第37話 帰するな(4)

 広間に集まっている参加者の間には緊張が漂っていた。君島がいなくなったことでこれから話し合いを誰が仕切るのか、どうなっていくのか、そうした不安によるものである。要は影山が死んだ時と同じであった。ただ違うのは、昨日君島が死んだのは投票の結果が理由であり、つまり彼が最多得点を獲得したということである。ということは彼に投票した人がこの中に、何人かは分からないが、いるということであった。

 参加者の中に「昨日君島に投票した」集合と「現在不安を感じている」集合のどちらにも属している者はどれほどいるのだろうか。


 広間が薄暗くなるとそこに漂う懸念は一層色濃くなって、同時に、天井近くにモニターが現れた。

 「これから19日目の『透明な殺人鬼ゲーム』を始めます。参加者は全員、10分後に投票です。では、開始してください」

 ニニィはどことなくクールを装った声で開始の合図を告げるとモニターとともに姿を消した。


 「さて、私たちは今日の投票先を決めなくてはなりませんね」

 その発言はこれからの方向性をはっきりと決定付けた。言ったのは……松葉だ。

 「これから先、何が起こるのかわかりません。徒に優秀な人が死んでいったら……私たち全員の生存が難しくなります」


 (昨日の今日でよくもそんなことを)

 加藤はちょうど立ち上がった松葉を睨みつけた。


 「と、言うことで、この中で全員にとって不要な人物を決めましょう」

 それは極めて直接的であったが、今日、行うことであった。今までと違いはない。強いて言えば理由が少し違うということくらいであるが、これまで全員が行っていたことであった。

 子供たちが身を縮ませ、老婆たちは肩を震わせ、何人もが目線をさっと下に逸らす。


 「全員が生き残るのには、今日投票する先はそうですね……」

 松葉は薄い笑いを貼り付けたまま顎に手を当てて首を傾けた。

 「一般的にはいわゆるごく潰し、能もないのに食事は人並み以上に摂る人物ですね」


 真っ先に噛みついたのは――笠原だった。ダン、と足を鳴らして立ち上がった。

 「それは、腕力も知恵もない者に価値はないということですか」

 彼は握り拳を震わせて今にも飛びかかろうと前のめりになっていた。淀んだ瞳が松葉を確実に捉えている。


 ただ松葉にその脅しは全く効果がないようであった。彼の細い目が笠原を捉えた。

 「子供には柔軟な発想がありますし、相応の分しか食べ物を消費しないと思いますね。個人的には外してもいいのではないでしょうか?」


 笠原の拳が緩み、その目が大きく開かれ、頬がわずかに下がる。彼の周りに座っている子供たちと二瓶は顔を上げた。ほんの少し安堵した空気が漂う。その隙を松葉は見逃さなかった。

 「……もちろん、よほど出来が悪くない限りの話、ですよ?」


 「それじゃ、あたしたちはどうなんだい?」

 吉野が口元を歪めてしわがれた声を出した。


 「同じですよ。いわゆる年の功がありますし、消費量もそう多くないでしょう?」

 松葉が全く同じ調子で同じことを言うと、吉野がますます口元を歪めた。他の老婆たちは胸を撫で下ろし、明らかに安心する様子を見せた。


 そうなれば、誰、と具体的に名前は言わなくても参加者の視線の集まる先はだんだんと絞られていく。


 水鳥がさりげなく割り込んだ。

 「つまり、これから先何が起こるか分からない。実力以上に消費する方は……残念ながら……」


 「ええ。少なくとも今日、この中から1人犠牲になる人を決めなくてはなりませんですよね? それなら全員が生き残りやすいようにするのが――」

 「おい!」

 時田が突然大声で叫んだ。


 「結局50人死ぬじゃねえか! 生き残りやすいってのは嘘だろ!」

 その顔にはにやつきが浮かんでいる。相手の粗を見つけたと思って調子づく彼の隣に、同じ顔をする中川の姿があった。


 「ああ」

 松葉は時田の方を機械的に向いた。

 「自分の実力を使って生き残りやすくなるということです。単純な確率で生き残るよりも自分の実力を発揮して少しでも確率を上げたいと思いませんか?」


 「いや、それは……」

 反論することはできない。誰もが求めていることであった。できるだけ自分が有利になるようにゲームが進むことを望んでいた。


 「他の方はどうでしょう? 5割で生き残るのと、5割以上で生き残るのと」

 松葉が話すのを止める者はいない。元々、広間で松葉が話すほとんどの内容はそれ以前のミーティングで決められていることである。つまり、今までは、ミーティングの段階である程度彼の言動は制御されていた。


