第34話 祈れ(2)

 二瓶は自分の部屋に小学生たちを半ば無理やり招き、夕食を一緒に食べているところであった。柳原、渡辺、日高の3人はダイニングテーブルについて下を向き、二瓶はその様子を目にしながらも、右隣の空席の方につい目が動いてしまっていた。数日前までは座る者がいたその席に。


 今晩の夕食はミートスパゲティとコーンスープとシンプルである。ただし、それでもつい先ほど吐いていた渡辺や柳原にとってはやや胃に重すぎるメニューであった。その証拠に2人ともフォークを手に持ってはいても、口元に運ぶことはほとんどない。緩慢にクル……クル……とフォークにパスタを巻きつけている。日高は黙々と、ゆっくりと食べていたが、その動きは機械的であった。


 二瓶は自分の分を半分ほど食べ終えていたが、2人の皿が手付かずに近い状態にあるのを見て、胃が締め付けられるような感覚を覚えた。いくら彼女たちが十分な栄養を摂っているとしても、精神的に安定する何かを摂っているとしても、毎日誰かが死ぬ姿を見て吐いているのである。当然顔色は悪い。

 「ちょっとは……食べた方が……」

 声をかけられた2人は背中を跳ねさせるとますます俯いて硬直した。


 「……ごめんね。難しいよね……」

 二瓶は瞼を少し下げ、テーブルの隅に置かれた自分のスマホを手元にやるとやや棒読みがちに「栄養ゼリー2つ」と呟いた。彼女の手元にパウチタイプの栄養補給ゼリーが現れた。

 「ほら、ね、こっちだけでも飲んでおこうよ」

 二瓶は蓋を外すと2人に押し付けるように手渡し、じっと2人を見つめ続けた。


 「……うん」

 渡辺は小さく声を出すと両手で栄養ゼリーを持ち、小さく咥えて喉を動かした。柳原も声こそは出さずとも同じようにゼリーを絞り出し、口の中に入れた。顔色が土気色から自然な色味に戻っていく。


 二瓶はようやく頬を緩ませると再び自分の夕食に口を付け始めた。合い挽き肉の香ばしさがトマトを主体とした数々の野菜の旨味とともにパスタに絡みついており、噛むたびに口の中にとにかく旨さを溢れさせる。隠し味のニンニクが次の一口を無性に促す。コーンスープはやや薄味で、ミートソースの濃厚な味を飽きさせない。

 (こんなに美味しいのに……)

 老舗の洋食屋で出されるような誰もが幸せになるようなその味は、しかし、食べる人が全く受け入れようとしなければ、ただの塊となってしまう。仮に口にしても栄養のあるただの塊となってしまう。


 「……」「……」

 食卓には二瓶と日高が食器を動かす音が聞こえるくらいである。あとの2人は飲み終わったゼリーの容器をテーブルの上に置いて、膝に手を乗せて俯いている。


 (少しくらい……何か話してくれても……)

 二瓶の思いとは裏腹に誰も話さない。それは今日に限ったことではなく、彼女にとってそれは既に分かりきったことであった。

 (私が独りで話しても……何か疲れるし……。でも、私がいなくなったらこの子たちはどうなるの?)



 沈黙を破ったのは「ごちそうさま」という、二瓶が最後にコーンスープを飲み干した後に手を合わせて言った言葉であった。

 「ごちそう……さま」

 やや遅れて日高が追従すると、あとの2人も「……さま」「……ま」と何とか声を漏らした。


 (……)

 二瓶は虚し気に食べ終わった皿の上を見つめたが、しかしすぐに顔を上げた。

 「よし、じゃあ、歯を磨いたら時間までここでゆっくりしていよう」


 食事が終わったらあとは睡眠、というわけにもいかない。何故ならば、これから笠原の部屋に集合して明日の投票先を決めなくてはならないからである。何か意見を尋ねられることはなくても、行かないわけにはいかない。


 (もし、今日、誰かが出席していなかったら……)

 洗面所に向かう3人の姿を見送りながら、二瓶はふと考えた。

 (メッセージを送って、部屋に入れる子ならお見舞いに行って……)


 (でも、笠原先生はどうするんだろう? ……他の子は、思うんだろう?)

