第36話 動け(3)

 夜遅く、水鳥は両膝に両肘をついて木の椅子に座っていた。壁際に置かれた何も書かれていないホワイトボードを見つめながら考えていたのはニニィが発表した情報、というよりもそれに関連する疑問であった。

 (もう一度考えよう。西堀の一番大事な人は柘植になっている、というのが柘植の言い分だ。しかし、発表された情報は異なっている)

 目の前のホワイトボードに2人の顔を思い浮かべる。矢印を一本引いて、クエスチョンマークをそばに置く。


 (まず、柘植が嘘をついていた可能性。僕でも見抜けないような演技を一般人の彼が……)

 水鳥は小さく笑った。

 (ありえない。さらに、嘘をつくリスクを冒して接触してきた理由が分からない)


 (次に……ニニィの公開した情報が意図的に間違えられている可能性。でも……)

 彼は眉間に皺を寄せた。彼の知る限り、自分のもメンバーのも、そして今日投票された君島のも本人の認識している人物と同じである。

 (これも……あり得るだろうか? ゲーム自体が成立しなくなってしまうし、そういうことをニニィは嫌っているはずだ)

 頭をよぎったのは10日目の出来事であった。

 (一応可能性として、あの2人が……ニニィから贔屓されていると考えることもできるけれども……それこそ想像の域を出ない)


 部屋の中には何脚か椅子が並べられているが、そこには目もくれず、変わらず視線をホワイトボードに向けたまま、水鳥は何度目かになる考えを巡らせていく。矢印や記号、テキストボックスを動かしていく。そうして辿り着いた予想は同じであった。

 (ニニィが公開した情報は、開始時に登録されたものだ)


 (なるほど……。柘植のおかげで分かったわけだ。悔しいけれども)

 彼はペットボトルの水を一口飲むと、小さくため息をついた。

 (今のところ、このことは他に漏れてはいない。滅多なことがない限り一番大事な人が簡単に変わるはずがない)


 (犬塚は……危なかった……)

 水鳥はメンバーの中でも、彼女が突出して自分に熱烈な感情を向けているのがよく分かっていた。それは彼が今まで出会った人物と比較しても明らかに上位に食い込むものであった。たとえ表面に現れない情動であっても、普段からその手の念に晒され続けている彼にとって見破ることは容易かった。


 (あと数日、彼女が長く生きていたら……)

 握っているペットボトルから、ピシ、と音が鳴った。

 (一番大事な人が切り替わることをどこかで話したかもしれない。あるいは自分のが誰に変わったのか話したかもしれない。そうなれば……僕は死ぬ)

 水鳥の両手足に冷たいものが走った。


 (そうでなくても、特別扱いを求めてきたに違いない。そしてそれをライバルに見せつけようとするから、グループのバランスは崩れるし、何故そうなったのか推測されれば……結果は変わらない)

 彼はもう一口水を飲むと背筋を伸ばした。

 (やらないでほしいと頼んでも、これが本音だからと、我慢できないと、そう言って、結局、自分の感情を制御しようとしない。ハイになって周りが見えなくなるし、それを正当化する。そして、後先考えない)


 水鳥は大きく息を吸った。仄かなミントの香りが肺を満たす。そして、一旦息を止めてからゆっくりと吐き出し、立ち上がった。

 (僕の身にかかる火の粉は振り払う。グループに振り掛かるものも、だ)


 (ここではその一度きりのミスが死に直結する。ある意味でリスクは思っていたものよりも小さかったけれども、0じゃない、はずだ)

 彼は寝室に向かうために、明るいリビングから薄暗いダイニングキッチンへ足を進めていった。途中、照明が勝手に切り替わり、つい先ほどと逆転した。

 (引き続き彼女たちには、ここの外側の生活に。僕に依存しないようにしなければならない)


 (グループが生存できるように。僕ならできる)

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