第32話 オーウェンの想い

「アナスタシア、大丈夫かい? 一時はどうなるかとびっくりしたんだから」

 学校へ向かう途中、クリスが私に話しかけてきた。


「大丈夫よ。私は貴族ではないから、美容ポーションにハマったりしないわよ」


 そうなのだ。

 クリスは、私が美容ポーションで変身した姿を見て、心配しているのだ。

 なにしろ美容ポーションは中毒性があると最近よく話題になっているからだ。

 女性が美しくなりたいという願望につけ込んだ悪魔の薬とまで言う人がいるくらいだ。


「でも、子供のようなハリのある肌で登校してきたときは驚きを通り越して怖いものを感じたよ」


「それ、どういう意味? 普段の私が老けているとでも言いたいの?」


「いや、そうじゃなくて。アナスタシアがこんなものに興味を持っていたなんて意外だったから」


「だから、言ったでしょ。これはただの実験だって」

 私は前にも説明したことをまた繰り返した。

「私が回復させた美容ポーションが売り物になるかどうか試しただけよ」


「で、うまくいったんだよね」


「ええ。極上品だって評判の品になっているのよ」


「でも、正直俺は反対だよ」

 クリスは真面目な顔をして言う。

「美容ポーションの世界に関わるのはよしたほうがいい」


「わかっている。深入りはしない。でも、オーウェンという子を助けてあげたいの。あの子がお母さんと安心して暮らしていけるようにしてあげたいのよ」


「アナスタシアの気持ちはわかるけど、そんなことを考えると、世の中には助けなければいけない子供なんて果てしなくいるんだから……」


「じゃあクリスは、病気の母を看病しながら借金を抱えて露天商で働いているクリスを見殺しにしろと言うの?」


「そんなことは言っていない。ただ、やりすぎるのもその子のためにならないかもよ」


「……」

 分かっている。

 クリスの言う通りなのは分かっている。

 けれど……。


「さあ、ここよ」

 私は一軒の雑貨店の前で足を止めた。

「この店で粗悪品の美容ポーションが売っているの」


 以前オーウェンが粗悪品を買わされたのとは別の雑貨店だ。

 ここは、ちゃんと粗悪品と表示して安い値段で売っている。その良心的なところが気に入っていた。


 店に入ったクリスが品定めをする。

 なにしろクリスは鑑定眼を持っているので、その粗悪品がどのようなものか判別できるのだ。


「だめだよこれは。材料自体がほとんどニセモノだ」


「うーん、これはそこそこの純度だけど、でもまだ混ざりものが多いよ」


 そう言いながら次々と粗悪品の美容ポーションを鑑定していく。

 クリスの目にかなう物はなかなか現れない。


 しかし、彼はある商品の前で足を止めた。

「これは……」

 クリスはじっと棚に置かれた粗悪品を見つめる。

「これはかなりの純度だよ。けれど、保存状態が悪いのか、かなり劣化している。間違いなく本物の美容ポーションだけど、使い物になるかどうかはわからないよ」


「いいわ、それにする」

 私は即決する。

 本物かどうかが大切なのだ。あとは私の魔法次第である。


 目利きにかなった物を買うために、会計カウンターに行くと店主が申し訳無さそうに言ってきた。

「いいんですか、これはもう使い物になりませんよ」


 オーウェンに酷いものを売った店と違って、ここの店主が良心的でうれしかった。

「大丈夫です。また何か良いものが入れば買いに来ますね」


「ありがとうございます。こっちはゴミ同然のものを買っていただけるので助かりますよ」


 ゴミ同然か。

 それが今話題になっている最高級美容ポーションの正体なんだからね。


「さあこっちよ」

 店を出た私は、粗悪品の瓶を抱えたクリスを従えてある場所に向かった。


 貧民街の中にある古びた集合住宅。

 そう、私たちはオーウェンが暮らす部屋に向かっているのだ。


 クリスをここに連れてくるのは初めてのことである。

 ある目的があって、彼をここに呼んだのだ。


「あっ! アナ姉!」

 私の姿を見ると、オーウェンが跳び上がって駆け寄ってきた。

 部屋の奥ではオーウェンのお母さんがあいさつをしようと、上半身を起こそうとしている。


「お母さん、そのままでいてください」

 私は思わず声をかける。


「こ、この人かい?」

 オーウェンは私の後ろにいるクリスを見て緊張した顔になった。


「そうよ」


 クリスをここに連れてきた大きな目的の一つ、それは……。


 私は昨日オーウェンと話し合ったことを思い出していた。


  ※ ※ ※


「アナ姉、もうすぐ借金を返すことができそうだよ」


「よかったわね」


「これもアナ姉のおかげだよ。なんてお礼を言っていいかわからないよ」


「ただ、借金を返し終わったら、協力はもう終わり。それが約束だからね」


「……うん。分かっている」

 オーウェンは残念そうにつぶやいてから、こう付け加えた。

「でも、アナ姉に聞いてほしいことがあるんだ」


「何?」


「僕、大人になったら大富豪になるよ。で、大富豪になったら、アナ姉、僕と結婚してほしいんだ。だから、アナ姉も、誰とも結婚せずに僕が大人になるまで待っていてほしいんだ」

 オーウェンは真剣そのものといった顔をしている。


「ありがとう、うれしいよ」

 私は思わず笑ってしまいそうになるのを必死でこらえていた。

「でもね、オーウェンは大人になったら、私ではなく別の女の人を好きになるわよ。そうなったら、待たされた私は一人取り残されてしまうのよ」

 まあ実際一人で生きていくつもりなんだけど、面白そうだから取り残されるなんて言ってみた。


「そんなことはない。僕は決してアナ姉を裏切ったりはしないよ」


「もう、男の人は簡単にそんなことを言うのね」


「ねえ、アナ姉、今好きな人いるの?」


 この子はなんてことをストレートに聞いてくるのよ。


「付き合っている男、いるの?」


 一瞬、クリスの顔が浮かんできた。

 でも私、クリスと付き合っていると言えるのかな。

 告白はされたけど、私、男の人と付き合うつもりはないんだよね。

 これからも一人で生きていくために魔法の世界に戻ってきたんだから。


 けれど。

 ここは、クリスを使わせてもらおう。


「いるよ」

 私はオーウェンの顔を見てそう答える。

「付き合っている男の人、いるわよ」


「えっ」

 オーウェンがショックを隠しきれない顔をしている。


 男の子ってわかりやすくて面白い。


「本当に、付き合っている人がいるの? ウソをついているんじゃないだろうね」


「いるわよ」


「じゃあ、今度、その男の人に会わせてくれないかい?」


「いいわよ。そうすれば、もう私との結婚はあきらめてくれる?」


「その男を見て、安心してアナ姉を任せられると思ったらあきらめる」

 オーウェンは真剣な眼差しでそう言った。


  ※ ※ ※


 そんな事があり、私はクリスをオーウェンの家に連れてきたのだった。

 

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