第3話

 月明かりも星明りも通さぬ圧雲の下、俺は帰路に就いた。


 顔を少し上げると九条によって増設された国壁が嫌でも視界に入る。天に上るように築かれたそれは、もくもくと吹き出る黒雲と混ざり合いドーム状に国を覆いつくす。夜になってしまえば、その先を望むことはできなくなっていた。


 それほどまでに高く築かれた壁の門はたった一つ。残念ながらその門は雲台と真逆に位置する街、雷開にあるため俺は見たことがない。あとは巨大すぎるがゆえに加えられた整備扉のみだが、それさえも二重三重に配置された衛兵をかいくぐらなければたどり着けない。


 そもそもアレに近づこうとは思わないが。


 不用意なことをすればまた目を付けられてしまう。これ以上面倒ごとに首を突っ込みたくなかった。


 そのように視線を上方に向けていると、どこからか転がってきたガラクタにつまずいた。軽やかな音がして部品が外れ、白銀で精巧な歯車が自由の身となる。かつて職人たちが技術を注いだなれの果てが地を進む。ふらふらと揺れながら転がるその姿を見ていると俺は体が強張り、気づけば彼方へ蹴とばしていた。


 ただ、今日の俺は運がないのか、放物線を描いて飛んだ歯車は前方からの歩行者にあたってしまった。小さくも金属製である歯車が鈍い音を立てる。これがもし九派の人間であったら逃げるしかない、と思って覗き込み、俺は息を吐いた。


 目が死んでいた。上ではなく、俺と同じ労働者の目だ。離れて見るとその歩き方もどこかぎこちない。そもそも何かが当たったかどうかも認識していないかもしれない。虚ろな男はそのまま俺の横を通り過ぎると、建物の残骸地に腰を下ろし、支給された味のしない簡易食を口へ運んだ。旨いとも不味いともなく、機械的に手が口元へと動く。屍のような姿は、ただただ不気味だった。


 俺も、傍から見ればコレと大差ないのだろうか。


 その時、右手側に立つ少し背の高い建物から声が響いた。


「だから! 私は皇に合わせてって言ってるの‼」


 今しがたすれ違った屍のような男とは完全に真逆である、意思を持った力強い女性の声だった。


「こっちだって何度も言ってるだろ! 皇なんてもういないんだよ。嬢ちゃん大丈夫か⁉」


「あんたこそおかしいわ! 倭を治めているのは代々皇家のはずでしょ!」


「いつの時代の話をしているんだ!」


 確かこの建物は雲台を管理する人間が使用するもので、その主は九派の人間には珍しい温厚で情のある人間であった。これほど声を荒げるところは聞いたことがなかった。


 それほどまでに相手の女性は的外れなことを叫んでいた。


「皇なんてのは十年も前に潰されちまったよ。今この国を支配してるのは九条だ。嬢ちゃん外にあった家紋を見てねえのか」


 二人の口論に足を止めていた俺は、思わず管理棟に大きく刻まれた桔梗の紋様を見上げた。九条を示す白いその花は暗闇にもしっかりと見分けることができた。


 それと同時に大きな疑問が顔をのぞかせた。


 なぜ、そのような当たり前のことをなぜ知らないのか。


 かつての戦いから十年たったとはいえ、倭にそれを知らぬ人などいない。いるはずがない。賑わいかえっていた市場は消え、国家間の交流も消え、民の自由も消えた。皇の時代であれば有り得ないことだった。


 それを知らないというのであれば外の人間である可能性が高いが、あの高く重い壁を抜けられる人間がいるとも思えない。


 何者なのだろうか。

 

 俺の疑問をよそに、温厚であるはずの棟の主は答えの出ない問答を諦めたようであった。


「いいからもう出ていってくれ」


「ちょっと——」


 しばしの騒音ののち勢いよく開かれた扉から謎多き女性が飛び出した。ガラクタに足を取られて手を突いた少女を背に男は音をたてて戸を閉めた。しかし俺の視界にその男は映っていなかった。


 俺の眼は、少女だけを一点に捉えていた。


 地に突いて汚れた手を見る横顔に、明るく透き通った金色の髪が流れ落ちる。軽快そうなスカートから覗く肌は白皙で、金のすだれに隠された顔立ちは美しく整っているが、それらも引き立て役にしかならない。俺の視線は碧い輝きに釘付けになった。宝石のように鮮やかで、異様な煌めきを持つ碧眼。曇りない透き通った光が俺を射た。


 その金髪碧眼の白き少女は、くすんだこの街にはあまりにも映え過ぎていた。


 俺は数秒ほども見つめていたようで、沈黙に耐えかねたように少女が口を開いた。


「なによ?」


 一切隠そうとしない敵意。思わず俺は、自分の愚行を恨んだ。このような人気のない闇道で立ち尽くす男など怪しいに決まっている。


——関わらんでいい


「……いや、別に」


 最善を示す声に従い踵を返す。しかしそれは途中で妨げられた。立ち上がった少女が俺のやつれた服を引っ張り、無理やりに止めたのだ。そのまま服を締め付け、睨みを利かしてくる。視界の端に映る手の甲には何か見たことのな文様が浮かんでいた。


