第3話 神と人間


『ようやくだ……ようやくキミと繫がることができたっ』



 アベルの目の前には彼の腰ほどの背丈の少女が安心しきった顔ではにかんでいた。理由は分からないが、目の前の少女は今にも泣きそうでアベルの元へと一歩ずつ歩みを進めてくる。



『ごめんね、こんなにつらい思いをさせてしまって。本当なら、キミはとてつもない才能を見込まれ幼いながらも、キミは魔術で雷歴を築いていたはずだったのに……』


「……?」



 アベルは困惑していた。ここがどこで目の前の少女が誰という疑問はもちろんだが、どうして謝られたのかが一番理解できなかった。だがそんなことを考えている間に、少女の顔がアベルのすぐそばにやってくる。



『キミの顔……もう少しよく見せて?』



 アベルは膝を組みながら座っていたので、少女の身長とちょうど同じくらいの目線の高さだ。だから少女の瞳とアベルの瞳は真正面から交差する。そして少女は、アベルの頬に手を当てた。



(あれ、何だろう?)



 アベルは不思議な感情に包まれたが、すぐに手が当てられている頬の逆の頬で涙が流れていることに気が付く。どうしてこの少女に見つめられただけで、こんなにも泣きたくなってしまうのだろうか。そして……どうしてこんなに安心してしまうのかわからない。この安心感は母親に抱きしめられたときを遥かに超えている。


 ひとしきり見つめられたアベルは涙をぬぐい、ようやく口を開く。



「あな、たは……だれ、ですか?」



 長い間まともに喋っていなかったため言葉はたどたどしかったが、少女が頷いているところを見るに意思の疎通は問題ないようだ。そして、少女はアベルの頬から手を離し自分の胸にあてる。



『私は……そうだね。実は私にこれと言った固有名詞はないんだ。しいて言うならば……神々の代表、ってところかな?』


「……かみ?」



 アベルは少女から発せられたその単語を自分の中で何度も反芻する。神とは、かつて人間たちに魔術を与えたとされる偉大な存在だ。だからこそ今でも教会で祀り上げられており、人々が祈る唯一の存在だ。少なくとも人間が容易く鑑賞できる存在ではない。だが、その神と名乗る人物がアベルの目の前で優しい顔で語りかけてくる。



『えっと、何から話そうかな。幸いここでは時間の概念がない。本当ならお茶でも用意してキミとゆっくり語りたいところなんだけれど……』


「……ここは、ど、こですか?」



 俺はずっと気になっていた疑問を自称神にぶつけてみる。少なくとも俺は先ほどまで閉ざされた鉄塔で絶望に打ちひしがれていたはずだ。だが、周りを見回しても白く何もない空間だけ。鉄塔の重々しい雰囲気は取り払われ、神々しい雰囲気に包まれている。



『ここは、神の間。膨大な魔力量と才能を有し、私たちの寵愛を受けたものしか入れない特別な空間。うーん、キミにとっては夢の中といってもいいのかもしれないね』



 全てが夢だと思っていたが、あながち間違いではなかったようだ。だが、夢と言われたものの妙に現実味のある夢だ。少なくとも、体の感覚がなくなっているとかそんなことはない。



『今までキミはつらい環境の中で自由への希望を抱き、持ち前の心の強さを発揮していたせいでこの空間に来ることはできなかった。けれど、大きな絶望から助けを求める感情が私を引き寄せこの空間への扉を開けた。会えてよかったよ、キミのことはずっと見ていたから』



 確かに、アベルは今まで鉄塔生活を送っていたが、きっとどうにかなるだろうと淡い希望を抱いていた。きっといつかは外に出してくれる。そう信じて五年間という長い日々を過ごしてきたのだ。だが、それも今日で終わりを迎えた。


 この夢が醒めたら、アベルは望み通り外の世界へと連れ出される。ただし、それはアベルをそのまま教会に連行し体を細かく解体するためだ。このままではアベルに未来はない。



『キミは、生きたい?』


「……え?」


『私……いえ、私たちならあなたの力になれる』



 いきなり複数形になったのが疑問だが、アベルは迷ってしまう。自分には魔術の適性がなく、人より魔力量が多いだけ。例えるなら、剣を持つことができない呪いにかかった凄腕の剣士みたいなものだ。魔術適正がない自分に、いったい何ができるのか。


 このままこの空間を出ても(そもそも帰れるかわからないが)何も変わらない。自分が死ぬという運命はどうやっても変えられるとは思えなかった。


 だが……



「……たい」


『……』


「生き、たい!」



 アベルは、諦めたくなかった。魔術への夢は五年たった今でも捨てきれていないし、外の世界を自由に生きたいという憧れもある。だからこそ、その力を原動力にして……



『キミは、恐るべき魔術への才能を秘めている』


「……?」



 アベルが覚悟を決めたのを見計らってか、神は何かを話し始める。だが、アベルにはどの属性への適性もなかった。いくら才能があっても、属性への適性がなければ意味はないのだ。



