第6話

 つぎからつぎへと、どうなっているんだ一体。今日ばかりはそう叫んでも許されるのではないだろうか。なにせ超のつく有名人が連続で目の前に現れたのだ。反射的に体が硬直してしまうほどの驚きである。


 俺は、眼だけを首斬りに固定し、唯一動く脳で精いっぱい思考を巡らした。

 太った男どもの話を聞く限りは、首斬りは九派の人間だけを標的としていたはずだった。それは今までの十を超える被害者がそれを裏付けている。それなのになぜ、この男はここに現れたのだ。次の標的が俺なのか。


 最悪の可能性が頭をよぎる。武器も何も持っていない俺では一瞬であっても斬り結ぶことさえできないだろう。だが、隣の皇はこんなところで失っていい存在ではない。もしこの腐った国を変えられるというのなら、それはこの男無くしては為しえないことだ。


 自分の命か、国の命運を握る男の命か。


 乗り気はしない。今も自衛心はけたたましく警告を鳴らしている。しかし、ここでやらなければ——


「どうしたんだい、イオリ」


 ぷつりと糸が切れる。


 俺の決死の覚悟は、隣で平然とする男によって泡のように消え去った。

 吐き気を催すほどの緊張と強張りに支配されながら、俺はゆっくりと首を動かした。この緊迫に似合わない声の主を睨みつけてやるのだ。


 だがその決意はまたしても無為となった。イオリと呼ばれた男が何かつぶやいたのだ。小声がかすかに耳に届く。


「——逃げろ」


 瞬間、流れ去っていく砂煙を一筋の光が斬り裂いた。点々と建つ灯りを反射する白銀が首斬りの背後から無音で現れた。それは男の首筋に触れる寸前、斬り上げられた刀によって弾かれた。


 イオリと呼ばれた首斬りは、乱入者を弾いた反動でこちらまで飛び退いた。そのまま皇に詰め寄る。刀を持つ右腕に妙な模様がついている気がした。


「ヤバいやつに目をつけられた。今すぐここから出ろ」


 そして隣で固まる俺に鋭い目とそれよりもさらに鋭い刀の切っ先を向ける。


「お前、誰か知らねえが死にたくなかったらこいつを守れ。いいな? 死んでも守れ」


 無茶苦茶だ。皇とは知人にしては行動も言動もあまりに荒い。そもそも俺の平和ボケした頭は剣戟音を聞いて麻痺している。しかし、喉元に迫る白刃を視界の端に捉えて俺は不可抗力で頷いた。皇を失ってはいけないという認識の共通で無理やりに納得する。


 思いのほか若かった首斬りは俺の反応を確認した瞬間、風を残して消え去った。そこかしこから何かがぶつかり合う音が響く。人間とは思えないほどの速度で斬り合いが行われていた。


「行こう」


 隣で短い声。


「——いや、俺は……」


 力ない反論は空に消え、皇は俺の腕を掴んで走り出した。



「どこに逃げるんだ⁉ というより、あの首斬りは仲間なのか⁉」


 薄暗い街灯に照らされた街並みが流れるように過ぎ去っていく。首斬りとその追っ手の剣戟はまだ背後で鳴り響いている。それなりの距離を走ったにもかかわらず、鋭すぎる音は鮮やかに耳に届いた。


「彼はイオリ、朝桜イオリだ。僕がここに侵入する無茶を叶えるための用心棒さ」


「——朝桜って、あの朝桜家か?」


 思わず並走する男を見やる。朝桜と言えば俺の父と共に側近をこなした当主を筆頭に有力家系だが、九条によって滅ぼされたと聞いている。


「その通り。運よく、本当に運よく彼だけが助かったんだ。まあ、生き残りはもう一人いるはずだけど。でもようやく僕の側近もそろったね。やっぱり二人でなければ始まらない。


 それと、この先に僕たちが入ってきた地下通路がある。先と言ってもまだまだかかるけど、そこまでたどり着ければ外に出られる」


 それなりに切羽詰まった状況にもかかわらず皇は明るく話す。


「地下通路……。そんなものがあったのか」


「この世には君の知らないことがまだまだあるさ。実際、僕も十年前に初めて知ったよ。長く皇にかかわる人しか知らない、緊急時の脱出——」


 俺は我が物顔の皇を遮り、無理やりに引っ張った。そのまま手近な建物に潜り込みうつぶせになって息をひそめる。


 再び口を開こうとした皇を仕草で黙らせた時、不明瞭な視界に足が入り込んだ。金属質の光沢を持った衛兵のソレは数人の一団となって大きな足音を残して通り過ぎていった。


 首だけを伸ばしてきょろきょろと見回し、一息ついてから体を起こした。


「ありがとう、助かったよ」


 律儀な礼は手を軽く振って受け流す。というより、冷静になってみれば皇の顔を知る人間が今の衛兵の中にいるとは思えない。鉢合わせしたとしても大事にはならなかったはずである。


「いい。ここら辺はよくうろついてるんだ」


 反抗者がいない街の衛兵は給料泥棒と揶揄されていたが今日はその限りではないようだ。隊長を餌食とした首斬りを捕らえる機会に遊んでいるわけにはいかないのだろう。だがそれは、どういうめぐりあわせか首斬りの一派となってしまった俺には嬉しくない状況である。


「本当にイオリってやつは大丈夫なのか。数で押されたら厳しいだろ」


「彼は強いよ。別の目的があるかもしれないけど、護衛をこなしながらも僕が自由に動きやすいよう騒ぎを起こしてくれている。まさか、首斬りなんて二つ名がついているとは思わなかったけど。

 ただ、九条の誰かが来ているなら、そう悠長に構えていられないかもしれない」


「九条か」


 表情は変わらなくとも、その語調が先ほどと少し違うことは俺にもわかった。衛兵の長でさえもたやすく手に懸ける首斬りであっても油断することのできない存在。それは、皇を今の状況にせしめた敵、十年前の反乱を率いた戦士ということだろうか。

 

 だが俺の読みはそこで止まる。他に衛兵がいないか走らせた眼に不可解なものが映ったからだ。


「——おい、あれは……なんだ」


 今、この眼に映るものが現実であると、俺は断言できない。それは間違いなく、熱く明るく俺の頬を照らしているが、理性が強く否定する。

 

今日だけでどれほどの衝撃を受けたのだろうか。しかし、今目の前で起きていることを思えば、皇や首斬りなど些細なことに思える。


 呆けた顔で見上げる俺の視線上には燃え盛る炎の筋が、一直線に夜空を赤く切り裂いていた。

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