第34話 話し合い

「オーウェン、駄目よ。その男、ミカエルは信用できない男よ」

 私の今の顔は、感情を失った機械のようになっているだろう。

 何かで頭を殴られたような衝撃が走っている。


「どうしてだい? とても感じの良い貴族だったよ」

 オーウェンは不思議そうな顔で答える。


「駄目ったら駄目。その男に近づいたら駄目だから」


「そんな、アナ姉、これは僕にとって大きなチャンスなんだよ。この貧民街から抜け出せるまたとないチャンスなんだ。どうして駄目なのか、ちゃんと説明してほしい」


 それは……。

 ミカエルという男は、私をだまして、もてあそんだ男だから。

 そんな言葉が頭に浮かんできた。

 けれど、そんなこと言えるわけがない。


「ミカエルは、信用してはいけない男よ。信用しても裏切られるだけだから」


「そんなことわからないじゃないか。それにもう僕はミカエルさんと約束したんだ。お金を借りて店を出す約束を。近々、その説明のために僕の家に来ると言っている。貴族の人が、この貧民街に来てくれるんだよ。そんな人が悪人なわけないよ」


 オーウェンがそう熱く語った時だった。

 玄関のドアをノックする音が聞こえた。

 ドアの向こうから声がする。


「こんにちはオーウェン。近くに来たから寄ってみたんだ」


 私はその声にぞっとした。

 よく知っている声だったからである。


 オーウェンも聞き覚えのある声なのだろう。

 サッとたちあがると、玄関に向かった。


「やあ、急に悪かったね。出店の打ち合わせを一日でも早くしたくて、来てしまったよ」

 そう言いながら姿をみせたのは紛れもなくあの人物だった。


 開かれたドアの先には、見間違えるはずもない人物が立っている。

 私がもう二度と会いたくないと思っている男、ミカエル・ドルーが立っていたのだ。


 私の体は氷のように固まってしまった。


 ミカエルの目が部屋にいた私に向けられた。

 すぐには思い出せなかったのだろうか。一瞬考え込むような顔をしてから、何かが理解できた表情に変わった。


「これはこれは、アナスタシアじゃないか! 会いたかったよ」


 会いたかった?

 よくそんなことが平気で言えるもんだわ。

 早くこの場から離れたい。

 この男と一緒にいる時間を少しでも短くしたい。


 そう考えていた時だった。

 私の隣りにいるクリスが口を開いた。


「アナスタシア、帰ろう」


「……うん」


「さあ、行こう」


 その言葉で私はなんとか立ち上がる。そしてクリスに支えられるようにして玄関のドアに向かう。


 玄関にはあのミカエルが、私の行動を観察でもしているように視線を合わせてくる。

 ミカエルとの距離が近づいてくる。


 よかった、クリスがいてくれて。

 一人だと、外に出ることもできなかった。


「もう帰るのかい?」

 ミカエルが馴れ馴れしい口調でそう言ってくる。


「はい」

 何も答えられない私に代わり、クリスが短く返事をする。


「アナスタシア、君とは一度、ゆっくりと話しをしたいと思っていたんだ。また会いに行ってもいいかい?」


 この男は何を言っているのだろう。

 捨てた女と会ってどうしようというのだ。


 私の頭の中で疑問符が回りはじめた。


 するとクリスがこんな言葉をミカエルに返した。


「今、俺はアナスタシアと真剣にお付き合いしています。できれば二人で会うのは遠慮していただけませんか」


 うれしい。貴族相手によくそんな言葉を言ってくれた。

 私は心のなかで、クリスに拍手をおくる。


 ただ、ミカエルはクリスの言葉に何の反応も示さなかった。

 まるでそこにクリスが存在していないような振る舞いだった。


 クリスが私をミカエルから遠ざけるように、自分の体を私とミカエルとの間に置いた。

 私とクリスがミカエルの横を通り抜け、オーウェンの家を出た時だった。


「じゃあ、また会おう」

 ミカエルはそう私に声をかけると、オーウェンの家に入っていったのだった。

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