第33話 祈るな(1)

 佐野は朝食を終えてすぐ、「カードキー」を立ち上げた。行き先は広間だった。

 (今日こそ……)

 彼は白髪交じりの頭を掻いてから咳払いをし、節ばった指でスマホをタップした。


 広間に着くと連日のようにすでにそこには何人かの参加者がいた。彼らは静かに、思い思いに過ごしていた。

 (今日はあの五月蠅い……長堂はいないな……)

 彼はまず左右をそれとなく確認し、それから一直線に白いブロック群の、誰も座っていない場所へと向かった。

 (あっちの男か……向こうの男か……、あの女か……)

 道中、佐野は首を動かさず、目だけをそっと動かしあちこちを確認していく。それは傍から見ても特に異常なものではなく、殊にこのゲーム中ならば自然に見える行動であった。しかし、当人はそう思っていない。自然と早足になっている。そのため彼はすぐさま目的地にたどり着いてしまった。


 佐野は円状に並んだブロックの内側を向いて座ると、指を組んで太ももに肘をつき、床をじっと見つめた。そして眉間にしわを寄せて、口をきつく閉じて、白っぽい面に先ほど見た人物たちを映した。

 (あの壁際の男……東だったか……)

 件の東はうつむきがちに何かの本を読んでいた。

 (たまに見かける。痩せていて、なんだか自分みたいに人と話すのが苦手そうだ。こっちから話しかければ話してくれるんじゃないか? どうする? 行くか?)


 (やめておこう……若すぎる。何を考えているか分からない。私服ってことは仕事をしていないプー太郎かもしれない)

 佐野はすぐさま否定の理由を見つけて諦めた。

 (ここにいるのは彼だけじゃないんだ……)


 (あっちの……古柿だったか……。彼女なら話しかけても大丈夫か? 穏やかそうだ。ただ、普通に挨拶して、少し世間話をするだけだ)

 今度は自分と同じようにブロック群に腰かける事務服姿の中年女性の姿を思い出した。顔をあげて首を動かせばその姿を目にすることができるのに、そうしないのはやはり――。

 (俺が話しかけたら……怖いって言われて、排除されるんじゃないか?)

 排除とは……つまり、死、であり、当然佐野はそれを恐れた。わずかな可能性であっても


 ターゲットを選ぶ理由などは何でもよい。因縁のつけ方はいくらでもある。自分が生き残りやすくなるようにと考えるのではなく、自分以外が死ぬようにと考えているのならば、感情次第で投票されてもおかしくない。

 佐野は考えが及んでいなかったが、理性的なリーダーがその因縁を採用することだってないとも言い切れない。いわゆる人気取り、メンバーの感情をコントロールすることも戦略の1つである。


 (壁際に座っていた爺さん……田淵さんなら話しかけても大丈夫だろ。年も近いし、私服だから身分も近そうだし……)

 佐野は組んでいた指をほどくと、勢いをつけて一気に立ち上がろうとした。が、また指を組み直した。

 (いや……彼が他の人と話すのを見たことが……ない。今時のキレる老人だったら……)


 (その近くにいた望月は? あまり頭が良さそうじゃないし、おとなしそうな顔をしている)

 佐野は望月の着ている薄緑色の作業服から勝手にそう思い込んで、しかし、足先一つ動かそうとしない。

 (ありえない。もし変人だったら同類と思われて、巻き添えで死んでしまう。確か、ちょっと前に不思議な動きをしていたから……そうなのかもな)



 数十分が過ぎた。佐野は同じ考えを何度もループさせていたが、その場から一歩も動いていなかった。姿勢を変えていないせいで背中や腰の筋肉が痛みを訴えている。1人ずつ話しかける候補から除外して、当てがなくなった。

 (今日こそ話しかけようと思ったが……結局尻込みして……これだ……)

 もう一度考え直すことは簡単なことではなかった。

 (話しかけ辛い……。今まで以上に……)


 佐野はハッと気づいた。

 (違う。今まで通りに、だ)

 途端に胃が締め付けられるように感じた。

 (一昨日まで、全体が変に浮かれていただけだ。何と言うか、開放的だった……)


 (どうして……、どうして、一昨日のうちに自分から話しかけなかったんだ? きっとそのときならフレンドリーだったんじゃないか?)

 彼は当然、その理由を知っていた。今までなんとなく見ないふりをして、他人に押し付けていたそれを彼は今、認めた。

 (相手が怖かったんじゃなくて、話しかけて失敗するのが怖かったんだ。そう言い訳して何もしなかったんだ)


 自分から行かなければ、リスクを背負わなければ、得られるものではない。無論どちらかが先に話しかけたことで彼らは現在グループを作っているのであるが、では、佐野が誰かにとって自分から話しかけたい人物なのかというと、その答えは今の状況が如実に語っていた。


 (もう、向こうも心を開かないに違いない)

 彼には最早できることがなかった。

 (別に話しかけなくても、俺が我慢すればいいだけだ。あと1ヶ月の辛抱だ)

 彼はそう決めた。そして、顔を上げるとその場で180度向きを変えて、「カードキー」を使って自分の部屋へ帰っていった。

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