第34話 祈れ(3)

 夏里は夕食を終えた後、大型のモニターに外国の観光ドキュメンタリーを流して時間を潰していた。彼女は特段それに興味があるわけではなかったが、少なくとも彼女にとって、直近のDVDが出ているテレビ番組の中ではそれくらいしか面白いと思えるものが浮かばなかった。

 それはDVDを見ているというより、むしろ聞いているだけに近い。眠気が来るまでの時間を埋めているだけである。そうしていればあまり深いことを考えなくてもよい。犠牲になった誰かの死にざま、自分が死ぬかもしれない恐怖……。もっとも、今の夏里に限っては別に意識を逸らすことのできるものがあった。


 彼女は皺まみれの手で毛量の減った白髪を撫でると、今日の話し合いで決められたルールを唱えた。

 「『入室の承認も入室も強要しない』って……」


 (ワタシ、仲間外れにされないよネ? 御法川サンも、江守サンも、そんなことをする人じゃないと思うけれどもネェ……)

 夏里は首を横に振ると、音の出ているモニターに目を移した。

 (明日のお茶会、どうしよう? 無理強いできないのよネ……。入室の承認を強要しないって、そういうことでしょ?)


 (ワタシがお誘いするのも……お誘いくらいはいいのよネ? でも、それで断られても……何も言えないのよ……)

 夏里はスマホを恐る恐る撫でてから手に取り、メッセージアプリの「7SUP」を開いた。

 (確認するだけよ……。でも、寝ているかも……。どうしてさっき会ったときに聞いておかなかったんだろう……)

 スマホをテーブルに置こうとしたが、寸でのところで手元に戻す。

 (電話じゃないでしょ。どうしても今までの常識で考えちゃうわ……)

 夏里は目を細めて、すぐに裸眼で扱うのは無理だと判断して老眼鏡をかけた。


 『夏里です。寝ていたらごめんなさい。明日、――』

 (無理に誘っているわけじゃないよネ)

 何かに言い訳をしながらいつも以上にゆっくりと文章を入力する。


 (『明日のお茶会はいつもより遅めの11時でいいですか?』 これだと……)

 夏里はぼんやりと天井を眺めた。シンプルなベージュの壁紙には凹凸がいくつもあって、それが何かの模様のようにも見える。

 (……)

 彼女は姿勢を戻すと文章を書き直した。

 『11時過ぎにお茶会を開こうと思います。よかったら来てくださいネ』


 夏里は2度深呼吸をして、ようやく書いたメッセージを御法川に送信し、それから同じ内容を江守に送った。



 (返事、返ってこないわネ……)

 彼女は壁に掛かっているアナログ時計を見た。メッセージを送ってからすでに30分近く経っている。

 (もう遅い時間だし、ワタシもいつもならもう寝るころよネ……)

 流しっぱなしにしていたドキュメンタリーを何となく目にしながらも夏里はしばしば時計に意識を奪われている。仲間外れになるという最悪の可能性をなるべく考えないよう、モニターに映るインド市街の雑踏に集中しようとしているが――無理であった。


 「どうしよう……」

 ついに夏里は眉に皺を寄せ、狙いの定まらない指先でモニターの電源を落とした。同期していたスマホが自動的に再生を止めた。


 (もう……もう、寝ようかしら……)

 普通なら返事が返ってきてもおかしくない頃である。スマホの右上にある小さなランプは点灯していない。つまり、メッセージは届いていない。

 (明日の朝になれば返事が来ているかもしれないし……。でも……)

 彼女はブルリと震えると両腕で体を抱きしめた。その場から動くことができなかった。



 返信が届いたのは夏里がもう寝室に向かおうかと考えた何度目かのことであった。振動したスマホに彼女は思わず距離を取ったが、鳴りやむとそれに飛びついた。

 『ありがとうございます。行きたいと思います』

 『わかりました。10時から広間に行かないといけないからですよね』

 微妙に問いかけと違う返事が返ってきたが、言わんとすることは夏里に伝わった。


 「ふーっ」

 彼女は胸を撫で下ろし、口を持ち上げた。

 『こちらこそよろしくお願いします』

 そして、素早くメッセージを入力すると送信を2度繰り返した。


 途端に疲れが体中を支配した。腰が重く、膝に力が入らない。夏里は椅子のひじ掛けを両手で掴み、全身の力を使って上体を持ち上げた。

 (明日……なんとかなったわ……)

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