「今の話、聞いてたんでしょ」


「……まあ、一応は」


「なら教えなさい。あの人が言っていたことは本当なの? 皇がもういないって、九条ってやつが今の国主だって。嘘じゃないの? 本当に、本当に十年も前にそんなことが起こっていたの?」


 有無を言わせぬ語気が少し緩まった。先ほど言い争った男が嘘をついていないことに気付いているのだろう。それでいながらそんなことはあり得ないと思い込んでいる。今の当主が皇でなければならないよほどの重要な事情があるのかもしれない。


 しかし、現実はそう優しくない。


 俺は自嘲を含めて吐き捨てた。


「全て本当だ」


「……」


 少女の大きな瞳がさらに開かれる。何かを堪えるように表情が歪み、歯をきつく噛みしめる鈍い音がした。それでもその眼の輝きは消えない。この街の人々とは一線を画す輝きは一片たりとも曇ることなく俺を見据えた。


「それが事実だとしても、でも……私が簡単に諦めたら、みんなは……」

 語尾が尻すぼみに消えてゆく。俺の服から手を放して下を向いてしまった少女の表情はわからない。かすかに震える肩からこぼれるのは怒りか悲しみか。それとも——。


「君は何者なんだ?」


 思わぬ問いに、他ならぬ俺自身が驚いた。他人に何かを訊くことなど何年も行っていないことだった。そもそも何かに「興味」を持つことさえなかったのだ。


 しかし、俺の数年ぶりの問いかけは、これ以上なく冷たく返された。


「私のことはいい」


 さらに少女は続ける。


「それより、あなたたちの言うことが本当なら、あなたこそそれでいいの? どう考えてもこの街は普通じゃないわ。太陽は見えないし空気も悪い。やっぱり木も草も生えてないじゃない。これじゃいつか痛い目見るわよ」


 強情に俺の問いを切り捨てた小さな口は妙な小言も追加で紡いだ。皇の存在を信じている一方で、誰かから聞いてきたような口ぶり。その矛盾がおかしかったが俺にはそれを気に掛けない声が聞こえている。


——これでいい


「これでいいんだ。この国は」


「あなた、それ本気で言ってるの? おかしいわよ」


「いや、おかしいのは君だ」


「違う。あなたたちには今の環境に逆らう意志が見えない。こんな理不尽な扱いを受けていても違和感すら持たずに平気な顔をしてる。まるで屍のようだわ。意志こそが大事なの。それがないと何も始まらないわ」


 ため息とともに輝く金髪が揺れた。その奥から覗く美貌には驕りではなく哀れみが浮かんでいるように見えた。俺の内心を見透かして諭すような口調。どこから現れたのかはわからないが、この地獄のような街を見ればそう思うだろう。言葉の上では正しいのは彼女だ。


 言葉の上では、だが。


「——俺に、意志なんてない」


 所詮、この謎の少女が言うことは綺麗事だ。奴隷のように働く俺たちの気など解るはずもない。それを理解できるのはともに虐げられた仲間のみだ。


 敵うはずのない相手に立ち向かうよりは黙って従ったほうが良い。どれだけ酷い仕打ちだろうが、どれだけ環境が悪かろうが関係ない。周りの奴らだってくすんだ目で働いている。この国ではそれが普通で、それが正しいことなのだ。


「逃げることは、悪じゃないんだ」


——その通りだ


 そう言い切った瞬間、不快感を示すように強い光が俺を射ぬいた。


「あなたの眼は——」


 しかし、少女は何か言いかけたがそこで口を閉ざした。代わりに濃い哀れみの眼で俺を一瞥すると背を向ける。白い手がひらりと振られた。


「何でもないわ。悪かったわね。私のことは忘れてちょうだい」


 こちらが言葉を発する間もなく、金の髪は曲がり角の先へと消えていった。

 少女が去ったことで、街は驚くほど色褪せた。これが本来の姿であるはずなのに、強烈な生を振りまく光が妙に痕を残した。


 意志こそが大事、か。

 

 少女とは真逆の方角へ足を進めながら、俺は先ほどの言葉を思い出した。


 自分が何をしたいか、どうしたいか、などという志などとうの昔に消え去っている。それは俺だけでなく、この街で使役される人全員に当てはまることだ。


 もし先ほどの彼女や、今この国を騒がせる首斬りが十年前に現れていればこのような未来ではなかったかもしれない。多くの人が眼に意志をギラつかせて九条に歯向かう世界。自由を求める闘争が国を駆け巡り、生き延びたと噂される皇子も加勢するかもしれない。


 そうなっていれば俺が九派の人間の機嫌を取って過ごすことは無かっただろう。むしろ、俺が反抗集団の先頭に立って率いたはずだ。なぜなら俺は——


 長い帰路の末、ようやくたどり着いた廃屋の戸を開ける。薄暗い部屋に居座る影に俺はいつものように声をかけた。


「ただいま、星影」


 なぜなら俺、最上レイは守護竜と言葉を交わすことができるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る