第32話 頼れ(4)
深夜、君島は普段着のスーツを着てリビングの椅子に座り、腕を組んでじっと何かを待っていた。そこには大きな作業机とホワイトボードが置かれているが、そこには何も置かれていないし、何も書かれていない。
風の音やヘリコプターの音が外から聞こえることもなく、ただその空間は静かである。時計の針の音も聞こえない。代わりに彼はスマホの「時計」の秒針に目をやった。数秒後、いきなりスマホが振動した。彼はそれを手に取って素早く操作した。
1分後、背の低い黒マントで体を覆ったガスマスクの男――いや女――老人か子供かも分からない人物が君島の目の前に現れた。背丈だけで言えば子供だろうが、マントの中で膝を曲げていればいくらでも調節できる。
君島はその訪問者に何も言葉をかけず、ただ見ている。頬の筋肉を動かさず、やや目を細めて、見ている。そのヴェールの下を透かすような視線にその人物は半歩下がった。
「待タセタナ」
その声はボイスチェンジャーで加工されていた。さらに、意図的に抑揚なく話しており、その人物ができるだけ素性を隠そうとしているということは明白であった。
「いえ」
「……明日ノ投票先ハ沼谷光代ダ」
その人物はマントの中で微動だにしていない。用件を伝えた後の君島のリアクションを観察している。しかし、君島も微動だにしていない。顔の表情も変えず「分かりました」と一言だけ言った後、視線の方向も変えず、じっとその人物の瞳があるであろう場所を見つめ続けた。
「デハ」
某はそう言い残すと、姿を消した。
部屋は再び静かになる。君島は小さくため息をつくと、「水」とスマホに伝えた。
(慎重な人だ。ここに監視カメラやICレコーダーがないとも限らない、ということか。影山さんから聞いていた通り、毎日周到なものだ)
早速机の上に現れたペットボトルの蓋を開けて、水を控えめに飲みながら彼は思った。同時に、もう1人の参加者のことが頭をよぎった。
(柘植の方は影山さんが亡くなった翌日に接触して以来か……。私たちと投票先を合わせる以外に現状彼、というか彼らがやっていることはない。本当にやっているのかも疑わしいが、だからといって、彼らを切り捨てる理由も特にない)
君島が蓋を机に戻すと、いつの間にか飲みかけのペットボトルとともにその姿を消していた。
(影山さんは話し合いの時に上手く協力させていたが、今は立ち回りの分岐が多くなっているから難しい。仮に彼が覚えきれるとしても、毎日全て説明するのは時間がかかる。松葉の対策に追われているせいで、正直なところそう余裕はない。影山さんがいれば人手不足を感じないのだが……)
君島は椅子から立ち上がるとスマホを取り、リビングを出た。キッチンもベッドルームも照明が自動的に点灯している。
(猪鹿倉さんは頭の回転は速いが、松葉のような人間と駆け引きをする度胸、それから協調性に欠けている。人を先導するのには向いていない)
扉を閉めるとキッチンとリビングの照明が消えた。君島にはそれが何となく分かった。
彼はネクタイを解いてハンガーポールに引っ掛けた。それから上着をハンガーに吊るした。
(妹尾さんはその逆、とまではいかないが、どちらにしても松葉のような類の攻撃に慣れていない。藤田さんは……信用してよいものかはともかく、ここぞというところで事なかれ主義を起こすだろう、職業柄)
ベルトを外し、靴と靴下を脱いだ君島はベッドに入った。服が皺になるのは気にならない。替えの服はいくらでも用意できる。その点、わざわざ脱いだものをきちんとしまう必要はないが、彼はそうしたいからそうしているだけであった。
部屋の明かりが薄暗くなった。君島は目を閉じた。そのベッドは寝巻を着ていなくても心地よく、使用者を休息に導くものであった。
(結局独力でやるより他ない)
(いずれにしても松葉を抑える必要がある。その方が、生存率が高くなる。グループに引き入れなければ一層厄介だっただろう)
**
エターナル・ローグ・オンライン
VRゲームから出られなくなった人たちが世界のどこかにあるエンディングを求めてダンジョンを探索していくライトノベル。ゲームの触れ込みは「剣と魔法のスキルを軽快にコンボしろ!」で操作感は抜群だが、課金石(ログボやクエスト報酬でも出現)でしかスタミナの回復ができないため、大半の時間は普通の人間並みの力しか出せない。さらに、ログアウト中に生活を営んでいるという設定の都合上、常時ログイン中の彼らはアバターの生命維持もしなくてはならない。
そこで活躍するのが主人公清永都凪の毒鑑定、薬草学、解剖学、紐細工、建築などの「wiki見ればよくね?」な死にスキルと言われた数々のサバイバル系スキル。現在はプレイヤー全員で不帰の森のボス、霧の中の鉄蠍を攻略中。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます