第8話
首斬りこと朝桜イオリは刀を構えながら歯を噛みしめていた。
面倒な奴に目を付けられたと思っていたが、敵の力はイオリの想像をはるかに超えていた。
初めは皇が無事に逃げられたかを案じていたイオリは、今では目の前の男に集中せざるを得なかった。もはやあの傍にいた男に賭けるしかないこの状況を悔やんだ。
長い伝統を誇る朝桜家は、皇側近朝桜ユウヘイを当主として特に武術に重きを置く家系であった。長さに比例して横にも広がった家系図はその勢力の強さを証明していた。
ユウヘイの甥にあたる立場であったイオリも当然のごとく幼き頃から武芸を仕込まれた。当主の圧倒的な強さに魅せられて選んだ長刀は、すでに握り始めて十五年に達そうかというところだった。
前皇と当主が存命だったころは朝桜本家にて、そして九条の反乱後は朝桜奥家に忍びながら、イオリは通して八年間の鍛錬を倭内で受けた。朝桜の奥家は一握りの人間にしか知らされていない隠れ家であり、九条の目からも逃げ延びていた。
その安全地帯が消えた後、イオリは時期よく——もはや奇跡的な確率だが——潜入していた皇派の人間に拾われ、国外へたどり着いた。命の恩人である皇の護衛として鍛錬を積むこと七年。
計十五年。
しかし、今それらすべてをもってしても勝てる確信の得られない敵が立ちはだかっていた。
敵の首筋に光る幾何学的な文様から意魂の使い手であることは確認していた。帯剣した状態から放たれた炎には不意を突かれたが、持ち前の反射神経で避けきった。そして、その手の意魂はかなりの精神力を要することをイオリは知っていた。だからこそ相手に剣を抜かせ、自分の得意な間合いで戦っているのだが——
イオリの長刀と九条レンヤの剣ではイオリの獲物のほうが長い。比較的優位な間合いから攻撃できるにもかかわらず、イオリの刀は届かない。自身に出せる最高速度で腕を振るっても、必ず敵の剣に払われた。まるで完全に見切られているようであった。
そして弾かれた隙に一歩詰められ、今度はイオリが剣を振り下ろされる受け手となってしまう。刀を戻す暇はなく、左に飛び退き続く斬り上げは後ろに躱す。ゆったりとした衣が剣にかかり、袖口に鮮やかな切れ目が入る。
こんなやつには負けられない、と奥歯を噛みしめる。
イオリは苛立ちを覚えながら来る攻撃に対して構えた。彼が倭へ入り込んだ目的は皇の護衛とは別にある。
約七年前、静かに潜んでいたはずの朝桜の奥家は九条の急襲を受けた。何の前触れもなく九条の兵士がなだれ込んだのだ。朝桜家の者以外誰も知るはずの無い隠れ家に。なぜそこが九条に知られたのか。考えられることは、身内による密告以外になかった。だが、それを追求する猶予もなく、大半の朝桜はイオリを残して花弁のように次々と散ってしまった。
しかし、九条レンヤはそこで追撃をやめ、だらしなく剣を下げた。
「君、朝桜の人間でしょ」
唐突な発言にイオリは動きを止めた。その意図はわからない。だが、剣戟の休息として答えた。
「——それがどうした」
「やっぱりそうだ。見たことある太刀筋なんだよね」
イオリは強く唇をかみしめた。刀を握る手に力がこもる。
衣服にさえ届かぬイオリの刀。その太刀筋を見切っているならば、それはつまり、イオリと同門の剣士と手を合わせたということに他ならない。しかし、朝桜の人間は皇没落後に散り散りとなり、多くは九条の手にかかったという。それはかなり前のことで、九条レンヤが覚えるほどに刃を交えたとなると——
「でも君、シュウ君より遅いね」
明らかに体をこわばらせたイオリを見て、レンヤはこらえきれぬ笑いを漏らした。幾度となく刃を交えた男を思い出す。情けない醜態をさらしながらも九条に潜り込んだ男。戦好きのレンヤからすれば、戦うことなく地に額をこすりつけるような人間は切ってしまいたかったが、九条の当主はどのような情けかそれを受け入れた。以来、朝桜シュウはレンヤの遊び相手として剣を持たされていた。
