第32話 頼れ(1)

 水鳥たちのグループは毎夜彼の部屋に集まりミーティングを行っている。生き残るための情報を共有し、話し合い、そして、翌日の投票先を決めるものである。水鳥以外にとっては彼に対するアピールの意味が含まれていないとも言い切れないが、とにかく彼らは水鳥が中心となって集団で生き残るために行動していた。


 彼らは、数日前からあることをするようになっていた。


 「それじゃあ今日も思い出してみよう、ね?」

 水鳥がどこか物憂げな微笑みでメンバーを見ていく。順番に1人ずつ見て……最後の1人に特上の視線を送った。運よくそれを食らった加藤は頬を赤らめるとピンと背筋を伸ばした。


 「みんな、目を閉じて……」

 メンバーたちは水鳥に言われたようにそっと瞳を閉じた。部屋に漂う爽やかな香りがたちまち強くなるように感じてしまう。

 「ここでの生活は大変だけれど、でも、僕たちは前に進まないといけないよね。だって、ビクビクしていたらみんなが死んじゃうかもしれないし……」

 かすれるような囁き声が耳元で聞こえるような錯覚に襲われる。


 「だから、僕はこのゲームの外のことを考えよう。家族や友達、そして一番大事な人。その人たちにまた会いたいって強く考えて……。そうすれば力が湧いてくるから……さあ、一番大事な人のことを思い出して……」

 水鳥の声はひたすらに優しい。このゲームで昂った気を静めて、今日の話し合いの後に起こったことを忘れさせて、メンバーの意識を外部に向けていく。

 「僕たちは、自分の一番大事な人が誰なのか、わかるよね? その人と最後に会ったのはいつ? ……どこで? ……何をしたかな? 一番楽しかった思い出は……ほら、浮かんでこない?」


 加藤はかつての自分からすれば贅沢すぎるそのガイダンスにときめきと緊張を半々に感じた。

 (ええっと、究君がこの前言っていたっけ。クリスマス、お正月、誕生日とかの思い出がいいんだっけ……)


 「またその人に会いたいって、強く、強く考えて……きっと勇気が湧いてくるから……」


 それからしばらく無言の時間が続いた。

 (ママ……、若くてきれいなママ……)

 加藤は言われた通り一心に考えた。


 (いつも働いていて大変そうだけど、ちゃんとご飯代は用意してくれるし、前のクリスマスに一緒に作ったケーキ、美味しかったなぁ……。また食べたい。ちっちゃいツリーにいっぱい飾りつけして、あの日はスーパーのお弁当じゃなくて、ピザとフライドチキン食べてもいいって言われて……)

 加藤はここに来る前の、楽しかったことを思い返していく。

 (プレゼントにトートバッグを買ってもらって、それで一緒にお出かけしたよね。ママ……、私頑張る……。ママ……)


 他のメンバーも加藤同様、自分に一番大事な人との日常やイベントを思い出していた。鼻をすする音が時折聞こえる。数人の目には涙が浮かんでいる。


 (ママ……いつもいい匂いがして……、会いたい……、会いたい……)


 ここでの生活は全てが刺激的過ぎて、ついこれまでの人生を忘れそうになる。しかし、こうやって水鳥が設けた時間に改めて思いをはせると、今までの生活を思い出し、そこでの人間関係を思い出し、そして特に、一番大事な人のことを思い出していく。自分が死ねば自分の一番大事な人も死ぬ。当然自分も死にたくないし、その人を死なせるわけにもいかない。


 加藤の頭の中である考えが不思議とまとまっていく。思い出が幸せな分、その人に会えない辛さは増していく。二度と会えないかもしれない、死なせてしまうかもしれない、そうしてはならない……。その運命は自分の手に握られている。やらなければならない。


 ピピピピピ――とアラームが鳴った。


 突然聞こえたその音は彼女たちの思考を中断する。加藤はビクッと反応して目を開いた。

 (眩しい……)

 瞼をパチパチと動かす。目の前には犬塚の後ろ姿があった。俯いてハンカチで涙を拭っているのが背中越しにでも分かった。


 「みんな、きっとまた会える」

 水鳥が優しく、力強く言った。

 「だから、頑張って生き抜こう。ほら、このハーブティーを飲んでリラックスして」

 彼がスマホに「ハーブティー」と一言言うと、メンバーの近くに小さなテーブルと、その上に高級な白磁のカップに入ったハーブティーが現れた。


 加藤は言われた通りそれを口にした。ちょうど良い温度で飲みやすい。舌や鼻を通して心が鎮めるカモミールの香りが体に染み渡っていく。

 (頑張ろう。ママも、究君も、メンバーの人も死んじゃわないように……)


 メンバーたちはゆっくりとハーブティーを飲んでいく。

 「今日のはなんて言う名前なんですか?」

 前列の中津が水鳥にハーブティーの銘柄を尋ねた。同じく前列にいる大川や乙黒が食いついて、「ねえ、教えてっ」「究君っ」と絡みだす。水鳥が微笑みながら繊細な砂糖細工を扱うように対応する。


 加藤はその様子を見てほんの一瞬だけ胸が締め付けられるような気がした。

 (そうだよね。究君がいてくれる。難しいことを考えるのは大人に負けちゃうけれど、言われた通りにちゃんとやるのなら私でもできる……よね? 一生懸命頑張れば、見捨てられないよね?)


 そんな穏やかな一時もカップの中身がなくなれば、終わる。水鳥が「そろそろミーティングに戻ろうか」と名残惜しそうに告げた。


 「うん」「ごちそうさま、でした」「ありがとう、究君」

 口々に返事をするメンバーの表情は一様ではない。つい先ほどまでの時間に浸っていたり、これから話すことに意識を向けてしまっていたりである。


 「それじゃ……、次は明日の投票先だね。明日の投票先は……三石怜誠。彼にしてね。約束だよ」

 しかし、水鳥のその言葉で部屋の空気は完全に張り詰めた。慣れることがない。どんな何があっても自分と、自分の一番大事な人のために誰かを犠牲にする。やらなければやられるのである。


 (ママを死なせたくない。また会いたい。だから、仕方ないよね)

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