第10回

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 廊下で相原と分かれて自分の教室に入ると、そこには何故か村田の姿があって、そこがまるで自分の席であるかのように、当然といった顔つきで椅子に座ってこちらを見ていた。


「よう、大樹。おはよー」


「……おはよう」と一応の挨拶を返してやりながら、大樹は遠慮することなく村田のすぐ目の前で机の上にどんっと重たい鞄を下ろし、「なんでここに居るんだよ、村田。隣のクラスだろ」


 すると村田は辺りを見回し、「あれ? いつの間に俺はこんなところに」と嘯いて見せる。

「てっきり自分のクラスだと思ってたわ」


「なんだそりゃ」


 相変わらずわけのわからないことを言いやがって、と大樹は肩を竦めた。


 クラスメイト達も、気付くと当たり前のようにそこに座っている村田にすでに慣れてしまっているらしい。そもそも一年生の頃に同じクラスだった生徒も何人かいて、大樹が登校してきたときには、彼らに交じって談笑していることも多かった。人の輪に入り込む才能とでも言えばいいのだろうか。なんとなく羨ましいような気もするけれど、大樹自身はそんなに人と群れることを好まないので、見習おうとは思わなかった。


「で? 僕になんか用?」


「え? 用なんてあるわけないじゃん」


 首を傾げておどけて見せる村田に、若干の苛立ちを覚えながら、

「なら、なんで僕の席に座ってるんだよ、座れないだろ」


「座りたいんなら、俺の膝の上にどうぞ。俺は構わないぞ」


「イヤだよ、なんでお前の膝の上に座らなきゃならないんだよ。早くどけ」


「はいはい、わかったわかった」


 よっこらせ、と重そうに腰を上げた村田によって温められた椅子に大樹は腰かけたが、その生ぬるさが妙にリアルで気持ちが悪い。


「大樹の為に温めておいたんだ」


「要らん」


 はっきり答えて、大樹は鞄から教科書やノートを取り出して机の中に収めていく。


 そんな大樹の隣の席に、村田はまた勝手に腰かけながら、

「んで、相原さんとはどんな感じ?」


「どんな感じも何も、いつも通りだよ」


 つっけんどんに返事してやると、村田は「ふうん」と小さく唸って、

「なんだ、相変わらずか」


「なんだよ、悪いか?」


「そろそろ告っても良いんじゃない? もう一年も片思いなんだろ?」


「……良いんだよ。相原さんとは、今のままで」


「え~? なんでだよ、告って玉砕して来いよ!」


「玉砕言うな」


「え? なに? まさか、彼氏彼女になれると思ってんの?」


「思ってないから告ってないんだろ」


「なんだよー、意気地なしだなぁ」


「うるさい、黙れ」


「黙らないね」と村田はにやりと笑んで、「本当にお前はこのままでいいのか? もう一年もこの関係が続いているわけだろ? あの相原さんとまともに会話してるの、俺の知る限りじゃぁ、お前くらいだぞ。可能性はあると思うんだけどなぁ」


 それは確かに村田の言う通りだった。相原はこの一年、相変わらず友達というものがいなかった。図書委員の仕事の件で教室を訊ねた際、移動教室で廊下をすれ違う際、登下校の際など、相原は常にひとりだった。誰かと談笑している姿なんて、大樹はこの一年間、一度も目にしたことがない。そもそもその佇まいからして、まるで『私に話しかけないで』という空気を醸し出しているような感じがする。いや、事実大樹が以前相原と話をしたとき、相原自身が「人と話をすること自体が苦手なの」と言っていたのだ。自ら話しかけられることを拒んでいるのは確かな事実で、周りもその空気を読んで話しかけないようにしているのだ。果たして本当にそれが相原の望んでいることなのか大樹にも解らないのだけれど、時折見せる寂しそうな表情はそんな態度とは裏腹に、友達という存在を望んでいるように感じられてならなかった。


 そんな相原にとって、果たして自分は『友達』として認識されているのだろうか。今もまだ『同じ図書委員をしている他クラスの男子』程度の認識なのではないのだろうか。そう考えるとやっぱり不安で、大樹は未だに相原の気持ちを確かめるということすらできなかった。


「……あくまで可能性だろ。期待なんかするだけ無駄だよ」


「なんだよ、それ。告ってみなきゃわかんないだろ?」


「それで本当にフラれて、今の関係すら失ったらどうしてくれるんだよ」


「そんときゃそんときだって。宮野首に慰めてもらえばいいじゃん!」


「……お前、まだそれを言うのか」


「だって、宮野首もなんか浮いた話聞かないし、丁度いいかなって」


「恋愛に興味のない人間もいるんだよ。放っといてあげなよ。僕だって相原さんと出会うまでは恋愛なんかに興味なかったんだから、一緒だよ」


「そうかも知れないけど、せっかくの高校生活だぜ? 恋愛くらいした方が絶対に楽しいって!」


「お前は楽しいのか? 矢野さんと」


 何となくいつも矢野に振り回されているような気がしなくもないけれど、と大樹が問うと、村田は「え、あぁ、そうだなぁ」と口を濁して、

「楽しい……んじゃ……ない……かなぁ……?」


「ほら見ろ、やっぱりそうとも限らないんじゃないか」


「いや、だって桜だぜ? あいつ気分屋なんだよ! 知ってんだろ?」


「知ってるよ? だから聞いたんじゃん。それで、本当に楽しいの? 矢野さんと一緒にいて」


「あぁ、もう! 俺と桜のことはいいの! 俺たちは昔からそういう関係なの! 今はお前の話をしてんだから、話をそらすなよ!」


 ちっ、バレたか、と大樹は舌打ちして、

「まぁ、何にしても僕や相原さん、宮野首さんのことは放っといてよ。それぞれのペースや気持ちってのがあるんだからさ」


「……わかったけど、でもさ」


「なんだよ」


「高校卒業したら、お前どうするつもり? 相原さんと」


 その思わぬ質問に、大樹はぽかんと口を開いて、

「……あまりに気が早い話で、びっくりだよ」


「早くないだろ。あと二年しかないんだぞ? あっという間だぞ? 今のうちに進展なかったら、このままお別れしちゃうかも知れないんだぞ? 大樹はそこまで考えてないのか?」


「確かに、考えてなかったけど……」


「だろ? それも踏まえたうえで相原さんとのこと、考えたほうが良いんじゃないのか?」


 自分の進路のことすらまだまともに考えていないのに、そんなことまで考えなくちゃならないのか、と大樹は思わぬことに気が重くなった。このまま相原との微妙な友達関係を続けていくのか、それとも告白して、あわよくば恋人同士となって残りの二年間を過ごすのか。そしてその先の進路によっては、どちらにしても別々の道を歩んで行くことになるかも知れないわけで、今の状態がいつまでも続いていくことなんて、そもそもあり得ないことなのだ。


 まさか村田からそんなことを言われるとは思わず、大樹は考え込んでしまう。


「まぁ、何にしても相原さんとのこと、考えておいた方がいいんじゃないかと俺は思うけどなぁ」

 村田は言って、壁に掛けられた時計に目をやり、

「あ、そろそろ時間か。じゃ、俺もクラスに戻るわ。じゃな」


「あ、あぁ、うん。じゃぁな」


 大樹は村田に手を振りながら、けれど心は相原の方へと向けられていた。


 僕はいったい、どうするべきなんだろうか。どうしたいんだろうか。


 ぼんやりとした不安が、大樹の中に、渦まいていた。

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