第三話 『計画』
『仕方ない。少し辺りを調べてみるか。』
そう思って改めて辺りを調べ始めたのは数十分前。
だが…。
なかった。何もなかった。そもそも、探す場所などほとんどない。
鼠一匹として隠れるような場所はないのだ。
それにそもそもこの通りは単天通りという別の名前の道であった。
(もういいや、のどかわいた。コンビニに行こう)
どうせ、天才様が俺のことをからかっていただけだ。面倒くさいのでそう結論付け、例の牛乳瓶が目印のコンビニに向かって進んでいき何の気なしに扉を開ける。
カランコロン
いつものコンビニの聞き慣れた高らかな鈴の音が響く。
響き過ぎる程に響く。
まるで奥行きのある洞窟で大声を出したみたいに永遠と鈴の音が反響して、耳朶に響いた。
目の前にあるものはいつものコンビニとは似ても似つかないものだった。
コンビニの中に入っていたのは、雑多な商品が陳列されたコンビニ特有の商品棚などではなかった。
(階段だと?)
下に向かって伸びる薄気味悪い階段が存在した。
階段は薄暗く、景色が時々揺らぐ。
よくよく見ると、蠟燭が階段の脇にあった。陽炎のように揺らめいている蠟燭の炎が階段の見える景色を少しずつ変えていっているのだろう。
「…ここを下れと?」
俺は薄気味悪い階段を下りたくない一心で天才に静かに問うた。
「そうだよぉ」
天才は俺の気持ちを意にも介さないヒマワリのように明るい声を出す。
「まじでか?」
「まじまじ。大マジックリン」
天才もダジャレは下手らしい。天才の言葉は無視をして、腹を括って進んでいく。
*
「ようこそ、我が校へ」
目の前には、シロクマのように真っ白な髪の毛をポニーテールに結わえた、長身瘦躯の男が立っていた。
道中に何があったかは説明したくない。
漫画みたいな大きな岩が…。IQテストが…。水攻めが…。
うっ。頭が痛い。どうやら記憶に鍵がかかっているようだ。
「…で、これはどういうことだ、サイ」
俺は悪夢にとらわれた自分の精神を正常に戻すために目の前の男に声を掛けた。
「何って?君が好きなメイド服でお出迎えをしてあげたんじゃないか。モエモエキュンキュン♡」
そう言って、幼馴染でもあり、アメリカで七年ぶりの再開を果たしたサイは、フリル付きのエプロンを着て、ハートを両手でかたどっていた。
ツカレタカラダニ コウカテキメンダ
どうやら俺の精神はとどめを刺されたようだ。クラクラする。
「…帰っていいか?」
「ダメに決まっているでしょ?あ・な・た」
せめて、キャラを定めて欲しい。妻なのか、メイドなのかはっきりして欲しい。
…それとも、メイド妻とかいう新たなジャンルでも開拓しようとしてんの?
