第31話 頼るな(4)

 定刻になった瞬間、広間が薄暗くなった。参加者たちの間にピリついた空気が走り、静まり返る。同時に天井近くに何枚かのモニターが出現して、ぼんやりと光を放った。全員の視線はそこに映るニニィに向かった。何にも扮していない。初日に見たままの姿だ。


 「はーいっ、それでは『透明な殺人鬼ゲーム』、16日目の開始です。投票は10分後、今日の出席者は81人。1人欠席です。始めてくださいっ」

 彼女が宣言を終えるとモニターの映像が切り替わった。そこに表示されていたのは事前にアプリの「投票箱」で名簿を見ていた人なら予想できる文字であった。


 『今日の欠席者 佐藤瑛大』

 たっぷりと数秒間、その名前が映し出された後、モニターはブラウン管の電源が切れたときのような音を立てて消えた。


 「日本語だ……」

 中川が思わず出したその声は広間に響いた。しかし、誰もそれを拾わない。


 「今日の投票先は決まりだね。佐藤だ」

 吉野が言い放った。笠原が顔を青くして立ち上がった。

 「そんな……、今日、出てこなかっただけでしょう!」


 他の参加者の反応も概ね二分された。笠原同様、佐藤が死ぬかもしれないことに怯えるか、あるいは、このままいけば自分が今日死ぬことはないと少なからず安堵するかであった。多いのは……明らかに後者だ。


 吉野は「フッ」と鼻で笑い、顎を高くした。

 「わざわざ先に教えたんだ。残りの時間で本人が弁解すればいい。黙ってやるよりよっぽどマシだろう? 自分が残る価値を説明して、上手くいけば投票先から外れるんじゃないか? まあ、いないものは仕方がないけれどもね」


 笠原と二瓶は自分のスマホを横目で見た。何も通知は来ていない。


 「それに全員、自分たちが生きるためにある意味手を汚しているんだ。それを自分だけ背負いたくないってことでやらないで、のんきに過ごしていたら気に食わないだろう? 他人に手を汚させて自分は気楽に、ってのは」

 吉野が眉を吊り上げて言ったその言葉は参加者たちの感情を刺激すると同時に、彼らの知人の某を思い出させた。それは義務を負わないで権利を得る者のことであった。そして、その負担が回ってくる先は……他ならない彼ら自身だ。


 佐藤に対する悪感情が沸き上がっている中、君島が落ち着いて手を挙げると視線が集中した。

 「単純に全員が死ぬリスクに繋がるからでしょう。吉野さんが言ったような理由を認めてしまえば、同じように休み始める人が何人も出てくるかもしれません。そうなれば、ゲーム開始時に参加者が8割を満たさなくなって、ゲームオーバーです。全員死にます。別の理由であっても同じです。ですから、誰にとっても認めるわけにはいかないでしょう」

 彼は止めを刺しただけであった。


 要するに、感情的にも論理的にも反論の余地はなかった。広間が静かにざわついた。


 「もう決まりですね。ところで――」

 突然、松葉が何気ない様子で口にした。広間に緊張が走る。

 「そもそも、彼は何故、今日ここに来なかったのでしょう? ゲームに参加しないリスクは当然知っていたはずです」

 彼は全く表情を変えずに首を傾げた。


 「自暴自棄になって……自殺したかったとかですか? 今はまだ生きているみたいですけれども……」

 妹尾がすぐさま仮説を示した。彼女の手にはスマホが握られている。つい先ほど名簿を見たときには「16日目の死亡者 佐藤瑛大」と書かれていなかった。


 「なるほど。それもあり得ますね。――しかし何故今日になって?」

 松葉が最後に差し込んだ言葉に妹尾は眉をピクリと動かした。

 「それは、同年代の野口さんがいなくなったから、その影響? もしかしたらってことですよ」

 その声に幾分か込められているトゲは松葉に通用していないらしい。リアクションがない。


 今度は藤田がさっと手を挙げた。

 「スマホを誰かに取られたのではないでしょうか? スマホがなければ連絡もできませんし、そもそも部屋から出ることもできません」

 何か自慢げな顔であったが、すぐ君島が穏やかに否定した。

 「スマホは紛失しても必要に応じて自分の近くに勝手に出現します。初日にニニィが言っていた通りです。だから、盗まれても手元に戻ってくるでしょう」

 彼は楽に座りながらじっと藤田をただ見ていた。


 藤田は特に気を損なうこともなく、顎に手を当てると視線を上に向けた。数秒後、彼はハッと何かを閃いた。

 「それなら……どなたかが佐藤さんの両手両足を縛って、口を塞いでいたらいかがでしょう? スマホが近くにあっても操作することができなければ、使用できないという点では先ほどと同じです」