『魔術とは、私たちが考案して、夢という概念を術式としての形に変えたもの。けれど、神の魔術は人間たちへ大きな体の負担が掛かっちゃうし、少し刺激が強すぎた』


「?」


『だから人間は、まず自分が得意な分野を調べる術を生み出したの。それがキミたちで言うところの属性というもの。まあ、きっかけとなる水晶玉を人間に与えたのは私たちだけど』



 水晶玉とは、魔力を流し込むことでその者の魔術適正を属性としてあらわすことで図ることができる道具だ。人間は誰しも一つ以上属性を持っている。つまり……



「俺が光らなかったのは、どの属性にも、向いていなかったから?」


『……違う、そうじゃないの』



 アベルの疑問を、神はきっぱりと否定する。ならば、どうしてアベルには適正がなかったのか。すると、神は改めてアベルに向かう。



『少し長くなるけど、聞いてくれるかな?』


「……わかった」



 ここで断っても何も変わらない。だから俺は神の話を大人しく聞くことにした。



『現代の人間たちは必死になって魔術を研究しているみたいだけど、私たちが生み出した本来の魔術からは大きくかけ離れ、全くの別物になってしまっている。長い歴史の中で、魔術は大きく二つに分かれてしまった。神の魔術と、人間の魔術に。そして人間の魔術はさらに細かく分類され、六つの属性となったわけ』



 ここまでは何とか理解できるし、既存の知識が多い。だが神がそこまで言うほど魔術が劣化しているとは思えなかった。現代でも強力な魔術は数多く存在する。そして推測するに、それは人間が生み出した人間の魔術だろう。



『異端、という言葉を聞いたことがあるはずだね。本来と異なる姿を見せた六属性。あるいは六つの属性のどれにも当てはまらず、魔術界のはみ出し者とされるもの』


「ああ、聞いたことある」


『それこそが神の魔術……本来あるべき魔術の姿だ』



 神の言葉を、しばらく理解することができなかった。だが、アベルはそれを自力でかみ砕き、何とか理解しようと努めた。そして、信じられないという表情を隠すことなく神に質問する。



「そんなすごいものが、どうして異端と呼ばれるように?」


『昔ならともかく、今の人間には神の魔術を理解することができなかったんだ。それこそが本来あるべき魔術の姿なのにね。あとは簡単な話。人間は、自分たちが理解できないものを恐れ排斥する。だからこんな風になったんだ。そういえば、異端と認定された人はどうなるんだっけ?』


「……教会に捕まって、火炙りにされる」



 これが、現代の仕組み。小さな子からお年寄りまでが知っている世界の常識だ。だが、それがこの夢で一瞬にして覆されることとなった。


なんとなくだが、神が言っていることは理解できた。相変わらずそれを見計らうように、神は最初の話へと戻る。



『君に恐るべき魔術の才能が眠っていると私は言ったよね。そう、君は魔術の原点である神の魔術そのものに適性を持っているんだ。そしてそれは人間の尺度で測ることができない。だからあの水晶玉は何も反応を示さなかったんだよ』


「神の魔術に、適正?」


『まあ、人間たちの間では異端とされているけどね。そんなキミだから、私はずっと気にかけていたんだよ?』



 つまりこの自称神様は、俺が異端と認定されないかずっと気にかけてくれていたのだ。そういえば、もう一つ気になることがあった。



「神の寵愛って、何ですか?」


『え……ああ』



 この神様は最初に言っていた。この神の間に来るためには魔力の量と適正、そして神々の寵愛を受けなければいけないと。なら、俺は神……目の前の少女からの寵愛を受けているということになる。それを確かめようとしたのだが……



『愚門だね。私……いや、全ての神は多分キミの味方だ。キミの魂に惚れ込んでいる……と言っていいのかもしれないね。私たちは、キミという存在が大好きなんだ。愛しているといってもいい』


「だ、大好き……」



 顔をぐいと近づけられ、ストレートに愛を伝えられたのでアベルは少し照れてしまう。だが、恐らくそれは自身が神の魔術への適性を持っているからなのだろう。そうでなければ説明がつかないし、それ以外の理由が思いつかないからだ。少なくとも、今まで一度だって神に祈ったことはない。



『さて、とりあえず今までの魔術に関する歴史は理解してもらえたね。それじゃ、キミには私たちの魔術の使い方を教える。それが、キミのためになると思うから』


「……いいのか?」


『ふふっ、キミはおかしなことを言うね。最初に言ったでしょ。私たちは、キミの味方だって』



 アベルに、この五年間寄り添ってくれる者はいなかった。だが、神様たちはずっと見守ってくれていたらしい。その事実を知ったせいか、アベルはぽろぽろ涙をこぼす。神様は驚くが、そんなことにも構わずアベルは息を詰まらせてしまう。



 いったいいつぶりだろうか。悲しみや絶望ではなく、嬉しさで涙を流すのは。



 気が付けば、アベルの頭に小さな手が優しく乗っていた。誰あろう、神様だ、神様は優しい顔で、ゆっくりとアベルの頭を撫でる。



『今まで、一人で頑張ったね。本当に、キミは偉いよ』


「うっ……ぁ……」



 そしてそのまま一時間ほど、アベルは小さな神様に撫でられ続けていた。

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