それでいて何が一番ダメかというと、サイの格好がとてもよく似合っていることだった。
黒地を基調としたメイド服に純白のエプロン。
それらが、サイのしなやかな細身、上品な指先。男とは分からないような中性的な顔立ち。エメラルドの瞳。
全てにおいて調和を果たしているのだ。
「…それで、あれは一体何だったんだ?」
俺は、久しぶりに会った白髪の幼馴染ではなく、眺めのいい窓の方を見つめながらこたえる。LGBTは否定しないが、俺にはそう言った趣味はなかったし、その一線を越えるのは間違っている気がした。
「きゃーー。天彦君、目を逸らして頬を赤らめるなんてきゃわいい☆」
うるせーよ。別にお前が可愛いと思ったわけじゃねーよ。
単に見ていられないほどに気持ち悪いだけでい。
そう思って声を発した。
「うっせーな、帰るぞ」
俺の感情剝き出しの声にサイの空気が一変する。
上層階なのに、風音一つない静けさが辺りを冷たく包んだ。
やがて、黙っていたサイは俺を品定めするように口を開く。
「うーん、それより、そんなんでやっていけるのかい?」
さっきまでのふざけた表情とは打って変わる真剣な表情に変える。サイの表情と声音は、海千山千の政治家たちに向ける――アメリカで再開した時に初めてみたーーそれだった。
何が?とは聞かなかった。
重々自覚していることだったから。
「ペテンのことだろ?これは、友人用の顔だ、安心しろ。本番で表情を出すなんてへまはしねーよ、お前は知っているだろ?俺の力を」
「ああ、もちろん、君が微表情すら操る天性のペテン師だってことは知っているとも」
サイは椅子に座って腕を組みながら俺のことを見つめる。ニコニコ見つめる。
ずっと続くその表情が作り笑いであることはすぐに分かった。
人間の表情はおおよそ3秒以上は続かない。もしも、その表情が続くならばそれは相手が意識して作っている表情――即ち作った表情だ。
作り笑いとは、自分の感情を見せないためにするものだ。
つまり、同盟相手といってもいい俺に対して自分の感情を偽っているということを意味していた。
どうやら思っていた以上にサイには俺の力は疑われているらしい。
俺は内心、冷や汗をかく。
『微表情すら操る天才詐欺師』
俺は、この十年間そう呼ばれ続けてきた。
微表情とは、0.2秒の世界で、外界に剝き出しにでてしまう“裸の感情”のことだ。
感情の反射反応と言いかえてもいいかもしれない。
物理的な反射反応なら皆知っているだろう。
熱々の熱湯に手を突っ込んでしまった時に思わず手を引っ込めてしまうようなそれが物理的な反射反応だ。
それと同じように感情の反射反応というのもあって、0.2秒の間にどうしても出てしまう表情というものがあるのだ。それが微表情のことである。
だが、考えてみて欲しい。
人間が操れないほどに思わず出てしまうもの、即ち生物学的に不可避なものが微表情なのである。
死を操ることができる人がいるだろうか?
記憶を自在に消したり残したりできる人がいるだろうか?
サウナで汗の量をコントロールできる人がいるだろうか?
答えはすべてノーだ。
できる奴は人間をやめている。
それらを操ることなど、できるはずがない。
自分の本能を操ることなど、どだい、不可能なのだ。
そして、この俺も--人間である俺も--御多分に漏れず微表情などというものを操ることは不可能なのだ。
これこそが、俺の
微表情なんてものを操ることができるのはアニメの中のキャラクターだけだ。
それでも10年間――俺が6歳になってからずっと――この触れ込みを看破できた人はいなかった。
いかなるペテン師、いかなる天才、いかなる能力者も俺のペテンを見破ることができなかった。
実のところ、俺の武器は人間観察の一言に尽きる。
正直、地味な能力だ。いや、能力とすら言い難いものかもしれない。
それでも俺は、これだけを武器に完全記憶能力の天才にも、ノーベル賞を受賞した秀才にも、世界記録を量産するスポーツ選手にもあらゆる場面・あらゆるゲーム、あらゆるペテンで成功を収めてきた。
俺ができるのは一つだけ。
微表情のからくりもここにある。
それは…
「怒ったかい?」
考え事をしていると、白髪の幼馴染が切れ長の瞳を心配そうに向けてくる。
「いいや。そんなことはない。お前の疑問は当然だ。これからやるのは世界を変えるゲームなんだからな」
俺はサイの友人ではなく、サイに頼まれた友人や親をも騙し切る稀代のペテン師としてサイに笑いかける。
「ハハハ。嬉しいよ。そう言ってもらえて」
そこでサイは息をたっぷりためて静かに次の言葉を告げる。俺がここに呼ばれた理由を告げられる。
「じゃあ、一緒に世界を変えますか?」
「ああ世界を変えてやるよ」
そうして俺とサイは世界を変える密談を開始する。
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