 そこまで言ってから彼は息を飲み、それから深く息を吸って、残りを口にした。

「……何故そのとき生かしたままにしたのかという疑問は残りますが……」


 「確かにそれならあり得ますね」

 君島は寄りかかっていたブロックから背中を離した。

 「彼が誰かの入室申請をオートで承諾するようにしていれば、その誰かが助けに入ることもできましたが……」

 そして、チラリと笠原たちを見た。

 「どうやら誰もいないようですね」


 「それならオートで承諾するようにしていた方が、そういうときに助かるってことですか?」

 竹島が誰というわけでもなく問いかける。猪鹿倉が答えた。

 「オートは危険でしょう。家の鍵をかけていないようなものです」


 「じゃあ、やっぱりしない方がいいですか? でも、信用している相手なら安全になるんですよね?」

 「それは互いの関係次第ですね」

 困り顔の竹島に猪鹿倉は端的過ぎる答えを返した。


 それは信用の問題であった。端から信用し合っていないのであれば、ある意味安全であるが、相手に頼まれたときに拒めば、「それはあなたを信用していない」と露骨に伝えていることになる。ならば承諾すれば、信用していないのだから一時も休まらないし、殺しに来られることだって十分にあり得る。


 2人の話を聞いていた藤田が不意に立ち上がった。

 「それでしたら、今日の佐藤さんのようなことが起きないようにするためにも――」

 「あたしは誰も勝手に部屋へ入れるようになんてしないよ。1人認めたら後はなし崩しになるからね」

 妨げたのは吉野だ。険しい目つきで藤田を睨んでいる。


 (究君はメンバー全員がいつでも入れるようにしているのに……。心が狭いお婆さん……)

 鳥居は意味もなく腹に熱くなったが、なるべく顔には出さないように力を込めた。引きつった笑顔になった。そのすぐ近くの水鳥がすっと手を挙げた。

 「それは人それぞれですが、無理強いをしないというルールを作るのはどうでしょう?」


 「そんなもんどっちでもいいだろ!」

 時田が噛みつくと、広間がガヤついた。主に彼の周りから音が出ている。


 その音が止んでから、君島が立ち上がった。

 「それはいいですね。ただ――」彼はスマホをチラリと見た。

 「もうそろそろ時間ですから、その件は明日全員で話し合いましょう」


 「今日の投票先は佐藤。どんな理由であってもこの話し合いを欠席することはできないはずだよ」

 吉野が釘を刺した途端、天井付近にモニターが現れた。


 「はいっ、それでは投票の時間になりました」

 そこにニニィが映ると、瞬く間に参加者たちは闇の中にそれぞれ孤立していた。スマホの画面だけがぼうっと光っている中で、彼らはそれぞれ自分が殺したい人、守りたい人に投票して、あっという間に元の場所に戻っていた。


 「今日の犠牲者は、佐藤瑛大さんです」

 参加者たちの視線の先には何もなかった。





 彼らは身動きができないまま、白いブロックで作られた輪の中心に目を向けさせられていた。普段ならそこに透明なケースがあって、投票で選ばれた誰かが入っているはずだった。


 高円寺は何もない空間越しに向かいの誰かが俯いているのをぼんやりと見た。

 (会社で自殺者が出ても、死んだ人が悪いことにして、追い込んだ人を庇うのと同じだ。残った生者の生産性を上げるのは当然だ)


 「始めまーす」

 ニニィがそう言っても、少なくとも目の前では何も起こっていない。しかし、参加者たちは知っている。佐藤がどこかで透明なケースに入れられて、あり得ない方法で殺されていることを。


 想像さえしなければ、今日は精神的負担が最も小さかった。事実、見えないところで誰かが犠牲になっていても、自分が痛くなければ、気にする人は少ない。このゲームだけの話ではない。


 「みんな、また明日ねーっ」

 ニニィの別れの挨拶をきっかけにモニターが消えて、少しすると、参加者たちの自由が戻った。


 高円寺は思い出したように手のひらを見ると指を不規則に動かした。

 (終わったのか……)

 参加者が動けるようになったということは、佐藤の死体が入った透明なケースが床に沈んで消えていったということであった。


 広間から人が続々と消えていく。高円寺は遅れないように慌ててスマホを取り出すと「カードキー」を操作して、ボタンを押した。

 (でも何故彼は今日、広間に来なかったんだろう……?)



**




今日の犠牲者 佐藤瑛大

一番大事な人 母


 下校中に河川敷で黄昏ながら「募金活動って何だろう」と考えているところをニニィにアブられる。その理由は、透明性を簡単に知ることができないし、費用対効果も不鮮明であると疑っているからであった。声を出して突っ立っているだけなら、アルバイトや芸で稼ぎ全額寄付するなり(ただし美形はそれ自体に価値があるから別)、金持ちにプレゼンして寄付を募るなりすればよいのに……、ってこの考えはニニィちょっと行き過ぎだと思うけど、然るべき人物や組織を通して然るべきところに、適切な寄付を行うことは、人間のできる最も素晴らしいことの1つだと思うよ。

 それか、ルンペンにビール奢って仲良くなるのだ。そうして、そのルンペンと、同じルンペンを支援する人たちの間に、更にはそのルンペンを介して人脈を作るのだ。

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