第35話 動くな(2)

 広間には昼前にもかかわらずほとんどの参加者が集まっている。昨日ニニィの言った新情報を真っ先に知ることでこのゲームで有利に立ち回ろうとしているのかもしれない。またはニニィの言う通りにしなければ不利になると思っているのかもしれない。ただ、ニニィは一言も「集まるように」とは言っていない。


 柘植と瑞葉は広間の隅の方に隠れるようにして立っていた。彼らの前には時田と中川たちが大柄な体躯に似合わずひそひそとしながら固まっている。他の参加者もそこまで露骨ではないもののある程度まとまって待っていた。


 そして、定刻になると天井近くにモニターが現れた。中のニニィは左右に小さく揺れながら参加者の方を見つめた。

 「最近マンネリが続いているよね? だからここでテコ入れしまーす」

 その表情を読み取ることはできない。そもそも彼女の顔のパーツは動かない。さらに、普段なら必要に応じて描かれている、それをフォローするような感情記号もない。何を発表するのか、次の言葉があるまで分からない。そして――。


 「今回はなんと、みんなの一番大事な人を発表します!」

 広間の空気が一瞬で凍り付いた。


 そこにいる参加者たちは一様に怯え、表情をこわばらせた。その中で一際怯えているのは……二瓶の周りにいる小学生たちだったが、周囲にそれを気にする参加者はほとんどいない。自分のことに注意を持っていかれている。

 そして、瑞葉が柘植の服の裾をギュウウと握って引っ張っていた。


 (まずい! まずい! まずい!)

 柘植は体の筋肉が不自然に硬直し、脱力するのを感じた。体が反射的にバランスを保ち立っているに過ぎないが、いつ倒れてもおかしくない。

 (瑞葉! 瑞葉は?)

 隣にいる彼女を素早く見る。ポーカーフェイスを貫いて立っている。しかし、それは恐怖で固まっているだけだと多少の付き合いがある柘植には分かった。


 (死ぬ! 死んでしまう!)

 呼吸が荒くなる。心臓が早鐘を打ち、頭に血がドクドクと流れる。視界は急にクリアになって、時間がゆっくりと流れていく。しかし決して逃げ場はない。ニニィが次に起こす行動を待つことしかできない。

 (殺す、か? あと、30人、今、ここで。……できない。捕まるし、逃げられる。『ににぉろふ』で毒ガスの類は出せなかった。どうする? どうやって生き残る? どうする?)

 柘植は脳内で思考を激しく巡らせているが、この状況を打開する方法を思いつかない。無情にもニニィの次の言葉が柘植の耳に入ってきた。


 「はいっ。公開しました! 『投票箱』の参加者リストのところに情報が加わったよ。あと、ここのモニターにもしばらく映すからね、バイバイっ」


 ニニィを映していたモニターの表示が切り替わり羅列された名前がスクロールされ始めた。各モニターにそれぞれ別の名前が流れている。

 柘植は吐き気をこらえて震える手でスマホを持ったが、できることはない。力なくモニターを見た。そして、上から下にスクロールする沢山の名前の中に自分と瑞葉を見つけた。


 『柘植廉 一番大事な人 能登竹緒』

 『西堀瑞葉 一番大事な人 佐原絹江』


 (私、じゃない?)

 頭を巡っていた血液がサーッと体中に戻っていく。隣にいる瑞葉がふらふらとよろつくのが柘植の目の端に映った。モニターを見ていない。ジャケットを握りしめた手で姿勢を辛うじて保っている。柘植はすぐさま誰にも何かを気取られないように「カードキー」を使い、震え出した瑞葉と一緒に自分の部屋に戻った。





 自分の部屋に戻った柘植はすぐに瑞葉の様子を見た。顔は青ざめており、瞬きをしておらず、唇が震えている。

 「瑞葉、瑞葉? 大丈夫か? 何とかなった。安心して」

 ガタガタと震えている瑞葉としゃがんで目を合わせ、柘植は彼女の肩を軽く揺すった。

 「落ち着いて、大丈夫だったから、落ち着いて……」

 柘植は呪文のように唱え続ける。瑞葉の精神状態を慮っていることはもちろん、彼はある懸念を抱いていた。

 (このままだと、今日の話し合いで悪目立ちする。つまり……2人とも死ぬ!)