実際のところ、シュウはそれほどの手練れではない。わが身大事にに身内を裏切るような男に研ぎ澄まされた剣は扱えない。ただ、今目の前に立つ少年は焚きつけたほうがおもしろくなりそうだと彼は思った。
手始めの挑発は、レンヤの望みをはるかに上回る結果をもたらした。
イオリはシュウという名を聞いた瞬間、自身でも把握しきれない怒りが湧き上がるのを感じた。右腕に浮かぶ幾何学的な文様を機に、体をめぐる血液が沸騰したかのように熱くなり、合わせて体の奥底から爆発的な力があふれ出る。鎖から放たれた獣のように身体が軽くなった。
「彼の剣はもうちょっと、こう——」
ぺらぺらと動く口をふさぐように、先ほどとは比べ物にならないほどの速度で刀が伸びた。常人の目では追えない速さ。しかし、それと同じかそれ以上の速度でレンヤの剣が煌めき、首元にまで迫った刀を弾いた。追撃は軽くあしらわれ、逸れた切っ先が工場の壁を叩き割った。
気づけば相手の首筋に再び文様が浮かび上がっていた。
「それじゃ届かないね」
彼の言葉は、ひたすらにイオリを苛立たせた。
「朝桜シュウは、俺が、必ず殺す」
「ムリムリ。君じゃとても勝てないよ」
レンヤの剣がイオリの刀を打ち払った。さらに連撃が重ねられる。先ほどまでに威勢と殺意はどこへやら、気づけばイオリは一方的に受けに回っていた。取り回しに少し難がある長刀のせいか、敵の剣をさばけない。次第にレンヤの斬撃は、衣服だけでなくイオリの肌をも切り裂いていった。
反撃の糸口がイオリには一切見えなかった。上下左右から流れるように降りぬかれる剣を弾くだけで精一杯。隙を見つけることもできず、この連撃もいつまで耐えられるか、という状況だった。
このままいけば負ける。
眼前に避けようのない現実が叩きつけられた。同時に足元が凍えるように冷えていく。その瞬間、爆発的にあふれていた力が消えた。構えた刀は敵の攻撃を支えきれず、腕がもげるほどの速度で後方へ弾かれる。
「ほらね」
がら空きになった胴に、レンヤの蹴りが突き刺さった。
「——ッ!」
イオリの目が痛みと驚愕で大きく開く。みぞおちを深く抉られ、浮き上がった体は弾丸のように廃墟を次々と突き破り大地に叩きつけられた。肺の空気がすべて吐き出され、つかの間の窒息が襲う。刀は離さなかったが、強烈な痛みでそれすらも認識していなかった。
立ち上がろうとする気力がわかない、途端に、自分が不甲斐なく思った。目の前の男を倒せないことや皇を守り切れないこと。そして一族を売り捨てた朝桜シュウにさえ届かないこと。そのどれもが、自分の力が足りないのだと示しているようだった。
「こんな…………ところで……」
意魂によって強化された身体能力ではるか先まで飛ばされた少年に、レンヤはため息をついた。呻くような悔いは彼には聞こえていなかった。
国を騒がせる悪党が出たと聞いた時、九条レンヤは神の存在を心から信じた。人生で拝んだことなど一度たりとも無かったが関係ない。大切なのはこの歪んだ男の益となるか否かだ。
九条家による支配がはじまった頃、彼はいたるところで勃発した抗争を一つ一つ大切につぶしていった。ことあるごとに皇宮を飛び出し、鋭い光を灯す眼を狩る愉悦に浸りつくした。しかしその道楽も長くは続かない。初めの数年を過ぎてしまえば民は光る意思を失い、彼を楽しませるような反逆者は誰一人としていなかった。国外にはびこる幽鬼を相手取ったときもあったが、大した知恵の無い敵ではレンヤを満足せることはできなかった。
そんなある日、愉しみを失った男に舞い降りた首斬りの報せ。彼は神に感謝し、喜び踊った。しかし、いざ許可が下り飛ぶように駆けつけてみればこのざまだ。久方ぶりの歯ごたえのありそうな敵も一日たりとも保ちやしない。
「つまらない」
九条レンヤはそう吐き捨てると、とどめを刺そうと足を進めた。
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