第1章 解き放たれた異端

第1話 夢が潰えた日


 ——六年前——



 魔術の研究が全盛期を迎えるこの時代に、生を受けた一人の少年がいた。



「おおアベル、今日も魔術の勉強か?」


「はい、お父様。僕も早く魔術を使えるようになりたいので!」


「ふっふっふ、そうか。お前も私と同じ、偉大な闇魔術師になるのだぞ!」


「はい!」



 闇魔術の名門クォーツ家。長い歴史の中で多くの闇魔術師を輩出した家系であり、現在の当主は歴代最強とまで言われている。さらに魔族領と隣り合った唯一の領地であり、魔族との貿易などを率先して行っている。


 その長男として生まれたアベルは、幼い頃から魔術に憧れ毎日のように魔術の勉強に励んでいた。文字の読み書きを四歳で習得し、そこからはずっと魔術に関する本を読みふける毎日を過ごしていた。


 そんな自らの子供に期待したルーグは、目いっぱいアベルを甘やかした。家庭教師を驚かせるような知性と、自分を尊敬してくれているところがルーグの父性を刺激したのだろう。そして親バカだったのは、ルーグだけではない。



「あら、アベルちゃん。今日も魔術のお勉強?」


「はい、お母さま」


「うふふ、あなたは私とあの人の血を引いているわ。きっと偉大な魔術師になれますことよ」


「はい!」



 そう言ってアベルのことを甘やかすのは、彼の母親でありルーグの妻でもある人物、マアサ・クォーツだ。彼女も闇魔術を究める家系に育ち、魔術学会などで多くの学者を惹きつけるような論文を何度も提出した異才。現在は研究者として多くの研究を手掛けている。



 六賢者と呼ばれる父と優秀な研究者として評価される母。その間に生まれたアベルは多くの人に期待され、本人もそれにこたえられるよう毎日努力して勉強した。ちなみにアベルはまだ一度も魔術を使ったことがない。


 魔術を扱うことが許されているのは、十歳を過ぎてからと国の法で決まっている。それ以前に魔術を使ってしまうと、未成熟な体にどのような影響があるかわからないためだ。だからアベルは律儀にそれを守り、十歳になるのをきちんと待っていた。



(……よし、今日も始めるか)



 だがそんなアベルにも、かろうじてできることが二つある。それは魔術に関する勉強。そしてもう一つは



(魔力を、胸から、右肩、右腕、お腹、左方、右腕、足……)



 それは体内に宿る魔力の循環だ。どうやらアベルは若いながらも多くの魔力量を有しているらしく、幼い頃から自身の中に眠る魔力の鼓動を感じることができた。魔力をスムーズに循環させる訓練。これは物心ついた時から両親に秘密裏で隠れて行っていた。


 魔力を循環させる訓練をすればスムーズな魔術発動を行えるらしく、やればやるほど魔力量が増えていくのがアベルには感じられた。これをやっているせいかアベルは今まで病気になったことはないし、魔力が増加していくのがアベルにとっては快感だった。



(ふぅ、今日はこんなものかな?)



 そしてアベルが一通り魔力を巡らせ終わると、ごろんと大の字になって床に寝転がる。この部屋には誰も入ってこないし、アベルにとっては数少ない憩いの場だ。それが終わってから、アベルは改めて魔術の本を読みふける。まさに、本の虫だ。



「えーっと、この世には六つの魔力元素が存在しており、順番に火、水、土、風、光、闇……」



 これはアベルが何度も読んだ文節だ。この世界には魔術というものが存在し、大きく分類して六つの属性に分かれる。



 灼熱のごとき火属性


 水流がうなる水属性


 大地を司る土属性


 荒く切り裂く風属性


 閃光のごとき光属性


 全てを包む闇属性



 人間は、誰でも一つ魔術の適性を持っており、運がよければ複数の属性を有している。アベルの父であるルーグは闇属性に類稀なる適性を有しており、それぞれの属性の頂である六賢者の一人と呼ばれるまでに至った。そんな父親を、アベルは尊敬していたのだ。



「そして、それに該当しない力をふるうものは異端と認定され……」



 いくつか古い文献もあったが、アベルはそれを余さず読む。魔術の文献に限らず地理や歴史、簡単な計算などなど、アベルが十歳になる直前で家の広い本棚を読破した。さらには家庭教師による英才教育の影響もあり、アベルは同年代の少年少女たちに知識で大きな差をつけていた。



