第35話 動くな(4)
広間には既にほとんどの参加者が集まっており、隣同士でひそひそと会話をする姿がやけに目立っている。理由はほとんど全員が分かっていた。午前中にニニィが発表した情報、つまりスマホに反映されたそれを見た者であれば誰かと事前に話していなかったとしても、今日、話し合うテーマは分かっていた。
薄暗くなるとそこは一瞬のうちに静かになった。その代わりにモニターの中のニニィが甘ったるい少女のような声を出した。
「はーいっ、それでは『透明な殺人鬼ゲーム』、18日目の開始です。投票は10分後、全員参加していますね。始めてくださいっ」
「まあ」
吉野は真っ先にヒキガエルが潰されたような声を出して、注目を集めた。次の台詞を言うまでにもったいぶりなおのこと注意を引き付け、ほくそ笑むと「みんな話が聞きたいだろう」と一点を指差した。
「彼と、阿伊居宇江雄との関係さ。どうして彼の一番大事な人が世間を騒がせている大量殺人犯なんだい?」
「お答えします」
宣告が終わるや否や素早く立ち上がった人物、君島は今までと変わらずはっきりと言い切った。
「阿伊居と私は同郷で、同い年でした」
(真っ向から肯定か。同じ名前の別人、システムのバグ……。言い訳は思いつくが、まあ、調べられれば終わりだ。それならばここで決着すると判断したのか)
柘植は君島の言葉に周りと同じように驚きながら、件の人物に暗い愉悦を浮かべている人物たちを視界の隅に見つけた。
「彼は私の親友でした。当時から頭がよく回りましたから、毎日退屈していました。だからこそ私たちは親しくなったのです」
君島は柔らかく手を握ったまま、どこか声に温かみを持たせて説明を行っていく。
「それだけで一番大事な人になるのかよ!」
時田がいつも以上の大声でヤジを飛ばす。口元のにやけが隠しきれていない。君島はただ事実を伝えていく。
「互いに学び、考えることが好きな性格でありながらも、地域柄浮いてしまっていましたから、唯一理解し合えるのがお互いだけでした。だから、彼が私の一番大事な人になっているのでしょう」
「でも、元々犯罪者だったんじゃない?」
鳥居が冷たく口を挿んだ。君島はほんの一瞬、冷めた目で相手を見た。
「高校を卒業するまで一緒でしたが、今、振り返っても彼は全く普通の性格でした。それは違うと断言します」
「なんとでも言えるじゃねえか!」
時田が吠えるが、君島はつられて声を荒げることもない。ただ、淡々と説明していく。
「そこで別れた後、彼に何が起こったのか、実のところわかっていません。勿論警察にも協力して彼に関するあらゆる情報を伝えました。しかし、捕まっていないというのが現状です」
(君島のグループのメンバーは誰もフォローに入らない……。見限ったということか。彼の周りだけ妙な隙間が空いている。どういうやり取りがあったかはわからないが……)
そして、このどうでもいいゴシップに終止符を打ったのは吉野だった。
「へえ。君島サンがどうやら悪人じゃないってことは分かったよ」
醜い顔を歪ませて口から放ったのは、参加者にとって耳触りの良い大義名分であった。
「でも、阿伊居は今でも生きている。誰かを殺すかもしれないわけだ。家族や友人が襲われるかもしれない。ただ、今ならさっさと始末することができるじゃないかい?」
君島はゆっくりと瞬きをした。
「それは、私に票を集めるということですか」
「身内が襲われた後じゃあ後悔してもしきれないだろう?」
「阿伊居の居場所はこれからも探し続ける。私財を投じて調べている。彼がなぜそうなったのかを白日の下に曝し、同じことが二度と起きないようにして、そして、法の裁きを下す必要がある。それが、民主主義です」
「どうせ、死刑だろう? 裁判が長引いて、最高裁で確定して、それから奴が地獄に落ちるまでに、どれだけの時間がかかる? どれだけの税金がかかる?」
2人のやりとりのどちらが真っ当なのかはともかく、参加者の心情がどちらに傾いていくのは明白なことであった。第一、阿伊居云々を抜きにしても自分が死ななければ誰が代わりに死のうが大差ない。
君島に冷たい視線が次々と突き刺さっていく。
「私は脳外科医だ。医者だ。もしも、このゲーム中に誰かが怪我をしたら、体調を崩したら、感染症が流行ったら、誰が診断して治療する?」
