第39話 聞くな(4)

 参加者がぽつぽつと広間に集まり、円状に並べられた白いブロックに腰を掛けていく。中には自分で椅子を用意する者もいるが、座る場所はブロックの近くであることに変わりはない。時間になれば明かりが落ちて広間は薄暗くなり、それと同時に天井近くにモニターが出現する。ニニィが現れた。


 「はいっ、始まりました『透明な殺人鬼ゲーム』20日目、実況はわたくしニニィがお送りします! えー投票は10分後、参加者は全員ですね。それでは、すたーとー!」


 「さて、今日も決めなくてはなりませんね」

 真っ先に口を開いたのは松葉だった。片手を前に差し出して自然体をとりながら何かを欠いた声で言った。

 「この中で最も不要な人物を」


 非常に端的な物の言い方に時田はにやけを浮かべると挑発するように口を開「これから何が起こるのかわかりませんが」

 しかし松葉の目は彼を捉えていた。

 「全員にとって最悪なのは全滅することです。それを避けることは全体にとって利になるわけですよ」

 勢いを失った時田に松葉は薄い笑顔を浮かべ、吉野はその様を鼻で笑った。時田は眉を吊り上げて赤面すると身を縮めた。


 いつの間にか笠原が立ち上がっていた。磨りガラスのような瞳が松葉にピントを合わせている。

 「子供たちは大人でも気づかないことをひらめくことができます。少なくとも私の近くにいる子たちは」


 「ええ、それに」

 藤田が口を挿む。

 「年の功という言葉もあります。お年寄りも洞察力がありますよね」

 その言葉を裏付けるかのように吉野が鋭く差し込んだ。

 「待ちなよ。馬鹿は用無しってことかい?」


 松葉は矢継ぎ早に答えた。

 「いやいや、人手のいるときがあるでしょう。『ににぉろふ』がいつ使えなくなるか分からないですから。そんなときに例えばここが崩れてしまったら、瓦礫の撤去には人力が必要になります。何かを作るのにもマンパワーは必要です。それ以外にも……また近藤のような人間が現れでもしたら、止めるのは腕力のある人間ですよね」


 「じゃあ一体、誰なんだい?」

 吉野が口を歪にして形式張りに尋ねる。松葉の答えはその通りであった。

 「頭の回転が速いわけでもなく、力があるわけでもない人物、ということになってしまいますね」


 その意見に納得したのか吉野はそれ以上追求することはなかった。話し合いの進行権が松葉に戻る。

 「それでは、昨日と同じように自分が最も無能と思う方は私たちに自身の価値を説明していただけますでしょうか?」


 もしこれが「投票されるかもしれないと不安に思う人」と尋ねられていたら、あるいは「自信のない人、何か言いたい人」と尋ねられていたら、誰かが手を挙げただろう。しかし、今不用意に発言すれば、自分で自分が最も無能とであるとアピールすることとなってしまう。その沈黙を吉野や中川は愉快そうに眺めていた。


 誰も名乗り出ない。

 「いないようですね。それなら――」


 「ちょっと待ってください」

 進行を止めたのは水鳥だった。一気に好奇や期待の混ざり合った視線が集まる。

 「僕たちが全体で生き残るためには他にも求められるものがありますよね?」


 「何でしょう?」

 松葉が社会人として取るべき姿を取る。水鳥の方もごく善人らしく、善人に対して話しかけるような笑顔を向ける。

 「コミュニケーション能力です。何が起こるか分からない中、全滅を避けるためには集団で行動する必要があります」


 「ああ、確かにそうですね」

 松葉は平坦な声でまさに今知ったと言いたいように一瞥した。

 「それなら、誰がこの中で最も不要な人物となるのでしょうか?」


 誰が、誰が、誰が……? 水鳥が新たな条件を投げかけたことで問題は複雑になっていく。候補者が絞られれば選択肢は減るはずなのに、ほとんど前に進んでいない。ともすると後退している。


 再び静寂が訪れる。


 「必要な人物の条件をまとめようじゃないか」

 吉野がゆっくりと重たそうに立ち上がった。

 「まず、コミュニケーション能力。これが最優先だね。その中でも発想力のある子供、経験のある老人、力仕事ができる人物……今まで挙げられたのはこんなところかい?」


 「コミュニケーション能力というのは話し合いに積極的に参加できているかどうかということでもありますね」

 藤田が余計な茶々を入れる。吉野はすっと無表情になると腰を下ろした。


 微妙な空気の中すぐにイニシアチブを取りに行ったのは松葉だ。

 「つまり、必要な人物でない参加者は不要、ということになってしまいますね」

 薄い笑いを貼り付けて飛び飛びに参加者の顔を見ていく。

 「この中から一番、必要な人物からかけ離れているのは誰でしょう?」

 見られているのは――。


 「ま、男には力があるからな」

 中川が当然のように大声の独り言を言うと中津が「女子はコミュ力高いんだよ」と膨れっ面で歯向かう。


 「どちらもそういう傾向があるという話で、個々人が必ずそうというわけではありません」

 その両者にちくりと棘を刺したのは猪鹿倉だ。水鳥が寂しそうな表情を浮かべてフォローする。

 「本人の実力、ですよね……」


 (なら、子供でも老人でも全員すごいってこともないよね……)

 田辺の頭に考えたくないことがよぎってしまった。


 十分は長くも短くもある。一手一手を考えて話している。一瞬のミスが命取りとなる。誰も数分後の自分がどうなっているのか分からない。それを明確に認識しつつも精神に影響を及ぼさないよう切り離して考えることが極めて重要である。ただし今日だけを乗り切ればよいということでもない。いくら予想していても一寸先は闇である。


 水鳥が優雅に立ち上がった。

 「僕たちがこれから先の起こるかもしれない何かから生き延びるには協力が必要になります」

 物憂げな瞳が主に女性陣へ注がれる。

 「だから、他人に情報を正確に伝え、他人から伝えられた情報を正確に理解できる能力は必要です。僕たちは時にデマというものに踊らされてしまいます。話すのが得意不得意ではありません。口下手よりも余計な情報を思い込みで付け加える人の方が危ないです」


 「それは伝える側の問題でもありますね」

 松葉がさらりと水を差す。

 「相手に合わせた表現を使って伝わるようにすることが伝える側の義務でしょう」


 水鳥は柔らかい表情を維持したままゆっくりと瞬きをして、松葉の方を見つめた。

 松葉も表情を変えないまま口を開いた。

 「その当たり前の表現を理解できない人は水鳥さんのおっしゃるように、投票した方がよいということには私たちも賛成です」


 「ええ、そうですね」

 水鳥は見事な微笑みを返した。


 「とにかく今後は今日話したとおりに投票先を決めていくということで、反対意見は?」

 猪鹿倉が鋭く誰ともなく質問した。返事は中川の投げやりな「ま、それでいいんじゃねえの」という呟きくらいであった。しかし言葉に出さずとも表情は語っている。その手の能力に欠ける人には自覚がないか、あるいは、その事実から目を背けている。


 「しゅーりょー! 投票の時間でーす!」

 ニニィの掛け声とともに全員が深い闇の中に閉じ込められる。絶対秘密の下で、誰かを守り、誰かを排除しようと参加者たちはスマホを操作していき、最後のボタンが押されると彼らのほぼ全員は元の位置に戻っていた。

 「今日の犠牲者は、じゃん! 長堂マリアさんです!」





 (どうして?)

 丸橋は透明なケースの中にいる人物がそこにいる理由が分からなかった。

 (だって……長堂さんは若くて、スポーツ選手だから力もあってコミュニケーションもできて、今の話と違うよね?)


 (なんで?)

 疑問に思いながらも彼女は体にかかっていた過剰な力が抜け、呼吸が楽になっていくのを感じた。ケースの中に入っているのは彼女でもなければ彼女と同じグループのメンバーでもない。


 「それじゃ、始めますねー」

 ニニィのテンションはやや落ち着いてきていたが、対照的に、長堂はケースの中で暴れ回っていた。


 長堂は壁を何度も叩き、少し離れて助走をつけて、思い切り壁を蹴り飛ばし……とにかく今までの人物とは比較にならないほど攻撃を加えており、ぽつぽつと水玉模様に彼女の服が濡れ始めるも、壁に対する攻撃の手は緩まず、だんだんその範囲が大きくなり、髪がべったりと頭皮に貼り付いてボリュームが失われ、顔を涙か涎か分からない液体とともに濡らし、膝元の衣服が揺らいだところで長堂は目元を大雑把に拭うと左右を見渡し、自分がつい数分前ほどまでいた場所を見て……大きく目を開き、すぐに歯をむき出しにしてあらん限りの力で睨みつけ、再び左右を見渡すと、今度は別の方を向いて両手を複雑に動かし、何度も同じような動きを繰り返し、腰元……胸元……、と液体に浸かっていき、長堂は上を向いて、足が床を離れ、液体から逃れるように上に上に向かい、荒く呼吸をしていたが、ついに頬を大きく膨らませるとしばらくもがき、唇の隙間から空気が漏れ、最後にがばっと大きく口を開くとでたらめに両手足をばたつかせて……中途半端な位置に浮いて動かなくなった。



 「それではみなさんまた明日―!」

 ニニィが最後にそう言うとモニターは跡形もなく消え、液体で満たされた透明なケースが床に沈んでいった。


 体の自由が戻った後、参加者たちはあっという間にその場から離れていった。彼らのその行動には丸橋の疑問に対する答えが含まれていた。



**



今日の犠牲者 長堂マリア

一番大事な人 弟



 地方のチームに所属するプロの女子サッカー選手。ポジションはMF。弟とは専ら手話でコミュニケーションを行っている。弟を心配するあまり実家暮らしを貫いており、それを理由に上のリーグに挑戦することを避けていた。もしかしたら心のどこかで弟を出汁に実力不足を誤魔化していたのかもしれない。その癖同じチームのメンバーよりも自分は優れていると内心見下している。そもそも、サッカーが下手な人を(別にサッカー選手でなくとも、そもそもサッカーと関係のない人物でも、物事でも)見下していた。好きな物は弟の作る焼きそば。隠し味は鶏のささみと唐辛子。まとめて細切りにしてたっぷりの油で炒め、他の具材や麺と絡めるのがお好み。

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