第18話 マルシアの命が
最近よくこんな話を耳にする。
聖女が作る結界が弱くなってきていると。
結界が弱くなると魔界のモンスターたちが私たちの住む世界に入りやすくなる。
それだけ危険が増すということだ。
「ねえアナスタシア、マジックライトの練習はやっているの?」
隣に座るミミが話しかけてきた。
「うん」
「一人で練習しているの? 私も一緒にしてもいいよ」
「ありがとう。でも大丈夫」
昨日もダンと二人で練習したところだった。
いろいろなことをミミに相談したい。
マルシアという女性がいながら、クリスが私のことを好きだと告白したこと。
ダンが毎日、私の練習に付き合ってくれていること。そのダンが、私と一緒にダンスを踊ろうと言ってくれていること。
マルシアが私にとても冷たい態度をとりつづけていること。
全部ミミに話したかった。
でも、がまん。
まだ、ミミとは知り合ったばかりだし、もう少しお互いが解りあえてから話す方がいいと思ったのだ。
担任のカミラ先生が授業の終わりを告げた。
生徒たちが次々と立ち上がり、思い思いの行動をする。
私はそっとクリスに目を向ける。
クリスは特に私と目を合わせる様子はない。
前に、マジックライトの練習を一緒にしようと誘ってきたけど、そう話してきたのは一度きり。
もう、そんな話はとっくに忘れている様子だ。
まあ、私の方もダンに教わっているので、クリスなんかが誘ってこないほうがありがたいんだけどね。
教室を出る生徒たちの波に乗り、私も外へと向かう。
行き先はあの桜の木がある場所だ。
そこでダンと今日も待ち合わせをしている。
彼は、とても紳士的で丁寧にマジックライトの技を教えてくれている。
ただ、私は、飲み込みが悪く、全然上達しなかった。
そんな私でも、ダンは見捨てずにやさしく教え続けてくれる。
やはり年上の男性は違うな。
包容力が半端ない。
でも駄目。私に男なんて必要ないんだ。
一人で生きていくために魔法の世界に戻ってきたんだから。
そう心に言い聞かせるのだが、ダンと一緒に練習しているとその決心が揺らいでしまうことも正直ある。
「ねえ、アナスタシア、考えてくれた?」
桜の木の下でダンが話しかけてきた。
「何をですか?」
私はとぼけてそう言う。
「何をって、食事のことだよ。僕と二人で食事をしようって誘ったじゃない。その返事を聞かせてほしい」
「今はそんなことよりも、魔法の勉強の方が大切なので……」
「僕と食事をしたからって、勉強がおろそかになんかならないよ」
そう言ってから、ダンは一呼吸おいて続けた。
「それとも、誰か他に気になる男の人でもいるのかな?」
「そんな人、いません」
私は即答する。
「もし……、もし、クリス君のことが気になっているのなら、止めたほうがいいよ」
「えっ?」
「前にも言ったけど、クリス君は女性にとても人気があるからね。そういう人とお付き合いすると、後で痛い目にあうよ」
「私……、クリスと付き合う気なんてありません。それにクリスにはマルシアというお似合いの女性がいるんですから」
「そうだね。クリス君にはマルシアさんのような女性が似合っているよ。決して君とは上手くいかない」
そんなこと念押ししなくてもわかってます。
私は心のなかでつぶやいた。
そんな時。
急に空が悲鳴をあげた。
空間が歪み、空に真っ黒なホールが出現したのだ。真っ黒なホールは、桜の木のすぐ上にできている。
「結界が破られている」
ホールを見たダンが声をあげる。
「モンスターが出現する。危険だ、アナスタシアは逃げるんだ!」
その言葉で私は桜の木から離れた。
でも、どこに逃げればいいのだろう?
空間の隙間から何かが現れた。
それほど大きな物体ではないが、私の背丈ほどはある。
それは、羽根の生えたモンスターだった。
「ゲレーロだ」
ダンが叫んだ。
「危険なモンスターだ。アナスタシア、すぐに何かに隠れてくれ!」
何かに隠れるといっても、ここには桜の木しかないよ。
私は結局、木の幹に体をよせた。
「そこは駄目だ、ゲレーロは雷電を放つ。木の近くは危険だ!」
そうなの? ここは危険なの?
とにかくこの場から走り出そうとしたとき、ゲレーロの体が黄色く輝いた。
光線が放たれ、ジグザグに落ちていった。
「きゃあ!」
どこかから悲鳴が聞こえてきた。
誰かに雷電があたったのか?
「まずい、このままでは私たちもやられる。しかし向こうは魔族だ。簡単に手を出せる相手でもない」
ダンも打つ手がないのかその場で動けずにいる。
その時、ゲレーロの目が私を捕らえたのがわかった。
だめ、狙われている。
そう危険を感じた瞬間だった。
「はっ!」
誰かが声をあげ、ピンポン玉が弾け飛ぶようにゲレーロに向かい飛んでいった。
その人物は、赤いフィルムがまとったように体全体を輝かせている。
炎の属性だ。
炎の属性と言えば……。
間違いなかった。
今、ゲレーロに立ち向かっている人物は……。
クリスだった。
クリスに違いなかった。
大丈夫なのクリス?
相手は魔族よ。
下手したら命を失うのよ。
ゲレーロがクリスに気がついた時、彼はもうモンスターに手が届くところまで到達していた。
ゲレーロの体が黄色く輝き始める。
また、雷電を放つのであろう。
しかし。
あっという間の出来事だった。
「火炎武龍!」
クリスが術式を唱えると、ゲレーロの体が炎に包まれた。
「グゴゴゴ」
真っ赤な炎に巻き付かれたゲレーロは、この世のものとは思えないうめき声をあげた。
そのままクリスから離れていく。
やがて空間がまたもや歪み、再び真っ黒なホールが出現したかと思うと、ゲレーロはその穴に飛び込み消え去ってしまった。
よかった。
逃げたのだ。
モンスターが逃げ去ってくれたのだ。
もし逃げてくれなかったら今ごろは……。
「だ、大丈夫、クリス?」
私は思わずクリスに駆け寄りそう声をかけた。
「ああ、なんとかうまくいったよ」
無事で良かった……。
でも、どうして?
どうしてあんなにすばやくクリスは飛んできてくれたのだろうか?
たまたま、この近くにいたのだろうか?
そう思っていた時。
遠くから私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「アナスタシア」
その声が近づいてくる。
見ると、ミミが私に向かい駆けよってくる。
「どうしたの?」
「大変なの、アナスタシアすぐに来て!」
ミミはかなり慌てた様子だった。
「何があったの?」
「マルシアが、マルシアが」
マルシアがどうかしたのだろうか?
「マルシアが、モンスターの雷電に撃たれてしまったのよ!」
「えっ?」
そう言えば、ゲレーロが雷電を放った際、女性の悲鳴が聞こえた。
あれが、マルシアだったの?
「すぐに来て! このままじゃ、マルシアが死んでしまうわ!」
ミミが駆け出す中、私たちもその後を追って走った。
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