 そして、アベルにとって長い間待ちわびていた瞬間がついに訪れる。



「アベルよ、お誕生日おめでとう」


「うふふ、今日の夕食は期待してなさい」



「ありがとうございます。お父様、お母様!」



 待ちに待った十歳の誕生日。アベルは屋敷や親戚などに挨拶回りをして過ごし、その日の夕方には教会に来ていた。後ろには父親であるルーグが付添人として来ていた。


 馬車を降り、そのまま教会の大きな扉を開ける。すると、中には髭の長い老人が一人。



「邪魔するぞ」


「おや、ルーグ殿。むむ……おお、そなたはアベルか! 最後そなたに会ったのは確か幼子の時だな。儂は覚えておるぞ」


「覚えていただきありがとうございます、神父様」


「ふむ、かしこまらずとも良い。そなたはルーグ殿の息子。闇属性とは限らぬが、類稀なる才能を持っているのは儂の目でも明らか。今日は魔術適正の検査だな? さあ、その水晶玉に触れなさい」



 そう言って神父は教会の隅に飾られている綺麗な水晶玉を指さした。あれは魔水晶と言い触れるだけでその人物の魔力適性が色となって表れるのだ。火なら赤、水なら青という具合で、自分の適性が一目瞭然となる。運がいいと色が混ざり合う二属性の適性を持っているかもしれない。



(ようやく、ここに立つことができた)



 アベルにとってずっと待ち望んでいた瞬間。ようやくアベルは、魔術の世界に没頭することができるのだ。真理を追い求め、父のような偉大な魔術師に……



 そしてアベルが水晶玉に手をかざすと——




 シーン……






「……あ、あれ?」



 魔水晶は、ピクリとも反応しなかった。



「お、おいどうしたアベル? さっさと魔力を流さんか!」


「……えっと、あ、あれれ?」



 焦り始める神父様と、険しい目つきでアベルのことを見つめるルーグ。そんな慌ただしい雰囲気に圧倒され、アベルは祈るように水晶玉に魔力を注ぐ。



(頼む……頼むついてくれ!)



 闇属性は紫色に光る。だが最悪紫色でなくてもいいからと願いを水晶玉に込めるアベル。だが、水晶玉が光ることはなかった。



「あ……え?」



 アベルはただただ絶句するしかなかった。無言の時間が過ぎる中、コツコツと父の足音が近づいてくるのが聞こえる。その音が最大になるまでにかかった時間は、アベルにとって無限のように感じられた。



「……あ、その、お父様」


「……」


「ご、ごめんな……」



「このっ、恥さらしがっ!!」



 そしてアベルは父に腕を掴まれ教会の出口まで無理やり引っ張られる。その途中、鬼のような形相をしたルーグが、神父に向かって言い放った。



「いいか、今日ここであったことは他言無用だ。もしこのことが漏れれば……わかっているな?」


「は、はっ」



 怒りに染まる父に怯え身をすくませる神父。あふれ出る魔力量に恐れつつ、父を先回りして教会の大きな扉を開ける。そしてアベルはそのまま馬車に投げられるように放り込まれた。向かい合う父の怒り狂った顔を直視できず、アベルは思わず下を向いてしまう。



「ふん、まさかお前が魔術適正もない無能だったとは。この十年間、すべてをドブに捨てた気分だ!」


「……」



 ルーグはアベルのことをもはや子供とは思っていなかった。家に帰り次第、ずっと使われていなかった鉄塔の方へ腕を掴まれ引きずられる。扉を開けると、そこには埃っぽく薄暗い空間が広がっていた。ただ、無駄に広い。



 カチャリ



 すると、アベルは自身の足に何かをつけられたことに気が付く。よく目を凝らすと、それは足枷だった。ご丁寧に壁と繋がった鎖が繋がれており、扉には届かないギリギリの長さだ。



「悪いが、お前はもう外に出ることはない」


「……え?」


「お前のような家の恥さらし、表に出せるわけがないだろう!」


「うぐっ」



 ルーグは怒りをぶつけるかのようにアベルの頬を殴る。そして追撃とばかりに頭を踏みつけた。



「マアサも嘆いていたよ。お前のような奴に愛情を注いでいただなんてってな。まったく、詐欺にでもあった気分だよ」


「へ……かあ、さまが?」


「それと、お前の部屋も処分する。そうだな……血の繋がりがないのは惜しいが、有望そうな養子を引き取るしかなさそうだ。お前とは違って、優秀な子供をな」



 アベルは、今まであまり涙を流したことがなかった。自分が努力をすればするほど褒めてくれる家族たち。何一つ不自由がない生活。だが、それも今日で終わりを告げた。



「殺さないだけ感謝しろ。お前は既に死んだことになっている。二度とその顔を私に見せるな、ゴミがっ!」




 バタン……ガチャリ




 わざとらしく大きな音が鳴り響き、部屋は真っ暗に包まれる。唯一の光は、はるか上に存在する小さな鉄格子の扉だけ。ああ、わずかながらに月が見える。



「……う、ううっ」



 真っ暗で静かな部屋に、小さな男の泣き声一つ。



 魔術師アベルの夢は、挑戦することなく叶わなかった。

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