第4話 外の世界へ


 散々泣きじゃくった後、ようやく落ち着いたアベル。少し気恥ずかしさはあるものの、アベルはきちんと神へと向き合う。その瞳に、もう迷いはない。



『それじゃあ約束通り、キミに魔術を教えよう。ただ、注意してね。神の魔術は人間の魔術よりも大規模で大雑把だ。精密性で言えば人間の魔術の方が優れている。だから、キミが持っている人間の魔術としての知識は正直あまり役に立たないかもしれない』


「……わかった」



 アベルは何年も魔術に関して勉強を積んでいた。だがそれが無駄になるとは思えないし、そうなったらそうなったでまた勉強を始めるだけだ。


 覚悟を決めたアベルに対し、神は何度も頭を撫でる。何時間と撫でられ続けているが、不思議とやめてほしい気分にはならない。



『キミの覚悟を尊敬する。それでは、キミに魔術を教えるよ。さあ、力を抜いて。そしてできるだけ心を無の状態にするんだ』


「……」


『そんな感じ、上手だよ。準備ができたところで、さっそくいくね?』



 神はそう言って、アベルのおでこに人差し指を当ててくる。そして……



「う、うぐっ……ああっ!!!」



 膨大な知識が、アベルの脳内に直接流れ込んでくる。強烈な痛みと不快感で気絶してしまいそうになるが、神がアベルの肩を掴み抑えつける。



『いい? これはキミの力となる知識だ。拒絶しようとはしないで、頑張って受け入れて。そして、知識を定着させ制御するんだ』


「せ、制御するっ?」



 神の言葉はかろうじて聞こえていたが、流れ込んでくる知識に終わりは見えない。ただ、意味が分からない言葉の羅列が大量に流れ込んでくる。その体感時間はまさしく無限だ。



「うっ……あ”ぁぁ!!!」


『頑張って、アベル』



 神さまは俺の名前を呼び一生懸命応援する。知識を流し終わった神さまはおでこと肩から指を離しアベルのことを抱きしめた。


 そして懸命に、アベルに訴えかける。



『しっかり気をもって。流れてくる知識を理解し、構築し、そしてそのすべてを……』


「あっ……うっ……」


『支配するんだ』



 アベルは脳内に流れ込んでくる知らない知識を、一生懸命自身の知識へと昇華する。強烈な頭痛に襲われる中、ただひたすらに神のことを抱きしめ返した。そして



「……う、んっ」


『……できた、みたいだね』



 アベルはこの瞬間、魔術の原点を修めた。



「これは……この力は」



 知識を得たアベルは様々なことに思いを馳せる。自身が所有する膨大な魔力量と合わせれば、アベルにできないことはほとんどない。それほどまでの智恵が、アベルの脳に収められていた。



『サービスとして魔術の知識だけでなく、魔術理論や歴史も多少詰め込んでみた。キミが外の世界に出て、困らないように』



 神の言う通り、アベルの中には多くの知識が詰め込まれていた。これなら、何とか一人でも生きていける。



『……今のキミなら、外の世界でも大丈夫だ』



 神はアベルのことを応援し、肯定し続けた。そしてアベルは神のところへと駆け寄る。少しだけ驚いた表情をする神だったが、そんなことに構わずアベルは思いのたけを少ない口数で綴る。



「えっと、あなたのことはまだよくわからないけれど……」


『うん、当然だ。さっき流し込んだ知識の中には含めなかったもの』


「……ありがとう、ございます」



 アベルは泣きながら神へお礼を言う。そしてそのまま、神の方へ背を向けた。



『行くんだね?』


「……はい」



 そしてアベルはゆっくりと、自分のペースで歩きだす。弱弱しい体だが、一歩の強さだけは誰にも負けない。



『行ってらっしゃい』

「……行ってきます」



 神は笑顔で手を振り、アベルのことを見送った。その声は寂しさが滲み出ており、瞳には一筋の涙が浮かぶ。


 どうしてそこまで自分のことを想ってくれているのかはわからない。だがアベルは、その気持ちを大事に嚙み締める。


 そしてアベルは、何もないどっちつかずな空間をずかずか進んでいった。すると、急に周りの光景が崩れ始める。どうやら、現実世界で意識が覚醒するようだ。



(俺は……もう縛られない)



 そしてアベルは、ゆっくりと目を閉じた。




   ※





「……ぁ」



 アベルは冷たい床の上で意識を覚醒させる。どうやら、眠っていたようだ。



(さっきの光景は……夢?)



