる表情でブレスレットを眺め、その一見して何の変哲も無い代物に首を傾げた。それからすっと、大樹の腕にしがみついてくる。
「……えっ、奈央? どうしたの?」
大樹は驚き声をかけたが、しかし奈央は答えなかった。
ただぎゅっと大樹の身体に身を寄せると、黙って首を横に振るだけだった。
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