第38話 帰せよ(1)

 吉野は自分の部屋に独り、柔らかい椅子に腰をかけていた。その視線は皺まみれの指元に輝くいくつもの宝石に向けられている。同じく皺だらけの顔はにやにやと歪んでいたが、弛んだ腹が大きく膨らむと一層醜く顔を歪めた。

 (使えない奴の処理もできたし、今日は上手くいったねぇ)

 指先をわずかに動かすと指輪に当たる光の角度が変わり、嬉々として輝く。吉野はわざとらしく息を吐き、椅子のすぐ近くにあるテーブルからブランデー入りのグラスを手に取り、口元まで緩やかに運んだ。熟成された甘さと爽やかなアルコールの刺激が広がる。


 (別に沼谷サンじゃなくてもよかったけれども、まあ、いい具合に目立っていたからねぇ。分かりやすい要素も持っていたし、的にしやすかったのよ)

 吉野はグラスをテーブルに戻し、再度手元に目を向けた。深い緑色が煌びやかに自己主張を始める。指1本だけをわずかに動かすことで吉野はそれの様々な顔を楽しみ始めた。

 (これであたしたちは人数に余裕ができた)


 (同じグループの無能な奴を始末して、なるべく余所のグループの有能な人を消していく。これがこのゲームを生き残りやすくするコツだよ)

 隣の明るい桃色が時折つられて不服そうに輝く。吉野は片頬を持ち上げると今度はその桃色をはめた指を動かした。途端にそれははじけたように輝き、自己アピールを始める。


 (なに、命は平等とでも言っておけばいいのさ。こっちが1人減らしたんだから、そっちが1人減るのは当然。そんなきれいごとがまかり通るんだ。強く否定するのは難しいからねぇ。別にあたしだけが生き残れればどうでもいいんだけれど、まあ、馬鹿が残るより優秀なのが残っていた方が楽だろう?)

 吉野はゆっくりと瞬きをすると勢いよく息を吐いた。そしてブランデーに手を伸ばし、少量口に含み舐めるように飲み込み、再びゆっくりと呼吸を行い、最高級の味と香りに浸りながら目を細めて笑った。



 (しかしまあ、甘い菓子を出せばそれで治まるってのは楽なものだねぇ)

 芳醇なアルコールの香りは吉野の頭を鈍くしようとしていたが、その効果が表れる様子はない。吉野は手首を軽く回すと両手の平を開いた。いくつもの宝石が同調して光沢を走らせる。


 沼谷が死んだ今日、吉野の部屋で行われたミーティングは当然のように荒れた。河本のように騒いで悪目立ちしたわけでもなく、谷本のようにメンバーたちから明らかに浮いていたわけでもなく、言ってしまえば彼女たちにとって自分とどこかしらが似ていると周囲が思うような人物が犠牲者に選ばれた。明日以降の投票先も同じロジックで決められるのであれば自分の身が危ない。

 もっとも、吉野は向けられた非難をものともせず、逆にやり込めたのだが。


 (チョコレート、クッキー、ビスケット……なんでもいいけど、『ににぉろふ』で取り出せるのは最高級のもの、特に自分が食べたいと思っているもの、食べたことのあるもの、くらいだ)

 今度は逆の手の透明が様々に光を反射屈折させ、豪華に輝いた。吉野は手首を小さく動かし、他の色と比べて頭一つ抜けている実力に基づいた美しさに両頬を大きく持ち上げて目を細めた。


 (経験が足りないんだよ、結局。微妙な味の違い、舌触り、温度、素材……。最も望むものでなくても、一流のものなら十分すぎるほどに美味なんだ。そういうものを多く知っていれば何も珍しいものでもないし、『ににぉろふ』を使って取り出すことができる)


 吉野が用意したものは本人にとっては二流の生チョコレートであったが、他のメンバーたちにとっては最高のものと遜色ない味であった。それなのに自分で「ににぉろふ」を使って取り出せるものとは違う、それなのに最高の味である。

 (で、その予想外の刺激ってのがいい具合に働くわけだ。それに適度な糖分が脳を緩ませて麻痺させる、ってことだね。本当、これが命のかかっているやりとりなのにねぇ)


 (1人や2人、文句を言いたい人がいたとしても、全体の空気に押されて口を開くことはできなくなるのさ。2000万円の取り分もあるし、だいたい、そういうのは自分が有能だと思っているからね。自分は関係ない、そう考えているんだ)

 吉野はグラスに手を伸ばしたが、そこにブランデーが大して残っていないことに気が付いた。その傍らにあるボトルは琥珀色の液体で満ちている。が、それを手に取ることはなかった。

 (まあ、実際に有能ならそれでいいんだけどね)


 吉野はスマホをずいと掴むとそこに表示された時間に満足げな驚きを示し、体を伸ばした。

 「時間だね」

 はっきりと一言呟くと、吉野は指輪をゆっくりと外し始めた。

 (まあ、そろそろ連中を黙らせるのに消さないとね。ちょうどよく1人、ああいう人間が嫌いな奴がいるし……ホント、うまく回っているよ。中々彼は上手だよ)


 最後の1つを外し終えると、吉野は鼻の穴を大きく膨らませて口元を歪めた。そして、肘掛けに両手を添えるとのそりと立ち上がり、スマホをテーブルから取ってポケットに入れた。

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