 だが、それにしてはリアルすぎた。そして何より、自身の中に学んだこともない大量の知識が埋蔵されている。使おうと思えば、いくらでも魔術を使える気がした。



(けど、乱発はできない)



 アベルの魔力量ならいくらでも魔術が使えるが、神の魔術は一つ一つの消耗が大きい。加えて、アベルの体が今とてつもなく弱っている。必要最低限の魔術で、この鉄塔を抜け出す必要がある。



(まず、自分に埋め込まれている術式をすべて解除する)



 アベルは五年前、この鉄塔に放り込まれる際に多くの術式を父によって刻まれた。父がその気になれば、いつでもアベルのことを呪い殺せてしまう。それでは脱出できても意味がない。さらに、逃げることに成功しても位置情報が丸わかりだ。



(……よし)



 覚えた魔術をついに実践するときが来た。無限にある魔術から最適なものを引っ張り出し、その術式を確認する。


 そしてアベルは、初めて魔術を詠唱した。



【リリース】



 これは、全ての状態異常を回復する魔術だ。現代の魔術師から見たら反則的な魔術だろう。


 その言葉が唱えた瞬間、アベルの体を優しい光が包み込んだ。そしてアベルの体内に刻まれた多くの術式を根こそぎ無効化し引き剝がしていく。気が付けば今まで足に纏わりついていた足枷も壊れていた。きっとあの足枷にも呪いのようなものが掛けられていたのだろう。


 アベルは自分の体が軽くなったことに驚くが、それ以上に初めて魔術が使えたことに感激する。今まで、使うことは諦めていたのだ。



(これで……俺も魔術師になれるっ!)



 だが、その前にやるべきことはたくさんある。呪いを解除したことは既に父に感づかれてしまっているだろう。だから父がこの場に来るまでに、急いでこの鉄塔を抜け出さなければならない。



(まずは、この鉄塔を破壊する)



 五年間自分を苦しめた鉄塔に、思うところがないわけではなかった。だからアベルは脱出するならついでにこの鉄塔を破壊してしまおうと画策する。


 そして脳内で最適な魔術を検索し……見つけた。



【トールハンマー】



 雷神の名がつけられた、破壊の一撃。その魔術を唱えた瞬間、上空で何かが唸る音がした。そしてその音を聞いた次の瞬間



 ドゴーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!



 鉄塔を半壊させるほどの雷が落ちた。鉄塔の上層は崩れ、アベルがいたフロアもほぼ半分が雷によってえぐり取られた。


(……ぁ)



 それは、アベルにとって五年ぶりに見る空だった。澄み渡る青空に、アベルは感激した涙を流しそうになる。自分の体を撫でるそよ風も、今では愛おしい。



「な、なんだこりゃあ!?」



 すると自身の正面から誰かが驚く声が聞こえる。まぎれもない、この家の使用人たちだ。



(ここで姿を見られるのはマズイ)



 直感的にそう感じたアベルはすぐさま魔術を検索する。そして、少々過剰だが姿を隠すのにちょうどいい魔術を発見した。



【テンペスト】



 その瞬間、晴れ渡っていたはずの上空に突如雨雲が生成された。かと思えば、すぐさま大粒の雨が降り注いだ。普通に歩いていて痛いと思えるくらいの水量だ。


 目の前の使用人たちも明らかに混乱し、そのうちの一人は屋敷の中へと大急ぎで駆け出した。恐らくルーグに報告するつもりだろう。



【エスケープ】



 アベルは姿を見られる前に転移の魔術を使ってその場を離れた。転移場所はこの屋敷の屋上だ。



(……あ、父さんだ)



 久しぶりに見た父親の顔は少しだけ老けていた。だがその威厳と圧は五年前とほとんど変わりない。


 慌てふためく父親をゆっくり見ていたアベルだが、いきなり彼が魔術を使い使用人たちを総動員して自分の事を探し始めたことに驚いてしまう。きっと父は内心相当怒っているだろう。



「……怖い、ね」



 屋敷では怒号が飛び交い多くの使用人たちがアベルのことを探し始めた。彼らには悪いが、自分はこのまま逃げさせてもらおう。


 そう思って魔術をもういとど発動しようとする。だが



「ケホッ、ううっ」



 今までぎりぎりの生活を送っていたためか、今にも倒れそうなほどフラフラだ。それ以前に、慣れていない神の魔術を四度も使ったため頭が痛い。



 だが、ここで休んでいても勘のいい父は絶対に自分の事を見つけ出すだろう。神の魔術をまだ掌握できていないアベルには、六賢者である父に襲われてしまっても勝ち目がないのだ。だから、無理をしてでもここを離れなければいけないのだ。



「さよなら。俺は、世界を見に行く」



 父の姿を最後に見て、アベルは魔術を使う覚悟を決める。



「……ふぅーーー」



 雨雲の操作を解除し、転移用の魔術にすべてを集中させる。そうしなければ、魔術を使って倒れてしまうリスクが高いからだ。アベルには、複数の魔術を同時展開する技術はまだ難しい。



【エスケープ】



 闇魔術の名門であるクォーツ家に生まれ、才能を見込まれていた長男。そして、最終的にクォーツ家の落ちこぼれと呼ばれ鉄塔に五年間も閉じ込められた元長男。



 魔術師アベル・クォーツは家族の誰にも別れを告げることもなく、豪快な魔術を使いひっそりとその姿を消した。

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