第7回
4
二人は手を繋ぎ再び駅の方へと歩みを進めた。奈央は辺りを警戒しながら、大樹はそんな奈央の不安を少しでも晴らせるように、その手をぎゅっと握り締めながら。
時折晴れ間の見える空には千切れ雲、吹く風はしかし何処か重たく、温く、二人の肌を撫でるように去っていった。古くからあるのであろう薄汚れたビルの合間に見えるのは、駅前開発によって数年前に建てられた巨大な複合マンション。一階にはスーパー、二階には飲食店や各種医療機関が並び、そこから繋がる連絡通路の先はホテルを挟むようにして駅構内へと続いている。連絡通路の下には片側三車線の広い道路が伸び、二人の目的地であるショッピングモールへはそこからシャトルバスが出ていた。
人通りの激しい道を歩きながら、僅かながら心に余裕が出てきた奈央だったが、しかしすぐに目の前の異変に気付き、思わず足を止めた。大樹も同じく目を見張り、立ち止まる。
「……どうしたんだろう、これ」
奈央は言って、目の前に広がる大渋滞に眉間に皺を寄せた。全ての車線が埋まり、辺りに鳴り響くクラクション。交通整理をする警察官もすっかりお手上げの様子であちらこちらへ行ったり来たりしている。どうやら道沿いの歩道も今は通れないらしい。カラーコーンとバーによって道は遮られ、イラつくサラリーマンや年寄りなどの通行人はそれを制限する警察官に大声で文句を叫んでいた。そうでない者たちは皆遠回りをすべく駅の方へ向かったり、複合マンションを迂回するように裏道へ向かって歩いていく。
「なにがあったんだろう」
そう口にして、大樹はスマホを取り出すと画面を操作して原因を調べ始めた。しばらく待つこと十数秒。大樹はすぐに顔を上げ、困ったように顔を歪めた。
「この先で水道管が破裂して道路が陥没してるらしい。僕らがお見舞いしている間に起きたみたい。ほら、皆写真をアップしてる」
そう言って見せてくれた写真には、水に溢れた道路と何台もの消防車や救急車、パトカーが写っており、いかにも慌ただしそうだ。渋滞に巻き込まれた車らは前後左右を塞がれにっちもさっちも身動きが取れず、このままではしばらく流れそうにない。これではシャトルバスも運休中だろう。実際、斜め前方には客の居ないバス車内で途方に暮れる運転手の姿が見えた。
「ひどいね、これ」と奈央は溜息交じりに口にする。「どうしよう、これじゃぁ、歩くしかないけど……」
ここからなら目的地であるショッピングモールまでは歩いて一時間掛かるか掛からないかの距離だ。決して歩けないほど遠いわけではない。少しばかり疲れるかも知れないけれど、正直面倒と言えば面倒だ。とはいえ、この状態ではどこへ行くにも歩きしかなさそうで。
「そうだね」と大樹も溜息を一つ吐き、「歩こうか。まだまだ時間はあるし、休み休み行けば大丈夫でしょ。あ、そうだ奈央。この辺、色々歴史的なものがたくさんあるの、知ってた? ついでだからさ、それ見ながら歩いて行こうよ」
「え? あ、うん……」
奈央は正直あまり興味がなかったけれど、大樹があまりにも乗り気なので、大人しくその話に耳を傾けることにした。もともとこの辺りに住んでいた大樹は奈央の知らなかった町の隠れた散歩スポットをよく知っており、寺や神社、小さな史跡を見て回るなど、道草を食いながらの歩きは新鮮でなかなか楽しかった。大樹の蘊蓄は健在で、解説付きで歩く道はまるで隠された観光地のようだ。大樹のことだけじゃなくて、この町のことも、もっと知っていかないと。奈央はそう思いながら、気づくと熱心に大樹の話に耳を傾けていた。
本来ならば十分掛からないであろう道程を三十分程掛けて歩き、存分に散歩を楽しんだ二人はいつしか件の峠下に辿り着いていた。すぐ目の前、交差点の先右手奥にはコンビニが見え、数台の乗用車やトラックが駐車場に停まっている。左側に眼を向ければ峠道があって、この峠をしばらく上れば例の廃屋、そしてそれを越えた先には奈央の住んでいる家がある。
奈央はちらりと峠に視線をやりつつ、気付くと大樹の身体に身を寄せ、その手を強く握りしめていた。反射的な恐怖に心臓が早鐘を打ち、僅かに息が荒くなる。
「……大丈夫だよ、奈央」言って、大樹は微笑んだ。「あっちにはいかないから、安心して。あ、でもちょっとコンビニ寄っていい?喋りすぎて喉が渇いちゃってさ。お茶買いたいんだけど」
「あ、うん」と奈央は答え、二人は道路を横断すると一旦コンビニに足を運んだ。
足早に冷蔵ケースに向かい、お茶を掴むとすぐにレジで会計を済ませる。
「さぁ、行こうか」
奈央は大樹と並んでコンビニから外へ出て、
「――えっ」
二人は思わず、絶句した。
今まで僅かながらも晴れ間の見えていた空が突然の黒い雲に覆われ、しとしとと雨が降り始めていたのである。
「雨?」と大樹は戸惑いの表情を浮かべ、「降りそうな気はしてたけど、なんか急すぎない?」
そう言って眉間に皺を寄せて空を仰いだ。
奈央も同じように雨空を見上げながら、そこに漂うどんよりとした重たい雲にこの身が押し潰されてしまいそうな感覚にとらわれた。空気はじっとりと湿り気を帯びており、肌に張り付いて嫌に気持ちが悪い。世界は次第に灰色一色に染まり、雨はより強く激しくなっていった。
コンビニから出てきた数人の客が、慌てたように駐車場に停めた自身の車に乗り込み去っていく。あっという間にコンビニの駐車場から全ての車が消え、その後に大きな水溜りが形成されていった。目の前の道路を、小さな子供たちがずぶ濡れになりながら走り去っていく。まるでゲリラ豪雨の如く降り注ぐ雨に誰もが驚きの声を上げ、建物の中に駆け込んでいった。
二人はしばらく空の様子を眺めていたが、これ以上ここに居ても仕方がない。
「ちょっと、傘買ってくるよ」
「あ、うん」
奈央は返事して大樹を見送ると、一人軒下に佇んだ。
雨足は非常に激しく、ただ立っているだけでも地を跳ねた水が奈央の靴をぴちょぴちょと濡らした。それを避けるように奈央は少し身を引き、身体を縮こまらせる。そんなことをしてもただの気休めにしかならないだろうけど、何もしないよりはマシだ。いっそのこと、コンビニの中に避難した方が良くはないだろうか。
そう思いながらもう一度鈍色の空を仰いだ、その時だった。
――ぴちょんっ
「――っ!」
すぐ右側から聞き覚えのある水の滴る音が聞こえ、奈央は戦慄した。反射的に後退り、背中がどんと壁に当たる。恐る恐るそちらの方へ顔を向け、そして奈央は大きく目を見張った。息を呑み込み、思わず飛び上がってしまいそうなほどの衝撃を受ける。
「……こんにちは」
そう言って、少女はにっこりと微笑んだ。
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