第4話 紅に染まるエンゲージリング

 暴力シーンおよび残酷シーンがあります。ご注意ください。


 🎃🎃🎃🎃 


 研究所の周りは、すっかり暗くなりシンと静まり返っている。

 カウフマンは、疲れた表情で研究室を後にした。


 彼にとっては、散々な一日だった。

 実験用のネコを飼育している施設に何者かが侵入し、すべてのネコを開放してしまったのである。施設内もひどく荒らされていた。


 カウフマンは研究員たちを集め、ネコの捕獲と施設内の片付けを指示した。ところが、ふたりの研究員が事故に遭い、病院へ運び込まれる事態になった。


 捕獲したネコをケージに収容し、施設内の片付けを終えた頃には夜の帳が下りていた。大半のネコは捕獲できたものの、まだ数匹見つかっていない。


 事故もあり暗くなってきたので、残るネコの捕獲は次の日に持ち越された。明日、数人の研究員たちで捜索することになっている。


 研究所の東門へと続く道をカウフマンは、ただひとり歩いている。暗闇に包まれたこの道では、魔導灯の明かりだけが頼りだった。


 アゾト工場「技術開発研究所」の敷地は、森に囲まれている。このため敷地内の道は、夜になると大きく広がった木の枝に阻まれて月明りさえ届かない。魔導灯の無い場所は真っ暗で、黒い沼のなかに足を踏み入れているような錯覚に陥る。


 コツコツと夜道を歩く彼の足音だけがした。


 にゃーん。


 ふいに聞こえるネコの鳴き声。


 カウフマンは、眉間に皺を寄せてため息をついた。

 脱走したネコのうちの一匹だろう。こんなところにいたのかと、彼は闇に包まれた森のなかに視線を向けた。


 少し離れた所で、ガサガサッと獣が駆けていく足音がする。


 カウフマンはポケットに手を突っ込んだ。ちょうどポケットには、ネペタラクトールを滲みこませた白い布切れが入っている。ネコをおびき寄せて捉えるためだ。

 

 ネペタラクトールは、マタタビに含まれる成分。この成分にネコが寄ってくるのだと言われている。


 彼はポケットから白い布を取り出して、足音のした方へと歩き出した。

 どうにか魔導灯の光が届く森のなか、白黒ブチのネコが二つの目を光らせてこちらに視線を向けている。


 カウフマンは白い布を軽く振った。


 するとしっぽを立てて、彼の方へと近づいてくるネコ。

 

 彼が白い布を振っていると、白黒ブチのネコは彼の足下でお腹を見せて転がり始めた。

 ごろごろと転がって見せるネコを、カウフマンはしゃがんで捉えようとした。


 その時だった。


「にゃーん」


 今度は、彼のすぐ背後でネコの鳴き声。

 カウフマンの肩が、一瞬、びくっと跳ね上がる。


 振り向いた彼の視界に映ったのは、黒いローブに身を包んだ猫背の人の姿。風が吹く暗闇のなか、ローブをはためかせて静かに立っていた。

 その顔を、黒い猫耳魔女帽子の幅の広いつばで隠している。


「おいっ! 何のイタズラだ?」


 カウフマンは苛立った声でそう言った。


 すると黒いローブを着た者は、ゆっくりとその顔を上げた。

 両手から鉤爪が、シューっと伸びていく。


 カウフマンは驚愕した表情で、その姿を凝視した。

 明らかに人間の頭部ではない。魔女帽子のつばの奥から覗く三角の目からは、ぼうっと蒼白い光が漏れている。


「な、なんだ、この魔物は!?」


 それは、ジャック・オ・ランタン。

 ネコ400号の魂が宿る魔物。

 大きく横に広がったその口は、薄気味悪い笑みを浮かべている。


 カウフマンは、その魔物が纏うただならぬ気配を感じたのか、手を震わせながら後退りした。


 フギャアアッ‼


 「ひあっ!?」

 

 カウフマンの心臓が跳ね上がる。


 彼は、自分の足下に顔を向けた。足下にいたネコの尻尾を踏みつけている。

 カウフマンは、即座にその足を上げた。


 その瞬間、ジャック・オ・ランタンが右手の鉤爪をひゅっと一振りした。


 反射的にそれを避けようとしてカウフマンは、


「ああっ!」


 と声を上げ顚倒した。


 「にゃーん」とネコの声を出して、ひた、ひた、ひたと彼に近づくジャック・オ・ランタン。

 尻もちをついたまま、カウフマンは両足をガサガサ動かして後退りする。立ち上がろうとするも、腰が抜けて立ち上がることができない。


「はあっ、はっ」


 右手で頬を押さえるカウフマン。何かに気が付いたのか、右手の手のひらを凝視した。それは、彼の手にべったりとついた紅の液体。


 避けた筈の鉤爪は、カウフマンの右頬を掠めていたのだった。


 彼の顔の右頬は肉が裂け、骨が覗いている。そして裂けた傷口から、とめどなく流れる血。


 両手から一〇本の鉤爪を伸ばしたジャック・オ・ランタンが、ひた、ひた、ひたとカウフマンに迫る。


 彼は大きく目を開き、血に染まった手で頬を押さえながら、首を左右に振っている。


「はっ、はっ、……んぐっ、はっ、はっ、は……」


 急速に速くなるカウフマンの呼吸。

 彼との距離を一歩また一歩と詰めるジャック・オ・ランタン。


 彼は尻もちをついたまま、懸命に足を動かす。足を動かして、懸命に後退りしようとした。しかし、踵が滑る。踵が滑って、ほとんど移動できない。


「ニャアア゛ア゛ア゛ッ」


 唸り声を上げて、ジャック・オ・ランタンがカウフマンに襲いかかる。


「う、うわああああっ‼」


 彼の身体へ無慈悲に振り下ろされる一〇本の鉤爪。鉤爪が振り下ろされるたび、周囲に紅の飛沫が撒き散らされる。


「あはっ、あははははははははははは」


 鉤爪を振り下ろしながら、ジャック・オ・ランタンが愉快そうに笑う。甲高い少女のような笑い声が、暗い森のなかに響き渡った。



 そして婚約指輪の入ったケースだけが、血だまりのなかに残された。

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