第32話 頼れ(2)
(話し合いを欠席したら、死ぬのよね……)
依藤は白い高級な皿に移したペレットの山を前に考えた。彼女は今日の夕食をそれにした。何でも食べられるとはいえ、何を食べるか考える気の起きないときはペレットが一番無難な選択肢であった。
彼女はペレットを1粒摘まむと口の中に入れた。決して不味くはなく、控えめな甘みと程よい噛み応えが味わえる。それでも本来のものより味気ないのは彼女がダイニングテーブルに独りで座っているからで、つまり家族と一緒に食事をとることに慣れてしまっているからであった。
(私だってやりたくないわよ……。でも、やらなきゃ……死ぬのは自分と……)
自分が死ねば、自分の一番大事な人も死ぬ。そうすれば、残された家族も今までのように暮らすことはできない。依藤は胸に冷たいものが流れるのを感じて、慌てて「ににぉろふ」で熱いお茶を出すと口をつけた。
(あの子……佐藤君にもきっとご両親がいるのよね……)
ほんの一瞬、彼女は彼と自分の息子を重ね合わせてしまった。自宅から息子がいなくなった光景を想像して、彼女は身を縮ませた。
(佑都がもし……、もし……なったら……)
息子の一番大事な人が自分なのか夫なのか、依藤には分からない。2人とも愛情いっぱいに育てている。
(どっちが……)
息子と夫に残されるなら、息子と一緒に死んだほうがいいのだろうか。しかし、それでは夫が不憫だ。しかし死ぬのもまた辛い。彼女には分かるはずもなかった。
依藤は忘れようと頭を振った。ペレットをまた1つ口に入れた。
(このペレット……、よく分からないけれど食べると落ち着く気がするわ)
彼女は意図的に顎を動かして、先の考えから気をそらそうとした。
(もしかしたら栄養を取ったから?)
依藤は飲み込んでからお茶を飲もうとして、指先が気になった。ペロ、と舐めると仄かにペレットの味がした。彼女はその指をすぐに手拭きで拭った。
(そういえば、誰かが言っていたような……。『ここのものを食べると精神が安定する』って)
夕食を終えた彼女は皿や使ったものを流しに持っていこうとしたが、目を離した隙にきれいさっぱり片付けられていた。
(死にたくないわ。だから、明日も広間に行く。あなた、佑都、待っていてね。絶対に戻るから)
依藤は洗面所へ向かいながら今度は夫と息子の顔の、ディティールを何とか思い出そうと脳に血を巡らせた。
*
風呂から上がった別宮は、肩にかけたバスタオルで髪を軽く拭きながらリビングへ行き、柔らかいクッション付きの木の椅子に腰をかけた。着ているのがパジャマではなくセーラー服なのがミスマッチであるが、衣服はここに来た時に来ていたもの以外選択できないのだから仕方がない。
彼女はテーブルの上のスマホを取ると「ににぉろふ」に「ホットミルク」と伝えた。途端にクリーム色のマグカップが現れて、部屋の中にふわふわと甘い香りを漂わせた。別宮はそれを両手に取って息を吹きかけてから、ほんの少しだけ飲んだ。
(落ち着く……)
湯船で温まった体の芯の、その奥のところまでポカポカと包まれるように彼女は感じた。ほんの一瞬だけ、飲み終わったらそのままベッドに行くことができればいいのにと思った。しかし、そうはいかない。
別宮はマグカップをテーブルに戻すと、再びスマホを手に取り、「メモ」を開いた。そこには単語の羅列や矢印、アルファベットが何らかの規則性をもって書かれていた。
(えっと……笠原先生がメンバーの誰かを庇ったとき、それが女の子だったら、水鳥さんのグループの反応を見る。袴田さんか二瓶さんが対象だったら乙黒さん、それ以外の4人が対象なら丸橋さん。水鳥さんも庇うようなら、そのときのほかのメンバーの反応を見る。水鳥さんを見ても惑わされるだけだから。特に大川さんや鳥居さんが嫉妬しているかどうか。それでメンバーにも知られているスパイなのかどうか分かるんだよね。ただし、その2人に反応がなくても――)
別宮の思考はぐるぐると回りだした。瞳の焦点がずれている。
(男の子を庇ったら、野口君……はもういないけれども、そのグループの反応を見る。このとき橋爪君がほっとしていたら黒、小嶋君は笠原先生が庇わなかったときに反応を見る。時田さん、中川さんの両方が加勢する場合は、そこと通じているけれども、どちらか一方とだったら個人的にスパイになっている可能性が高くて、それで――)
いつの間にかスマホを握る手に力がこもっているが、彼女は自覚していない。
(でもこのとき……AhW7って誰だっけ……?)
スクロールする人差し指が止まった。
(誰だっけ、誰だっけ……)
別宮の呼吸はだんだんと荒くなる。なまじ規則性の乏しいものである分、それが何を示すのか、一対一で覚えておく以外に方法はない。
(あの時……、近くにあったものは……)
彼女は背筋を伸ばした。つられるように肩が勝手に持ち上がっていく。昨日までは覚えたいてはずのものを思い出そうと自然と目を大きくする。これが本番であったら……そして、自分のミスで誰かが死ぬようなことがあったら、そもそもミスをしたことを知られたら……自分が死んでもおかしくない。
(あっ……)
別宮はひときわ姿勢を伸ばすとだらりと弛緩し、「ふぅー」と息を吐いた。
(鰐部さんだ……)
幸運にも彼女は思い出すことができた。別宮はホットミルクの方を向き、湯気が立つそれを手に取った。まったく冷めていない。温かいままである。
(……)
別宮はそれをテーブルに戻した。
(さっきの2人が反応していなくて、鰐部さんが難色を示していて、それで野口君のグループの森本君か竹崎君が緊張していて――)
彼女の目はスマホのバックライトを反射して鈍く輝いている。
(そうなったら、ミーティングの時には話さないで、あとでみんなに言う……みんなに……)
(笠原先生以外がメンバーの誰かを庇った場合、二瓶さんが小学生を庇ったなら彼女を注意して観察する。それ以外はほぼ確実に黒で、その2人と同性、あるいは同年代の他のメンバーの表情も見て――)
自分に判断できるのかという思いが彼女の中にほんの一瞬だけ沸いて消えた。できるできないではなく、やらなくてはならないのである。
一通りの確認を終えた別宮は目を閉じた。
(ちょっと、覚えることが多いかも……)
影山がグループを仕切っていた時とは違っていた。ゲーム開始時から日が経って状況が複雑になっていることに加えて、君島の方が細かく条件を分岐するために単純に覚える量が増えている。それに加えて松葉が毎日微妙に変化を加えるものだから、毎回毎回覚え直さなければならない。そして……。
(あと半分……)
この台本と、松葉がアレンジを加えていないミーティング用の台本の両方を覚えなければならない。
(松葉さんには逆らえない。逆らえない……。死にたくない……)
別宮は目を開けると未だに細い湯気を立てているマグカップを一瞥して、再びスマホに映っているメモに目を落とした。
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