第39話 聞くな(1)
笹川の部屋には高校生が4人集まっていた。部屋の主、山田、小野、そして袴田である。同じグループに所属している彼らがこうして集まっている理由はグループ内部に小さな集団を作ることで結束力を強めようとすること、あるいは、1人でいるよりも2人、2人でいるよりも大勢でいた方が、恐怖が薄れるからに他ならない。
「あのさ、昨日ふと気が付いたんだけど……」
笹川がポツリと声を漏らした。大抵の話題は扱われた後で何を話したらよいか困ることもあったが、今回は先にテーマを思いついていた。むしろ、これを話したいがために3人を呼んだと言えなくもなかった。
「最近、階段上っていないなって。ほら、このゲームって自分達の部屋と広間以外行き場がないから、それで……」
「そうだね。学校に行っていれば毎日階段使っているし……」
小野は小さく頷くと、自身もまた思いつくことがあって「あっ」と声を出した。
「それから自転車も乗らなくなったよね。乗ろうと思えば広間でできるけれど……、なんか違うし」
「このゲームって、何でもありでなんでも使えるようで、結構不自由が多いんだ」
山田がぼそりと言うと、その正面にいる袴田も寂し気に目尻を下げた。
「そうだよね。私たち以外の動物はいないし、『ににぉろふ』で動物を出してもらうことはできないし」
「あとは……自然、かな?」
小野はやや上方を眺め、故郷の風景に思いを馳せる。
「海とか川とか、あとは山とか風とか太陽とか、こう、自然を感じられるものが全然ないよね。葉っぱとか土の色を見ないからかな、何となく、違和感があるんだよね。うん……違和感」
その何となく投げられた言葉に3人は一様に眉を上げ、それから深く息を吸っていた。気が付いていなかったが何となく感じていた違和感の正体を的確に言い当てていた。
笹川は目を輝かせると真っ先に口を開いた。
「言われてみると、何となく変な感じがするのはそれかもしれないね。なんか、こう、落ち着かないっていうか」
「うん。雨が懐かしい」
袴田は胸を膨らませてその独特の匂いを思い出す。
「冬の硬い冷たさも夏の蒸し暑さも……」
「なんだろう……」
山田がぼんやりとした相槌らしいものを打つ。
「うん……」
袴田もうまく言葉にできないが、自分の感じていることと最も近いものを例えた。
「動物園の動物の気分? 自由なんだけど、実際不自由で、なんていうのかよく分からないけれども……」
「あとは……」
笹川は前に読んだラノベに似たような設定があったことを思い出した。
「実験動物? 周りから隔離されているし、温度や照明も管理されているし。一応好きにできているけれど、デフォルトの設定は一定で……」
実験動物という言葉の響きに袴田と小野はわずかに口角を下げ、俯いた。山田は目の前のコップを手に取ると原風景の味がする麦茶をゴクリと飲む。
「あっ……例えだよ。別に僕たちがそういうのってことじゃないよ」
笹川が慌てて説明すると小野もまた慌てて「あ、うん。大丈夫」と答えた。
部屋の空気が微妙に暗くなる。全員が何とかしなければと思いながらも、全員が自分からこういう状況を積極的に変えようとする性格ではない。目の前のコップに手を伸ばし、麦茶を口元へ持っていき、チラチラと視線を交わし、コップを置く。
「それでね、後は……信号とか、電柱とか、そういうのも見ていないよね」
沈黙に耐えられなかったのは袴田だった。彼女は視線をやや手前に落としながら頬を指で軽く掻いた。
「うん……あと、やっぱりパソコンがないのも大きいかも」
山田がぽつりと呟いた。
「というよりもインターネットに接続できないって言った方がいいのかな? 何も検索できないし、SNSが使えないのも不便だ」
一拍おいて、彼はさらに続けた。それは彼自身、ここに来るまでは絶対に考えないようなことであった。
「でも……一番はやっぱり自然がないことかな。インターネットはなくても不便で済むんだけど、自然がないのは生物としてのリズムが崩れていくような感じがする」
「僕もそう思う」
小野は力を込めて答えた。
「自然っぽいの……用意できないかな?」
笹川が首をかしげて半ば独り言のようにつぶやく。小野がテーブルの上に置いた手を片方低く持ち上げた。
「食べ物なら『ににぉろふ』で取り出せるよね。生で食べる野菜を取り出して、水に漬けたり土に埋めたりして育てることはできないかな?」
「えっと……」
笹川は返事に困り、口を半開きにしたままコップに指を伸ばし、表面の結露をなぞった。
(多分できない、と思う。そういうルールというか、世界の隅をついて何かするのを認めていないみたいだから、あくまでも、このゲームをこのゲームとしてやらないといけないから……)
アイディアを出した小野自身も薄々理解していた。
「あ、うん、言ってみたけれど、無理そうだね。芽が出たり葉が伸びたりするの。生の食べ物でもそういう処理がされていそうだから」
「それなら、造り物の花や木を飾ってみようかな。用意できると思うんだ」
笹川はスマホに向かって「造花の……アジサイと花瓶」と指示をした。一瞬のうちに、彼らが座るテーブルに白いアジサイの造花が同じく白い陶器の花瓶に入って現れた。
「あ、できた。これなら少し楽になるかも」
「うん。そうだね」
山田はその実物のような、しかし、しばらく観察すれば造り物と分かる花をじっと見つめた。すん、と鼻を動かした袴田が小さく口を開けた。
「香りを付けてみたらもっといいかもしれないよ」
「あ、なるほど」
笹川は再びスマホに向かって「アジサイの香り」と伝えた。小瓶に入った透明の液体が現れた。彼はその蓋を慎重に開けると瓶の口を軽く仰いだ。
「あっ、確かにアジサイの、それっぽい香りがする」
しかし、それはあくまでも香水や石鹸に使われる材料が彼の最も望むとおりに作られたものであった。自然の香り、様々なものが複雑に入り混じった本物の香りではなかった。
笹川はそれを敏感に感じ取ったがわざわざ口に出すことはなかった。提案をした袴田に悪いと思ったことももちろんだが、全員がある程度の満足をしているように見えたからであった。
その後の雑談は早めに切り上げられた。各人がそれぞれの部屋に思い思いの自然もどきを作りたいと考えていた。不完全な物であっても構わなかった。いずれ満足できなくなり、どんどん本物を渇望することになるとおよそ見当がついていても目の前の癒しを求めずにはいられなかった。
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