 彼女はテーブルの上に目線を移した。いつの間にか片付いている。

 (どうしよう……)

 二瓶は悪い可能性を想像した。その人をゲームから降りた者として扱うのかもしれない。昨日、佐藤が投票で選ばれた理由と同じである。皆が背負っているものから自分だけが逃れるような者がいるならば、排除されても不思議ではない、と。





 酒瀬川が空いた時間、つまり食事や睡眠などを除いた時間に何をしているのかと言えば、リビングの床に広げた紙の前に胡坐をかいて木のブロックにノミや彫刻刀を入れるこの作業であった。彼は10×10×25cmの木肌の綺麗な木曽桧を手探りで掘り出している。鉛筆で下線がざっくばらんに引いてある。彼の本職はラーメン屋であり、絵心があるとは言えないから何を作ろうとしているのか傍目には分かりにくいが、彼は仏像を彫りだそうとしていた。


 座っている酒瀬川の横にはハードカバーの重そうな仏像の図鑑が置かれているが、開かれた形跡こそあれど今は閉じており、斜めに放り投げられている。しかし刃は淀みなく木を削っている。

 (……)

 やおら手を止めると酒瀬川は目を閉じた。脳裏に浮かべたのは彼が生まれてから長い間住んでいた町にある小さなお堂、そしてその中にあった地蔵菩薩の姿であった。彼が作ろうとしているのは誰が作ったのかも分からないその仏像である。つまり、酒瀬川にとってかくあるべしというのはそこにある木製のものであった。


 自ずとその仏像だけではなく故郷の風景を思い出していく。お堂のあるやや開いた広場から民家と民家の間の、車の通れない細く曲がりくねった道を通ると突き当りに老婆が1人でやっていた八百屋があった。そこは開いているのか開いていないのかよく分からないことが多く、酒瀬川の知らないうちにシャッターがしまっていた。

 そこから左折して坂道の方に向かうと今は同級生が開いている眼医者がある。酒瀬川はそこに行ったことがなかったが、あまり評判は良くなかった。


 (そこからビニールハウスのある畑の前を通って、道なりに行くと……子供のころ住んでいた借家のあった場所だ……)

 幼少の頃から高校を卒業するまで、そこを通った時の出来事を思い出していく。友達と下校しながら雪合戦をしたこと、野犬に追いかけられたこと、口裂け女の話が妙に気になってそこだけ自転車を速く漕いだこと……。

 (違う。それは今考えることじゃない……)

 彼は目を開くと頭を左右に振った。そうしてもう一度目を閉じて地蔵菩薩の姿を思い浮かべた。



 酒瀬川は木材を丸刃の彫刻刀で慎重に削りながら、求める姿を彫りだそうとしている。何かやることがあるだけで落ち着き、恐怖を忘れることができる。その彼の脳内に不意に思いもしない考えが浮かんできた。

 (俺は何をやっているのだろうか……)


 目のピントがずれて手元がぼやける。脳が動きを止めようとするも手元は機械的に動いていた。刃が逆目に入る。強い振動を刃先から感じた。


 彼は反射的に身を引いていた。そして、状況を飲み込むと恐る恐る手元を見た。

 「割れてない……か、よかった……。それに……」

 両手の甲に傷はない。裏返して手の平を見ても傷はない。

 (どこも怪我していないな……)


 酒瀬川は再び同じように彫刻刀を握ると今度は慎重に刃を動かし始めた。

 (俺が生きているのは……みんなが犠牲になったからだ。……ここに限ったことじゃない。今までだってそうだった。それが世の中だ)

 木の塊は何となく人の形を成してきている。

 (死んだ後がどうなるのか……分からない……。色々考え方や宗教があるけれども、本当にどうなっているのかは……分からない……)


 (死後の世界があるなら……彼らがそこで少しでも安らかになれば……。俺が今生きているのは彼らがいたからだ……)

 彼は仏像を犠牲者の供養のために作っていることを再認識する。そこには罪滅ぼしの意味も含まれているだろうが、彼にその意識はなかった。

 (誰かが勝てば誰かが負ける。厳しい話だ。だからといって、何でもかんでも好きにしていいわけじゃない……と思う)


 しばらくして、彼は彫刻刀を床に置くと腰に手を当てうんと伸ばした。目の前には大まかに地蔵菩薩の形を取った木のブロックとその削りカスが紙の上に広がっていた。彼はブロックを除けてから紙を半分に曲げ、カスを中央に集め、体を伸ばして少し離れた場所に置かれたごみ箱に入れた。


 不要なものはいつの間にか消えていくこの空間で削りカスが残っているのはそれが彼にとって成果を見える形にするものであったからだ。酒瀬川は紙を敷き直し、彫刻刀を握ったところで脇に投げてあったスマホの画面を見つめた。


 「もうこんな時間か……」

 彼は彫刻刀をケースにしまい、作りかけの木像とノミと一緒にまとめ、畳んだ紙の上に置いた。代わりにスマホを手に取るともう片手で補助をして立ち上がった。錆びた機械のように節々が傷んだ。

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