客観的に自分自身に投票するべきではない理由を述べていくも――。
「宮本さん助けられなかったし」
「ここ、体調が悪くなることないでしょ?」
話が通じなくなった集団には再考をしようともしない。
「可能性は0ではない。何が起こるか分からない」
「てめぇが助かりたいだけだろぉ!」
「代わりに誰に死ねって言ってるの?」
何を言っても、もはや聞く耳を持つ者はわずかであり、その彼らが表立って見方をするかと言えば、できない。翌日の投票先が自分になるのが明白であるためであった。
「冷静に考えてほしい。この『透明な殺人鬼ゲーム』は未知の領域だ。自分自身が助かりたいという思いはもちろんある。しかし、だからこそ、医師が必要だ。このゲームが終わったら必ず阿伊居を探し出し、罪を償わせる」
君島は瞳に、一言一句に、強い力を籠めながらも、その声や表情を荒げることもなく伝えようとするが、一度傾いた天秤は元に戻ることもなかった。
「あんたが見つける前に身内が殺されたら世話がないだろう?」
最後に吉野がもはや隠すまでもなく嘲笑うと、徳田や沼谷が同じような薄汚い笑みを浮かべ、ひどく濃縮されたインクが湖に落とされたように、薄まることもなく広がっていった。
「はいっ、それでは投票の時間になりました」
ニニィの合図とともに参加者の周囲は洞窟内部のように真っ暗になり、スマホのバックライトがぼんやりと光る中、それぞれが思い思いの投票を行い、そして、元の明るさに戻ったとき、透明なケースの中にいたのは大多数の予想する人物であった。
「今日の犠牲者は君島浩樹さんです」
*
参加者たちの視線は円状に並んだ白いブロックの中央に置かれた透明なケースに固定されており、そこから体を動かすことができない。しかし、その表情を変えることくらいの自由は利いている。彼らがとったリアクションは多様であった。
昨日と変わらず自分が助かったことに安堵する者、影山に続いて君島がいなくなることでこれからの展開に不安を感じざるを得ない者、成り上がりの上級国民の失墜に薄暗い悦びを感じる者……。誰が誰に入れたのかはその人だけが知ることであるが、しかし、いくつかのあからさまな表情は物語っていた。
君島は自分が透明なケースに入っていることを把握すると、ゆっくりと目を閉じて穏やかな表情をとり、床に座ってあぐらを組んだ。そして、背筋を伸ばすと目を閉じ、両膝に両手を置き、指を動かし始めた。
「始めます」
ニニィは静かに言った。
親指と人差し指で輪を作る。次に親指と中指で、その次に親指と薬指で、その次に親指と小指で、……それを繰り返していく。
(サ、タ、ナ、マ……)
それは眼前に迫った死と痛みに対する恐怖から自分の精神を遠ざけるものであった。
すぐに君島の吐く息が白くなる。その色はどんどんと濃くなって、弱くなっていき、肌が土気色になり、全身の動きが止まっていき、指が微動だにしなくなって、白い煙が出なくなった。
「みんな、また明日ね」
冷凍された君島の入ったケースは白い床に沈んでいった。
ニニィの映っているモニターが消えると参加者は体の自由を取り戻した。彼らは
思い思いに自分たちの部屋に戻っていった。いつもなら吐き気を抑えきれない者は君島の静かな死に方に胸を撫で下ろしていた。
**
今日の犠牲者 君島浩樹
一番大事な人 知人男性(大量殺人鬼 阿伊居宇江雄)
その分野では十本の指に入る脳外科医。子供の頃、高IQ故に話の合う相手がいなかった。唯一の理解者は同レベルのIQを持っていた阿伊居のみで、小学校から高校まで彼らは魂の友としてお互いを認め合っていた。上京のときに別れたのが最後。以来報道で阿伊居を見る度に何とかしてやりたいが、彼の行いは到底許されるものではないとジレンマを抱えていた。それでも阿伊居がいなければ自分はこの世にいなかったと恩を感じており、いつか昔のように彼と再び友情を結びたいと願っていた。
なおニニィがアブったときはちょうど脳手術の前であった。患者は中東の石油会社の大幹部。君島が死ぬということはほぼ間違いなくこの患者も近いうちに死ぬということであるし、後に手術を控えている人たちも軒並み助かる見込みが絶望的になるということである。
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