第46話 失落するミカエル

 私は戸惑った。

 またもやパルナール王子から呼び出されたからだ。

 美容ポーションを作り続けてもいい。ついこの間お会いした時は、王子からそう言われた気がした。

 それが違ったのだろうか?

 やはり私は、なにかとんでもない勘違いをしているのだろうか。

 王子は美容ポーションのことをあまり良くは思っておられない。

 私はその思いを汲み取って、自分からポーションづくりを止めなければならなかったのでは?

 私は、何も考えず、今も高級美容ポーションを作り続けている。

 そんな私はパルナール王子を完全に怒らせてしまったのだろうか。


 二度目の呼び出しにびくびくしながら私はお城へと向かった。

 冷たい風が吹き、ときおり葉のゆれる音が聞こえてきた。


「アナスタシアです。パルナール王子に呼ばれてやってまいりました」

 お城に着くと私は門番にそう告げる。

 門番は、キッと私をにらみつけ、「ちょっと待ってろ」と厳しい口調で言ってきた。

 怖かった。

 私は決して歓迎されていない。そんな気持ちになった。

 やがて、門が開き、中から案内人のような男が現れた。

 この男も顔つきは険しい。「ついてこい」とそれだけ言うとあとは黙って歩き出した。

 城の中に入り、長い廊下を歩いていると、恐怖がどんどんと増してくる。

 もう私、クリスやミミに会えなくなってしまうんじゃないかしら。

 なんとなく、そんな思いが浮かぶ。


 廊下の突き当りまで来ると、案内人は足を止めた。

「入れ」


 私は言われるままに、部屋のドアをノックする。


「どうぞ」

 中から声が聞こえてきた。

 パルナール王子の声だろうか?


「失礼します」

 私は震える声で扉を開けた。


 以前通された部屋と同じ場所である。

 白いテーブルがあり、奥に一人の男性が座っていた。

 パルナール王子だ。

 私みたいな平民が会ってはいけないお方だ。


「やあ、来たねアナスタシア、そこに座って」

 パルナール王子が私にそう言ってきた。


 えっ?

 声の調子が……。

 王子は穏やかでやさしい声で私に話しかけてくれる。

 怒ってないのかな?

 いや、これは何か厳しいことを言われる序章にすぎないのかもしれない。

 まあ、仕方がない。

 私は、女性の心を惑わし社会問題にまでなってしまっている美容ポーションを作り続けていたのだから。

 聖女フローリア様にも注意されたし。聖なる力をこんなことに使っては駄目だと。


 ふと見ると、この部屋にはもう一人誰か別な男がいる。

 その男は私のように椅子に座るでもなく、部屋の角で立ったまま凍りついたように動かなくなっている。


 ただ、私もその男の姿を見て、凍りつき動けなくなってしまった。

 そこに立っていたのは、あの男、ミカエルだったからだ。


 ミカエルはちらっとこちらを見ると、急に今までの固まった表情を崩し、例の嫌な感じがする笑顔を向けてきた。


「アナスタシア、よかった。君が来てくれたおかげでパルナール王子の誤解がとけそうだ」

 ミカエルは私を見ながらそんな言葉を吐いてきた。


 誤解がとけそう?

 どういうことだろう?


「君からも話してくれないか? 王子は私が聖女候補の君に無理やり美容ポーションを作らせているとお思いなんだよ。王子の誤解を解いてくれないか。アナスタシアは自分から進んで私に協力してくれているんだよね」


 私はクリスの言葉に、開いた口が塞がらなくなってしまった。

 よくそんなことが言えたものだ。


 そう思っているとパルナール王子が私に話しかけてきた。


「どうなんだいアナスタシア、君はこの男の言う通り自ら進んで協力していたのかい?」


 いいえ違います。

 すぐにそう答えたかったが、言葉が出てこない。

 そんなことを言えば、ミカエルに恨みを持たれてしまう。今後ますますオーウェンがつらい立場に置かれるような気がする。

 それに、ミカエルに恨みを買われた私も、この先なにをされるか分かったものじゃない。

 正直、怖くて言葉を出せなかったのだ。


 そんな気持ちを見越したのだろうか。

 パルナール王子がこう言う。

「大丈夫だよ、アナスタシア。私はこの国の王子だ。君たちが危険な目にあうようなことは絶対にないから。だから、今、この場で正直に思っていることを話してくれないか」


 決めた。

 ちょっと怖いけど、ミカエルの前で思ったことを話そう。

 ミカエルは貴族で権力者だけど、パルナール王子が大丈夫だと保証してくださっているんだ。

 王子の言葉を信じよう。


「どうなんだい、アナスタシアは自ら進んでミカエルに協力していたのかい?」

 王子は再び問う。


「いいえ」

 私はきっぱり言った。

 その言葉を聞いたミカエルが、私をじっとにらみつけてくる。


「私は、ミカエルに脅されて美容ポーションを作っていたのです。彼は言いました。協力しないのならオーウェンが一生借金を背負っていくことになると」


 それと……、私とミカエルが付き合っていた際に何があったのかをクリスに話すとも……。

 でも、さすがにこれは王子に伝えることなど出来なかった。


「そうか、それは間違いなく脅迫だ。しかも聖女候補を脅迫するなんて許されることではない」


「そ、そんな、脅迫だなんて、そんな大げさなものではありません」

 ミカエルはうろたえながら声を出す。


 その言葉に王子は冷たく返す。

「だいたい、子供に借金を背負わし働かせるなんて、とんでもないことをお前はしているんだ。もちろんこれも法律違反だぞ」


「法律違反だなんて……。私は人助けをしていたのです。オーウェンという少年にお金を稼がせてあげるため、病気の母親の薬代を稼がせてあげるために彼に仕事を与えていたんです」


