第9回

   *


 あれから一年が過ぎた。


 相変わらず大樹は相原に告白することもできないまま、ただ同じ図書委員として、そして同じ学校に通う友達として、日々接していくことしかできなかった。何度か告白を試みたことはあったのだけれど、今のこのつかず離れずの関係が壊れてしまうことが恐ろしくて、結局だらだらと一年間を過ごしてしまったのだ。けれど、それはとても幸せな一年だったように大樹は思う。毎日のように朝夕に駐輪場で一緒になり、少ないけれども言葉を交わす。図書委員の仕事も一緒にこなし、談笑する日々。それだけで十分だった。


 ひとつだけ変わったのは、小林があのあと不登校になってしまったことで、相原の相方である男子図書委員が不在となった点だろうか。


 あれから小林は一度も学校に来ることはなく、大樹のもとに謝罪に来ることもなかった。小林の思い込みと嫉妬のせいで大樹は骨にひびが入る怪我をしたにもかかわらず、あれ以来何の音沙汰もない。両親が一度そのことで担任にクレームを入れたが、小林の両親は『当人同士のくだらない喧嘩だ』と取り合わなかったらしい。正直面倒だったし、これ以上この件を引きずりたくもなくて、大樹は両親を説得して、これ以上は追及しないことを決めた。たぶん、小林ももう自分にはかかわってこないだろう。それでいい。自分と相原にかかわらないでくれれば、それでいい。そう思った。


 小林が不登校になったことは、図らずも大樹にとって幸運をもたらした。不登校ということで新たに男子図書委員が選ばれなかったおかげで、代わりに大樹が相原と一緒に図書委員の仕事をすることになったのだ。相原のクラスが貸出当番の日には小林の代わりに大樹が出て、おすすめ図書コーナーや図書だよりなどの作成にも携わった。夏休みの図書館開放日などは、利用する生徒が皆無だったおかげでほぼ一日中、相原とふたりっきりだった。確か、面白かった本や映画の話ばかりしていたと思う。とても満ち足りた一日だった。


 そんな一年を過ごし、二年生に進級するのと同時に、結局小林は高校を自主退学してしまった。


 大樹が怪我をしてしまった件はそのままうやむやになり、しかし大樹もそれで構わないと思っていた。


 代わりに相原と過ごせる日々が得られたのだから、許してやろう、と。


 やがて、あっという間に春は過ぎ、梅雨の時期がやってきた。


 空にはどんよりとした灰色の雲が広がり、じっとりとした重たい空気が辺りを包み込んでいた。毎日のように雨が降り続け、気持ちまで沈み込んでしまいそうなほど世界が薄暗い。まるで世界から色が抜け落ちてしまったのではないか、大樹はそう感じていた。


 昨夜も突然の大雨に驚いて眼が覚めるほどだったが、その雨も明け方までにはすっかりやみ、けれどいつ雨が降ってもおかしくないような曇り空であることにはかわりなかった。


 大樹はいつものように自転車に乗り、登校する。駐輪場で相原の後ろ姿が目に入り、大樹はにっこりとほほ笑んで、「相原さん、おはよう」と声をかけた。


 相原はその長い黒髪をなびかせながら、大樹に慣れたような無表情でこちらを振り向き、

「おはよう」

 そう返事しながら、自転車に鍵をかけた。


 大樹は相原の自転車の隣に自分の自転車を停めると、重たい鞄を担ぎなおしながら、

「昨日は凄い雨だったね」


「……雨?」けれど相原は首を傾げて、「やっぱり雨、降ったの?」


「降ったじゃない、昨日の夜」大樹は思い出すように空を仰ぎながら、「何時頃だったかなぁ。短い間だったけど、地面を叩きつけるような物凄い豪雨だったよ。僕、それで目が覚めちゃって、その後なかなか寝付けなくて、今も眠たくてさ。相原さんところは降らなかったの?」


 相原は怪訝な顔をして、「う~ん、どうだろう」と小さく唸る。


 大樹は駐輪場の周囲を見回し、地面がまるで濡れていないことに気が付くと、

「この辺りには降らなかったみたいだね」


 それに対して、相原も小さく頷いた。


「たぶん? 来る途中も、雨が降ってた感じはしなかったかな?」


「そっか」と大樹は軽く答える。

 まぁ、小さなことだし、気にする必要もないだろう。

「それじゃぁ、行こっか」


「うん」


 頷いた相原と共に、大樹は並んで校舎に向かう。


 相変わらず相原の歩みは気持ち早かった。足の長さによる違いだろうか。それとも、あまり他人に歩調を合わせる機会がないからだろうか。お互いに友達の多い方ではないし、特に相原はこの高校に入学するまで父親の都合で各地を転々としており、そのため友人というものをつくる気にもなれず、ずっとひとりだったらしい。人に合わせるということそのものが苦手なのだと相原は言っていた。そんな相原の、数少ない(もしかしたら唯一かもしれない)友人であることに、大樹は何とも言えない優越を感じていた。


 不意に隣を歩く相原に顔を向ければ、相原は何を見ているのか、校舎の窓ガラスの方をじっと見つめながら歩いている。


「どうしたの?」


 相原の顔を覗き込むように大樹が訊ねると、相原はハッと我に返ったように立ち止まり、大樹に視線を向けた。それから眉を潜めて、大樹の顔を手で遠ざけるように腕を伸ばしながら、


「べ、別に、何でもない!」


 また何か考え事でもしていたのだろうか。相原はよくひとりで物思いに耽っているところがあって、全てを大樹に話してくれるわけではない。そして大樹も、そんな相原にしつこく訊くようなこともしなかった。いつか話してくれるだろう、そう思って。


「……そう? まぁ、いいけどさ」


「ほ、ほら、行こ!」


「あ、うん」


 どこか慌てた様子で先へ行く相原のあとを、大樹も小走りで追うのだった。

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