第40話 聞け(1)
元木は自分の部屋に戻ってすぐ、ダイニングテーブルに着くとそこに夕食を並べ、紙エプロンを付けるとナイフとフォークを握った。
(吉野さんもホント、よく分かっているわ)
ニッタリと笑うと元木はサシの入った牛肉のステーキにナイフで切り、口の中に放り込んだ。時たま食卓に並んでいたものと比べ段違いに高級な肉を頬張りながら、彼女は付け合わせのブロッコリーにフォークを突き刺した。
(長堂さんはズルかったものね。みんなが運動得意なわけじゃないのに。見せびらかすように毎日広間で体を動かして……。ねえ?)
元木はフォークを持つ手とは逆の手でオニオンスープの入ったカップをしっかり掴むと勢いよく喉に流し込んだ。滑らかな深い甘みが体に染み込んでいく。玉ねぎ以外の野菜や調味料は確実に入っていると分かるが、では何が入っているのかと尋ねられれば素人には玉ねぎ以外思い浮かばない、しつこすぎず薄すぎないそれ単品で店を開けるほどの美味である。
(家が裕福で、子供の頃からずっと練習できていたんでしょ。スポーツ選手の生まれる家って年収もやっぱりいいのよね。もうスタートラインが違うんだから、本人の努力じゃないのに頑張っているみたいな感じを出して……)
(それに自分が若くて健康だからって……)
高級な肉に対して「甘い」、「柔らかい」、「溶ける」とコメントしておけばだいたいそれらしく聞こえるが、この肉は別格である。下手をしたら口蓋と舌だけで食べることができるのではないかと思わせるくらいの代物であるが、元木はそれをしっかりと噛みしめていった。
(大体そんなのができたからって何が偉いのよ。だって、スポーツなんでできたってなにも偉くないでしょ? その技術、社会の何の役に立つの? そんな狭い世界で一番になったって意味ないじゃない? その競技別に必要ないじゃない? 体を動かすなら大工さんや漁師さんの方が絶対偉いでしょ)
脂のしっかりと乗った肉がでっぷりとした腹にするすると収まっていく。
(勝ち組の上級国民には私たちの気持ちなんてわからないのよ。好きなお遊びして、注目を集めて、頭空っぽのコメントをして適当に泣いておけばマスコミがちやほやするでしょ?)
(みんな、やっぱりイライラしていたのよね。このゲームが始まる前からってのもあるし、毎日広間でうるさいし……。それで昨日、吉野さんが言ったのよね)
元木はごくりと喉を鳴らして口の中を空にすると満足げに呟いた。
「『明日の投票先は長堂マリア』って……」
そしてコップを掴むと冷たい水を勢いよく流し込んだ。
先の言葉が吉野の口から放たれたとき、その吉野の部屋はシン、と静まり返ったのは一瞬で、彼女たちはこれまでよりも素早く反応するとすぐにそこは粘ついた熱気で満たされた。
彼女たちのお茶会で話題にならないはずがなかった、ということであった。
(吉野さんはやっぱりみんなの気持ちが分かっているわね)
彼女はその吉野こそが上級国民であることを忘れていた。結局、彼女が長堂を不快に思うのはそこではない。若さと健康な肉体、それが集める羨望を僻んでいるにすぎなかった。
(あーいう人は周りのことを考えないで突っ走っていくのよね)
再びステーキ肉を口の中に入れ、顎を大きく動かして溢れる肉汁や食感を楽しみだした。
(そーすると今度は、ああいう人が基準になるから困るのよね。誰々さんはちゃんとできているから、あなたができないのはサボっているからだって)
極上の旨味に勝利の隠し味が混ざり合う。
(何でもそうよね。仕事だって、頑張っても給料は変わらないし、結局手を抜いている人の仕事が回ってくるし……、みんなからも恨まれるし)
ゴクリと喉を動かして飲み込むと、元木はうっとりと目を閉じてにやけた。彼女の中で、彼女の持論が正しいということが証明された。
(みんなで手を抜いて60%くらいが全力の振りをするのが一番いいのに。もう少し空気読んでセーブできなかったのかしら? まあ、そういうのが足りなかったから社会に出られなかったのよね)
(でも、証明されたじゃない? 結局、スポーツ選手なんて何も社会の役に立たないって。みんな、この世から長堂みたいなのが消えてほしいと思っていたって、はっきり分かったし)
元木は票が集中した根本的な理由を失念していた。大多数に嫌われていたからではない。誰かが音頭を取って票を集中させるように謀ったからである。
一通りテーブルの上のものを平らげた元木は最後に水を一飲みし、自分の腹を眺めた。油染みが点々と紙エプロンに飛び散っている。彼女はスマホを手に取ると時間を確認した。吉野の部屋に行くまではまだ余裕がある。元木は「ににぉろふ」を立ち上げて「ステーキ」とはっきり口にした。
テーブルの上に熱せられた鉄板と切り分けられた分厚い肉が再び現れた。元木はにんまりと笑うとフォークを掲げた。
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