第14回

   2


「だから、いつも言ってるでしょ?」桜は憤慨するように眉根を寄せながら、校舎へ向かって並んで歩く玲奈に、「何かあったら必ずあたしらに相談する。行動するのはそれから! なんでいつもいつも先走っちゃうの?」


 あれから五年。もう、五年だ。玲奈はあの日からずっと、桜たちと一緒に行動を共にしてきた。玲奈の『気になったら思わず行動』してしまう癖は相変わらず直らず、この五年間、幾度となく桜や村田、そしてその友人である木村大樹を巻き込みながら、何だか色々やらかしてきた。


 玲奈はちょっと反省しつつ、

「ごめんなさい。気を付けます……」

 これもまた何度目かの謝罪を口にした。


「とか言いながら、どうせまた一人で勝手に突っ走っちゃうんじゃないの?」


「そ、そんなことしないよ……たぶん」


「はいはい」と桜は肩を撫でおろしつつ、「でも、まさかそんな変態の霊があの更衣室にいたなんて。女子の着替えをじろじろ見ているさまを想像するだけで気持ち悪い! なんで今まで黙ってたの? しかも、一年以上も!」


 どっちかっていうとそっちの方が問題じゃん! と桜は両腕を組んで玲奈を見やった。


 玲奈は「だ、だって」と口をもごもごさせながら、

「最初のうちは、人か霊か解らなかったんだよ。誰も気づいてなかったし、あの霊も摺りガラス越しに覗いてくるだけだったから…… それに、いつもいつもいるわけじゃないの。たまに出てくる程度だったから、それを確かめることもなかなかできなくて」


「それこそ、言ってくれたら――」


「そ、そうなんだけど、実害があるわけじゃなかったし」


 それに対して、桜は首を激しく横に振りながら、

「いやいやいや、覗かれてる時点で明らかに実害あるでしょ! もう、あたしは自分の身体が見知らぬおっさんにじろじろ見られていたんだって思うだけで、ほんっとに気持ち悪い! 最悪だよ!」


 ぷんぷんする桜を見ながら、玲奈はこの一年間の、あの霊の行動を思い起こした。


 あの霊は、確かに女子という女子の着替えているところを眺めてはにやにやしながら、あっちにふらふら、こっちにふらふらしていたけれど、桜の身体を見ていたのは本当に最初の頃、それこそ摺りガラス越しどころか、実際に更衣室内に侵入するようになった秋口の一、二回だけだったはずだ。それ以降はまるで見る価値もないと言わんばかりに桜の前は素通りするという、あからさまな行動を繰り返していた。


 けれど、そんな事実を「あの霊は桜の身体には興味なかったみたいだよ」なんて伝えてしまうと、それはそれで桜はきっとショックを受けてしまうだろうな、と玲奈は思い、あえて言わないことにした。知らなければ、傷付くこともないはずだ。そして桜はたぶん、その事実を知ると傷付くのと同時に心底怒り、あの霊に全力で喧嘩を売りに行くことだろう、今すぐに。


「にしても、玲奈もわけわかんないよね、もう五年も一緒に居るけど」


「え? なにが?」


 訊ねると、桜は今にも雨が降りそうな曇天を見上げながら、

「なんて言うか、行動するときは一人で先走っちゃうのに、その行動を起こすまでが結構、悠長じゃない?」


「……え、そう?」


 そんな自覚、全くない。確かにひとりでダラダラ考えて悩むことはあるけれど、それってそんなに解らないことなんだろうか? 正直それも解らない。


「そうだよ」桜はため息を吐き、「なんか気づくとぼーっとしてるっていうか、考え事ばっかりしてるっていうか。そうかと思えば、いつの間にかどこかへ行ってるし。今日だってそうだったじゃん。体操服から着替えた途端にひとりで更衣室を出てって、どこへ行ったのかと思ったら、更衣室の裏までその変態霊を相手しに行ってたんでしょ?」


