第2話 異端への入り口
この真っ暗な空間に幽閉されて、二年が経過した。
アベルは真っ暗な牢獄の中で十二歳の誕生日を迎えた。だが、それを祝ってくれる者は一人もいない。この場所はなぜか虫やネズミが沸くことなく、最低限の衛生が整えられている。
この場所で二年も生き長らえているのは、最低限の食事が毎日提供されるからだろう。目を凝らすと部屋の端にはトイレがあるし、何に使うのかよくわからない食器棚まである。きっとここは、牢獄を改造して作られた鉄塔だったのだろう。自分の家のはずなのに、こんな場所があるとは全く知らなかった。
「……」
もう長らく、声を発していない。喉を通るものと言えば乾燥して硬くなったパンと鉄のような匂いがする冷たいスープのみ。最初はそれを食べてお腹を壊したが、それが二年間も出され続けていたらもう慣れた。人より魔力器官が発達していた影響もあるのかもしれないが、今となっては大切なライフラインだ。
(……ぁ)
この部屋にわずかな光をもたらす小さな鉄格子の窓。そこから風に乗って笑い声が聞こえた気がした。気になったアベルは耳に魔力を集中させ自身の聴力を強化する。すると、確かに誰かが談笑しているのが聞こえる。
「ハハハッ、シエルは凄い才を秘めているな! その調子で闇属性の魔術の鍛錬に励むのだぞ」
「はい、お父様。あ、それはそうと光属性も……」
「ふん。あんな見せかけだけの魔術、究めずとも良いわ。お前は私の跡を継いで闇の六賢者になるのだ」
「は、はぁ……」
アベルの知らない、謎の少女の声がする。だがすぐに予想がつく。きっとあの二人は自分の代わりとなる養子を教会が管理する孤児院から引き取ったのだ。そしてその少女の名前はシエル。なるほど、仲は悪くなさそうだ。
「あらシエルちゃん、お父さんと魔術の特訓?」
「あ、はいお母様。ちょうど今終わったところです」
「んもう。どうせなら私も呼んでほしかったのに。ルーグったら」
「あー……それに関しては悪かったな」
「ほんとよ、もうっ」
幸せそうな家族の会話。二年前まではあそこには自分が居たはずなのに、そのすべての思い出をどんどん上書きしている。この薄暗い空間では見ることはかなわないが、きっと三人は外で幸せそうな表情を浮かべているのだろう。
(結局……俺は)
足に繋がれた枷。開けることのできない扉。唯一ある窓も最近成長する森林のせいで徐々に光が遮られ始めていた。
アベルには、自由というのが何よりも羨ましかった。
思えば、アベルはずっと縛られていたのだ。
朝から晩まで家庭教師による教育。それが終わったら礼儀作法などのマナー講習。果てには、他の貴族への挨拶回り。同年代の子供と気軽に話したことはほとんどない。
唯一好きでしていたのは魔術の勉強と体内の魔力コントロールくらい。アベルは、外に出ることを強く渇望するようになっていた。
だがそんな願いも叶わぬまま、さらに時は過ぎていく。
—さらに三年後—
「あ……今日誕生日だ」
アベルは十五歳の誕生日を一人で迎えていた。何故日付が分かるのかというと、閉じ込められてから何日が経過したのかを部屋にあった金属の破片を使って壁に記していたからだ。その量は既に壁の一面を埋め尽くしてしまっている。
この部屋に光がさすことはもうなくなった。三年の間で成長した気によって、太陽が完全に遮られたからだ。かろうじて部屋の中が見渡せるのはアベルが魔力を使って視力を強化しているからだ。
「……外に、出たい」
せめて、もう一度太陽の光を浴びたい。夏場は涼しくて快適だが、冬などは特に地獄だった。魔力を纏って体を守る術を思いつかなければ凍死していただろう。
「……て……奴を……」
(……この、声は)
聞き間違えるはずがない、父であるルーグの声だ。父親の声がこんなに近くで聞こえるのは珍しかったので、アベルは思わず目を丸くしてしまう。そしてすかさず耳を魔力で多い聴力を強化した。どうやら父親一人だけではなく、何人かの護衛がついているようだ。
「確認だが、まだ奴は生きているんだろうな?」
「ええ。毎日我々使用人たちの残飯や期限切れの食品を放り込んでいますので、恐らくは」
「……教会が奴を引き取りに来るのは明後日だ。それまでこの鉄塔には誰も近づけさせるな」
「「「はっ!」」」
そしてアベルの足音がどんどん遠のいていく。一体どういうことだとアベルが疑問に思っていると、外で見張りを命じられた使用人たちがゴソゴソと話し始めた。
「この中にいるのって、アベル様だよな?」
「ああ、魔術適正ゼロの無能だとか」
「にしても、どうして今になってアベル様を外に?」
(……!?)
アベルは使用人たちの会話を聞いて驚愕する。もしかして、外に出してくれるのかという希望が自身の中でかすかに生まれ始めたからだ。だが、真実は残酷だった。
「なんでも教会で魔術に使う触媒が不足しているらしいから、アベル様を解体して素材に使うんだと」
「あれ、でもあいつ魔術が使えないんじゃ?」
「魔力は僅かながらに宿っているらしいから問題ないらしいぜ。そしてルーグ様はその見返りに報酬をもらうとかなんとか」
「はー……自分の息子を簡単に切り捨てられるとは、ルーグ様には恐れ入るねぇ」
「おいお前ら、少し静かにしろ! シエル様はアベル様の存在を知らないし、もう死んだことになっているんだぞ」
そしてその後も軽い談笑を交わしつつも、きちんと見張りをこなす使用人たち。だがそれと裏腹にアベルの心はすっかり落ち込んでいた。この絶望感は五年前に魔術適正がないと判明して以来だ。
「親に死んだ者扱いされ、本来の幸せを奪われ、その末路が魔術用の素材として教会に売り渡し……か」
魔術……主に闇属性の魔術の中には素材や生贄を捧げる類のものが存在する。きっと自分は、訳の分からない魔術の礎とされてしまうのだろう。アベルは三角座りをしながら膝を抱きしめ、自身を覆う悲壮感を味わう。
別に罪を犯したわけでもないし、誰かを傷つけたわけでもない。どうして自分が、こんな理不尽な目に遭わなければいけないのだろうか。自分は親の期待に応え、魔術を探求したかっただけなのに。
涙はとっくに枯れ果てたはずなのだが、アベルの頬を銀の雫が滴る。
「せめて、外の世界に出て……」
自由に、生きてみたかった
『あ、ようやく繋がったね!』
俺が絶望に打ちひしがれる最中。誰もいるはずのない暗い部屋で、この世ならざる声が聞こえた。
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