 彼らはただでさえ一度目立った存在である。それに加えて、普段は一般的な小学生らしく怯えている瑞葉が明らかに見て分かるように混乱していたら、その理由はつい先ほど発表された内容だと考えるのが普通であろう。そうすれば瑞葉と彼女の一番大事な人との間に何かがあると考えられて、投票される。本当に何かがあるのかどうかのかは関係ない。可能性、あるいは疑念を抱くことができれば何でもよいのである。自分が死ななければ何でもよいのである。


 柘植は必死に「瑞葉!瑞葉!」と呼びかけると、やがて彼女の目の焦点が合った。

 「ほら、瑞葉の一番大事な人は私になっていない。佐原絹江という人物になっている」

 柘植はスマホを素早く操作すると「投票箱」の名簿を見せる。瑞葉は大きく目を見開くと膝の力が抜けたようして柘植の方へ倒れ込んだ。彼は不器用にその頭を撫でた。

 瑞葉は脱力したまま柘植にされるがままにしていたが、すぐにしがみつきながらもぞもぞと右手を動かした。そしてポケットからメモ帳を取り出し、そこに素早く、瑞葉にしては雑な文字を書いた。

 『ちがいます、つげさんです』


 「うん。信じているから」

 再び混乱し青ざめそうになる瑞葉をなだめつつ、柘植は初日の彼女を思い出した。嬉しそうにメモ帳を見せられて、彼女の一番大事な人が誰なのか、それは自分自身であると打ち明けられたときの、あの瑞葉の振る舞いを。その中で、最も印象に残っているのは例のメモを見せた時の瞳であった。記憶の中、かすれかかった色味の中でその色だけは爛々と鮮やかであった。

 (あの桃色の瞳は、間違いない)


 「大丈夫、分かっているから。大丈夫」

 (瑞葉から見れば、私には瑞葉が嘘をついているように見えてしまっている。そうすれば、一緒にいるメリットがないということになる。それどころか、今まで裏切っていたとも捉えられかねない。何故私が彼女の一番大事な人になのかは一旦置いておくとして、その私から不審に思われるのは不本意だろう)


 「分かっているから。分かっているから」

 (普段は冷静で物分かりがよい子供だが、完全にパニックを起こしている。しかし、瑞葉の言う通り彼女の一番大事な人が私ならば、……間違いなくそうなのだが、ニニィがその通りに発表していれば、私も彼女も死んでしまっていた)


 「大丈夫、信じているから」

 柘植はできる限り優しい声を出しながら彼女の背を撫で続けた。彼が信じたのは自分自身の観察と経験、彼女の言葉であった。



 数分後、瑞葉は落ち着きを取り戻しが、彼女は未だ柘植に張り付いたまま、自分のスマホに表示した「投票箱」の『一番大事な人 佐原絹江』と書かれた自分自身のプロフィールを見つめていた。柘植は新たに生じた疑問について瑞葉に尋ねた。


 「瑞葉、その佐原絹江さん? がどういう人物か知っている?」

 瑞葉は柘植の方を向くと素早く首を横に振った。


 (私の一番大事な人の名前は間違っていない。他の人のも同じ苗字の人物が多かった。ニニィは嘘をついて場をかき乱すことはしないだろう。ゲームが成立しなくなる。しかし、嘘をつく可能性は……、今までついたことはないようだが……)

 いくつかの矛盾していそうな仮定を元にしばらく考えて、柘植が導いたのは彼自身にとってもっともらしい、しかしやや無理がある結論であった。

 「おそらく……この人物は、瑞葉が記憶を失う前の知り合いだと思う」

 瑞葉は小首をかしげた。


 「ニニィが公開したのは本人の言う通り参加者の一番大事な人だろう。ただし、このゲームに巻き込まれた直後の一番大事な人の名前だ。私と瑞葉が出会ったのはこの空間に拉致された後だ。ニニィが参加者たちに一番大事な人を伝えたのはその後だから、瑞葉の知らないうちに変わっていたと考えるのが一番それらしいと思う」

 柘植は話しながら彼女を見つめた。瑞葉は聞き終えると少しの間、彼の顔を見つめてからコクリと頷いた。


 「助かった……」

 柘植はようやく安堵すると体の力が抜け、瑞葉にしがみつかれたまま床に座り込んだ。瑞葉が柘植からようやく離れると、柘植は「大丈夫」と一言伝えた。

 彼は「ににぉろふ」を使って水入りのペットボトルを2つ取り出すと、その1つを瑞葉に渡してから喉を潤した。


 「ただしまだ、ニニィが嘘をついている可能性も決してないわけではない。まずは、今日の話し合いで他の参加者がどういう反応をしているのかを確認するべきだと思う」

 瑞葉が頷くのを確認して、柘植は方針の確認を行う。


 「今、広間に戻るのは不自然だ。何が起こっているのか気になるけれども……。私と瑞葉の様子を見ていた人がいるかもしれないし……」

 柘植は「ににぅらぐ」を立ち上げた。今のところ、ニニィは参加者と会話をしていない。

 「少なくともモニターに向かって怒鳴り散らしていた人はいないようだ。参加者間で何かあったかもしれないが……それは問題にならないだろう。注意がそちらに向く」


 柘植は再び水を飲むと、深呼吸をし、ごくりと唾を飲んだ。

 (助かった……。それに、人としての一線……いやそれは今更の話だ……)

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