 その言葉を聞き、私は反射的に声をあげた。

「よくもまあ、そんなデタラメが言えたものね。あなたへの借金のおかげでどれだけオーウェンが苦しんでいると思っているのよ。あなたはオーウェンを借金まみれにして、彼を利用していただけでしょ」


「アナスタシア、それは誤解だ。君もオーウェン君のために喜んで私たちに協力していたじゃないか」


「ミカエル、見苦しいぞ。素直に罪を認めたらどうなんだ」と王子。


「いえ、パルナール王子、信じてください。私は決して罪など犯しておりません。一度、私の店を実際に見にきていただけませんか? そうすれば、そこで幸せそうに働いているオーウェンの姿を見ることができるはずです。実際に見ていただければ、私が人助けで店を開いていることが分かっていただけるはずです」


 王子の顔から小さな笑みがこぼれた。

「ミカエル、私はねえ、もうお前の店を見せてもらっているんだよ」


「えっ?」


「実際に、足を運んでお前の店に行ったことがあるんだよ」


「パルナール王子が私の店に? いえ、そんなことはなかったはずですが……」


「覚えていないかい? ああ、でもそうか、記憶にないかもしれないね。お前は貧乏人の町人には興味がないようだったから」


「貧乏人の町人?」


「まだ思い出せないかい? 私はお前に怒鳴りつけられたよ。『ここは貧乏人が入れる店ではないんだ!』と」


「えっ」

 この時になってミカエルは何かに気付いた様子だった。

「あ、あのときの二人組が……そ、そんな、ばかな……」


「やっと思い出してくれたようだね」

 王子は冷たい調子で続けた。

「お前は知っているはずだ。子供や聖女に犯す罪は、通常の罪より厳しく罰せられることを」


「……」


「正式な罪は裁判で決められることになるが、爵位をはく奪されることだけは間違いないと覚悟しておくんだ」


「爵位はく奪? この私が、貴族ではなくなるというのですか? この私が、平民に成り下がるのですか?」


「充分にそのくらいの罪は犯しているぞ」


「私が……、ただの平民になるだなんて……」

 ミカエルは膝から崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。そして両手を床につき、土下座をはじめた。

「パルナール王子、ど、ど、どうかお許しを! そればかりは、どうかお許しください! これから私は心を入れ替えて、慈善事業に励みます! 弱い立場の人の力になれるような生き方をします! ですから、どうか、どうか、お許しを!」


 その姿を見て私は思った。

 よくもまあ、ミカエルの口から慈善事業だなんて言葉が出てくるものだと。

 女をもてあそび、自分の出世と金儲けのことしか頭にない男が、口先だけでよくこんなことを王子の前で話せるものだと。


「おい、アナスタシア、お前からも王子にお願いしてくれ。お前はよく私のことを分かっているだろ。二人で楽しい時間を過ごした記憶が残っているだろ。どれだけ私がお前のために尽くしてきたかをちゃんと思い出してくれ」


 この男は何を言っているのだろうか。

 私がまだ、この男に未練があるとでも思っているのだろうか?

 私が二度とこの男に会いたくないと思っているのがわからないのだろうか?

 この男との過去をどんなに消し去りたいと思っていることか。

 そんなことも理解できないだなんて、なんて鈍感で人の気持ちが分からない男なんだろう。


 私は煮えたぎる心をなんとか落ち着かせてこう言った。

「ミカエルさんがオーウェンにしていることは決して許されることではありません。ですので爵位をはく奪されるくらいは当然だと思います」


「な、な、なんだと! この人でなしが! 貴族の私が、平民のお前なんかと付き合ってやったことを忘れたというのか!」

 ミカエルは血相を変えている。


 そんなやり取りを聞いたパルナール王子が静かに口を開いた。

「そうだった。もう一つ重要なことを言い忘れていた」


「減刑、減刑の話しでしょうか!」とミカエル。


「いや。これは私からの命令だと思ってもらえばいいのだが」

 王子はそう前置きをして続けた。

「今後、一切アナスタシアやオーウェン親子には近づかないようにしなさい。もちろん姿を見せることも禁止する。もしそれを破るなら、爵位はく奪だけでは済まないと思ってくれ」


 ミカエルは頭を床に擦り付けながら王子の言葉を聞いていた。


「命令を守れるか?」


「は、はい。必ずお守りいたします」

 ミカエルは声を震わせながら答えた。

「ですから、ですから爵位はく奪だけは許してください!」


「しつこいぞ、それはできない。お前が貴族でいることなど、絶対に認めるわけにはいかない!」

 王子の強い口調が部屋に響いた。


「そ、そ、そんな……。私が貴族でなくなるなんて。こんなやつらと同じ平民に成り下がるだなんて……。私はいったいどうやってこれから生きていけばいいんだ……」


「人が嫌がる仕事でも、嫌な顔などせずに地道に働けば、なんとかなると思うぞ」


「お、お、俺様が働く……。こ、こ、この俺様が人の嫌がる仕事をする……。ゆ、ゆ、許してください! パルナール王子! どうかお許しください! 私は、私は、これからも貴族でいたいのです! どうか、どうか私を平民なんかにはしないでください! どうか、どうかお許しを! 王子! 王子! なんとかお許しを! お許しください! お願いします! お許しください!」


 ミカエルはコメツキバッタのように床に頭をこすりつけながら土下座を続けた。

 涙にまみれたミカエルのわめき声が、むなしく城内に響き続けていた。

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