 「さて、この中で一番――」

 「相手にも弁明の機会を与えなくてはなりません」

 猪鹿倉が冷たい声で割り込んだ。

 「自分が該当するかもしれないと思っているなら、投票されないように説明する場を設けるべきでしょう」


 「確かにそうですね」

 「ですから、自分がそうだと思う方は全員に説明してください」


 視線が交錯する。誰も立ち上がらないし、手も上げない。口も開かない。誰かが誰かを観察していて、その誰かを別の誰かが観察する。スマホで誰かと連絡を取る者、隣と小声で何かを話す者、目立たないように縮こまる者……。しかし、面々の中から猪鹿倉の言うように名乗り出る者はいない。時間が流れていく。


 自分から声を上げれば無能のレッテルがより強く貼りつき、票を集中させる要因になる。しかし、うまく自分の価値を示すことができれば投票されない。逆に目立たないようにすることで候補から外れれば投票されることもない。どちらにしても一番能がない人物だけが対象である。

 猪鹿倉が言ったのは「自分がそうだと思う方」であった。「自分がそう思われる可能性のある人」ではなかった。広間に自分で自分が最も無価値と思っている者はいなかった。心の中に浮かべた誰かより、少なくとも価値があるという客観的事実、あるいは驕りがあった。


 (まあ料理ができない人より役に立つでしょ?)

 (どこで生きていくにも腕力はいるだろ?)

 (お勉強しかできない人はそんなにたくさんいらないし、そう考えると子供も老人もいらないんじゃない? 足手まといだし)


 松葉、吉野や水鳥、時田や中川、沈黙があれば口を開き持論を展開できる者たちは、声を上げない。あまり話をしない参加者たちはその無言の圧に歯向かわない。その必要がない人もいれば、そうでない人もいる。少なくとも1人は選ばれるのだから。しかし、誰も全員の注目を集めないまま、刻一刻と時間が消費されていった。


 「はい、投票の時間になりました」

 天井に現れたモニターからニニィの声がすると参加者たちは暗闇の中で孤立した。彼らは誰を不要な人物と思ったのか、そしてその人物に投票したのかしていないのか、誰にも知られることではなく、参加者たちが元の集団に戻ると、広間の中央に透明なケースが置かれていた。

 「今日の犠牲者は、沼谷光代さんです」





 (不要な人物……)

 加藤の目の前には大小様々な白いブロックに沿って途切れた円状に並ぶ参加者たちがいた。

 (子供でも老人でもなく、アイディアに期待もできない……、誰よりも飯を食いそうなのに俺たちみたいに力仕事もできない……。頭もよくない……)

 その人物は、松葉の言っていた特徴を備えていると言えばそうであると加藤には思えた。


 (事前に名指しされていれば……されていても変わらなかったのか、多分)

 加藤は奥歯をかみしめた。うまく言葉にできない怒りを感じずにはいられなかった。松葉が直接名指ししなかったのは責任逃れをしてヘイトを自分に向けないためであると加藤には薄々分かった。あくまでもそれぞれが選んだ結果ということになっていた。


 「始めますね」

 ニニィがやけに淡々と告げると、参加者たちのばらけた意識は1ヶ所に集中した。


 沼谷はケースの中でへたり込み、裂けそうなくらいに口を開き、涙をこぼしているが、その体がわずかに浮き上がり、異常に気付いて立ち上がろうとして前のめりに倒れ込み、不自然に沿った形のまま振り子のように揺れて、足先から滑るように持ち上がり半回転して、体を動かしても逃れることができず、もう半回転して、回り、回り、その勢いはどんどん増していき、回り、回り……、沼谷を回転させている何かが止まっても慣性で肉体の動きは止まらず、その勢いのまま赤黒い円が空間にグルグルと描かれていき、布片や皮膚、脂肪が少しばかりの彩を添えて、最後に止まった沼谷の崩れた顔から嘔吐物がゴプッと漏れた。


 「また明日ね」

 ニニィが淡白に別れを告げ、モニターが天井近くから消えるとすぐさま嘔吐が始まった。いつもと違うのは、何度も嘔吐していた子供たちの他に沼谷と年の近い中年女性たちの中にも混ざっていたということであった。



**



今日の犠牲者 沼谷光代

一番大事な人 夫


 専業主婦。元々太り易い体質であったところに食っちゃ寝を繰り返して成長した。ただし家事はきちんとこなしているし、現状大きな病気にもなっていなかった。好物はチョコレートのかかったポテトチップス。本人曰く小食。最近の悩みはトイレまでの廊下を歩くと床から悲鳴が聞こえること。夜中トイレに行くたびに音がなるものだから家族を起こしてしまわないか、と心配していた。だからと言ってダイエットを始めることもなく、廊下の板を張り直すわけでもなく、ゆっくりと歩くことで何とかしようとしていたが、当然音が鳴らなくなるはずもなかった。

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