「ん、だから、それはごめんって……」


 確かに、いつもこんな感じかも知れない。それはあの桜と学ランの男子――お化け桜の一件の時からそうだったような気がする。おばあちゃんに相談して、タマモに任せておきながら、気になって結局あの場まで行ってしまって。なんて言うか、自分の中で結論が出てしまうと、身体が勝手に動いてしまう感じなのだ。


「だって、居ても立っても居られなくなっちゃうんだもの……」


「だから、考えた末に出した結論を、あたしらに言ってくれればサポートするって、いつも言ってるでしょ?」


 まったく、この子は! と、桜はまるで母親のように両手を腰に当てて玲奈に顔を近づけた。


「わ、わかったから! 近いよ、顔!」


「はい、はい」桜は玲奈から顔を放すと、空をもう一度見上げて、「――それにしても、なんだか今にも雨が降りそうだよね」


 玲奈もつられて空を見上げながら、

「うん、そろそろ梅雨入りだって」


 また、じめじめしたイヤな時期がやってくる。玲奈は一年の中で、この夏前の梅雨というものが最も嫌いで仕方がなかった。


 梅雨時期は色々なものが動き出す。雨が降って、地を流れる水に乗って、あらゆるものが寄せ集まってくる。良くないものが。悪意のあるもの、悪意のないもの、それらが混ぜこぜになった害を為すものたちが、澱んだ水に押し流されてやってくるのだ。


 それが嫌で嫌で仕方がなかった。


 玲奈は何だかどんよりとした気分で大きなため息を吐いて――


「隙あり!」


 その途端、玲奈は自分が油断していたことを心底悔いた。桜がどういう人間であるか、この五年間の付き合いで解っていたつもりだったのに。


 桜はまたぼんやりと考え事をしていた玲奈の背後に一瞬で回り込むと、玲奈のその胸を鷲掴みにするように、ぎゅっと後ろから抱きついてきたのである。それは中学生だったころから、玲奈と桜の仲が良くなっていくたびに頻度を増し、頻度が増すたびに気を付けなければと自分に言い聞かせていたことなのだけれども――


「や、やめてよ、桜! ちょっと!」


「そうやってまた考え事してぼんやりしてる玲奈が悪いんだよ! ほれほれ! そんなんだから変態霊に狙われちゃうんだからね? もっとしっかりしないと駄目だよ、玲奈! だからこれはお仕置き! あはははっ! あれ、もしかしてアンタまた」


「わかった! わかったから! もうっ!」

 玲奈は何とか桜の両手を振りほどき、胸に手をあてて大きなため息を吐いてから、

「……以後、気を付けます」


「うむ、よろしい」

 桜は満足したように、ふふん、と鼻を鳴らしてそう言って、

「あ、相原さんだ」


 校舎に辿り着いたところで、高校二年生に進級して、同じクラスになった相原奈央の後ろ姿に気が付いた。相原はひとり、その綺麗な長い黒髪を揺らしながら、まるで他人を避けるかのように、廊下の端をすたすたと教室の方へ向かって歩いていた。すらっとしたその姿が、とても同い年の少女とは思えなかった。


「……相原さんって、なんかいつもひとりだよね。友達、いるのかな」


 桜に問われて、玲奈は「どうなんだろうね」と呟くように答えた。


 確かに、言われてみれば誰かと一緒に居るところを見たような記憶がない。あまり意識してこなかったからというのもあるのだろうけれど、教室でも相原奈央は机に突っ伏して眠っているか、ひとり静かに本を読んでいるか、そうでなければ、いつの間にか教室からいなくなっていて、気づくと戻ってきている、という記憶しか玲奈にはなかった。或いはどこかに仲のいい友達がいるかもしれないけれど、あの様子だと、果たして……?


「ま、そのうちちょっと話しかけてみようかな」

 桜は言って、またぼんやり考え事をしていた玲奈の頭をぽんっと軽く小突いてから、

「ほらほら、またなんか考えてる。行くよ、玲奈。次の授業に遅れちゃうよ」


「え、あ、うん、そうだね」


 玲奈はひとつ頷いて、桜と並んで、歩き出した。

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