第2話 未来への渇望
僕は自宅のある国分寺の駅でなく、豊田駅の南口ロータリーに立っていた。
寝過ごしたのだった。
日ごろの疲労や教授からのプレッシャーに負けて終点まで来てしまった。
ウィルスの感染防止対策で繰り上がった豊田行きの最終電車に乗ったのが日付が変わって十五分くらい経ったあたり。
そして豊田駅で駅員に起こされたという訳だった。
上り電車はとっくに終わっている。
これは本当に偶然なのか。
実は、豊田の駅に忘れがたい思い出がある。僕がまだ学士課程にいた頃の話だ。
やはりその日もアルバイトで遅くなり、新宿から中央線快速に乗って国分寺まで帰ろうとしていた。
その電車も乗車率が高くて立錐の余地もなかったのだが、三鷹の駅に停まると、ぼくの目の前に座っていた妙齢の女性が席を立った。
一応、周りを見渡して席を譲るべき人がいないか確認したが、それらしき人もいないし、疲れているから、と自分に言い訳をしながらぽっかりと空いたその席に腰を下ろした。
国分寺はたった五つ先の駅だ。
しかし僕は不覚に陥り、気が付くと豊田駅付近で目を覚ました。
その時も上り電車はなかった。
しかし、国分寺までの十分なタクシー代など財布の中にはなかった。
「よし。有り金で行けるところまで行ってもらおう」
そう決めた僕は、南口のロータリーでタクシー待ちの列に並び、二十分くらい待ってようやくオレンジ色のタクシーに乗ることができた。
「あの、国分寺駅に向かって走ってもらいんですけど、その、三千五百円だとどこまで行けますか?」
僕は運転手さんにそう尋ねると、
「んー、そうですね。万願寺辺りかしら」
そう答えたのはとても若い女性の運転手さんだった。
髪を後ろにまとめているが、車内灯に照らされたその黒髪はとても長く綺麗だった。
僕は不意にドギマギし、
「行けるところまで行ってください。あとは歩きますから」
と、慌てるように告げた。
「え? 万願寺から国分寺って六キロはあるけど、大丈夫ですか?」
大丈夫もなにも、僕の所持金では万願寺までしか行けない。
「大丈夫ですよ。分速八十メートルだったら、一時間十五分で歩けます」
僕がそう言うと、運転手さんは自動ドアを閉めて車を走らせ始めた。
「学生さん、よね?」
豊田駅の南口から南下して甲州街道にぶつかる交差点で左折を待っていると、運転手さんは僕に声をかけてきた。
「はい」
「ごめんなさいね、話しかけなかった方が良かったかしら?」
「いや、そんなことないです。話してくれた方が」
僕もこの密閉された空間で無言で過ごすことはかなり居心地が悪かったからこれは本音だ。
「良かった!」
そう言うと、運転手さんは―― 「間中亜佳音」と乗務員名札に書かれていた―― と徐に話し始めた。
「私も二年前まで学生だったんですよ」
「ええ⁉ じゃあすぐにタクシードライバーになったんですか?」
「本当は私、卒業した後お金を貯めて大学院に行きたかったの。それでこのタクシー会社に就職して、二種免許も取らせてもらって」
「へえ、それでお金は貯まったんですか?」
彼女は僕がそう尋ねると、少しの間無言になった。
「この仕事は結構なピンハネでなかなか辞められないのよ。本末転倒よね」
「そうなんですか」
僕がそう訊くと、ふふふ、と言って彼女は笑った。
この時間の甲州街道上りは空いていて、あっという間にタクシーメーターは三千五百円近くになった。
「そろそろここら辺でいいです」
僕がそう申し出ると、間中さんは言った。
「こんなところでお客さんを降ろせないわよ。メーターを上げるからそのまま乗っていて」
僕は少し不思議な気持ちになりながらも、ありがたいことだと思ってその提案を受け入れた。
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