第36話 動け(4)
時田の部屋はいつにもまして騒がしかった。その音源となっているのは浴びるように酒を飲んでいた時田と中川であった。毎度のように行われていた催し物はこの日、誰にも求められていない。その証拠にステージ上には誰も上がっていない。その代わりに誰かしらが常に口を開いており、それ以外の者が食べる飲む喫う、そして聞き手に回った者以外は交代交代でその逆をして、という塩梅であった。
「やっぱり世間で売れている奴はロクでもないことをやってたんだなぁ!」
時田は大声でもう何度目になるか分からない台詞を吐いた。酔いの回りきった赤ら顔に満面のニヤケを浮かべると、タバコの煙を音が出そうなくらいに吸い込んだ。
「だよな! ロクでもない奴と付き合ってたんだ、どうせ似たようなことをやってたんだって!」
負けず劣らず口を大きく開けているのは中川である。彼もまた同じようにタバコを口元に運ぶと、部屋の中に煙をまき散らした。
「成功している奴ってのはさぁ、違法なことやって、人より得してるんだろ? あいつみたいによぉ。やっぱ世の中ってそうなってんだよ! そういう奴に限って、おもて面はいいんだよな。マジで世の中狂ってるぜ」
いつのまにか時田の手には歯型のついたフライドチキンが握られている。それを左右に揺らしながら持論を展開していった。
「俺たちみたいにまともに生きている奴が損するんだって、今の日本は! 上級国民の家に生まれなければ何をやっても無駄なんだよな!」
中川の手に握られているのは生ビールの半分ほど入ったジョッキであり、話しながらその水面は小刻みに揺れている。
時田は骨だけになったフライドキチンを醤油のわずかに残った皿に放り投げた。そして、ビールもろとも口の中のものを胃に流し込み、再び部屋に声を響かせた。
「努力しても結局そういう奴らに潰されて、搾取されてんだって。だから俺たちの生活は苦しいんだよ、なあ?」
彼はもう一度ジョッキを口に運んだ。中川もまたジョッキを傾けていた。
話者のいない空間が一瞬、静かになる。
「いやー、でも神様は見ているんですねぇ」
誰かの呟く声が聞こえた。声の主は赤ら顔で小刻みに揺れる出澤であった。
中川がジョッキをテーブルに勢いよく置き、「え、何? どういうことだよ!」と加減の利かない声量で新たに出現したトピックに飛びついた。時田も煙草を灰皿に押し付けて「出澤さん、何なん?」と尋ねる。
「結局、悪人とつるんでいた君島が死んだじゃないですかぁ」
酒気交じりの声を漏らす出澤の頬の筋肉はゆるんでいるし、目の焦点も合っていない。彼は手を大げさにブンブンと振りながら笑って「あれってことですよぉ」と言った。
「ああ! あれだよな! あれ!」
時田が笑顔で連呼すると中川も「そう、あれだよな!」と同調した。しかし、2人ともその「あれ」を言語にすることができず、ごまかしながら出澤の方に目を向けた。その視線に彼は答えた。
「天誅ですよねー」
「そう! 天誅! それ!」「天誅! 天誅!」
2人が水を得た魚のようにますます声のボリュームを上げていく。
「いいっすね、天誅」
畚野が同意すると、他のメンバーも「天誅かぁ」「天誅ねぇ」と口々に呟いた。
坂本がハイボールのグラスを握りながら眺め、声に出した。
「あーマジで、ゲームが終わってからも、こういうの起こらねえか、なあ?」
「だよな!」
時田がますます朗らかになっていく。
「上級国民だろ? 結局犯罪とか汚職とか、やっても揉み消される連中にさぁ、今までいい思いしてきたんだから、それで平等じゃねえか」
「まあ、死んでもどうせそこのガキに金が行くんだけどよぉ!」
中川がにんまりとほくそ笑んだ。
「どうせなら一家で死ねばいいのになぁ! ガキも親の汚ねぇ金でいい生活してんだから同罪だろ!」
そして、端の方に固まっている未成年たちの方を向いた。
「おい! お前らもそういう奴らと関わんなよ! 巻き添え食うぜ!」
「どうせ上級国民の子供じゃねぇとウマい仕事には就けないんだからよ! 媚びても使い捨てになるだけだぜ!」
時田もヤジを飛ばす。その手には枝豆が握られている。
「まあ、だからって働かないとか、刑務所行きとかやめろよ? 俺たちの年金だってギリなんだから! お前らが搾取されなきゃ俺たちが野垂れ死ぬって!」
中川が大声で笑うと、つられるように大人たちは笑った。
加藤は静かに冷酒を呷った。
(ふざけんなよ。君島だって努力したから医者になったんだろうが。なんで自分たちがダラダラ過ごして、それで毎日ちゃんとやってる連中と差がついたからって)
普段は考えないようにしていたものが自然に浮かんでくる。何故ならば、その考えは他ならぬ加藤自身にも突き刺さるものであったからであった。
(俺もああならなかったら、今頃あいつらと同じように……。もう手遅れなんだ……)
再び時田と中川の会話はループし始めた。それを焦点の合わなくなりつつある目で見ながら彼はifの世界を想像した。もしかしたら今頃はもっと収入があって、それなりの会社のそれなりの地位にいて、実力も経験もついていて、将来に対する希望もあって、何よりも、もしかしたらこのゲームに参加することもなくて……。
(戻れないんだ……。落ちていた時間は戻ってこない……)
加藤はスポイルされたときのある光景を思い出してしまった。深夜の暗い安アパートでどうしようもなく動けなくなって、カーテンの隙間から漏れる街灯の明かりが消えるまで何もできなかった毎日を過ごしていたことを。
(ちくしょう……、ちくしょう……)
しかし、彼はその原因のいくらかは自分の弱さであるということを知っていた。知っているからこそ、前に進む意志を貫くことができず無為に時間を過ごしていた自身に怒りを覚えずにはいられない。考えても、無駄であった。
(ちくしょう……)
**
時間
ラーメン屋に入って注文してから品が来るまでが年々早くなっている気がする。しまいには店に入ったらもう置かれていたりするかも。それから、年々アナウンサーが話すのが遅くなっている気がする。ニニィ的に倍速くらいがちょうどいい。同じことを何度も話さなくていいんだよ、さっさと要点をまとめろよ、って思う。
あとは、言葉遣い。何でもかんでもカタカナ半濁音を使って、過剰に柔らかく甘くぬるくしている。みんなすぐにボケて病気になると思う。頭の回らない人に合わせていったら国のレベルがどんどん下がっていく。あるいは国賊による国力衰退を謀った作戦なのかも。それはともかく、大昔から言われていたことだけれども、今の時代は全く……ってニニィも齢千を超えてようやく思うようになったのでした。ちゃんちゃん。
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