第20話

 鹿島と環が病院に着いた頃には、すでに日も高くなっていた。拓海は集中治療室から個室に移されていた。

 拓海の病室の前に、ぽつねんと男が立っていた。

「お父さん」

 相手の顔を認めると、環は駆け出してその胸に飛び込んだ。

「環。一体どうした。何があったんだ?」

 環を抱きとめると、男はやさしくその肩を掴んで体から引き離した。

 環は父親の胸にしがみつき、わっと泣き出した。

 押し殺していた感情が堰を切って溢れ出したのだろう。父親の胸で泣きじゃくる環を眺めながら、鹿島は環が事の次第をぶちまけてしまうのではないかと、気が気ではなかった。

「芹野。お前も来てたのか」

 娘を胸に抱いたまま、芹野は鹿島に一礼した。

「上杉さんから連絡を頂きまして・・・」

 つまり、鹿島が娘に同行していたことを、芹野はすでに知っているのだ。

「一体何があったんです?」

 芹野は説明を求めた。

「上杉の両親も来ているのか?」

 相手の質問には答えず、鹿島は問い返した。

「ええ、中にいます」

「拓海君は?」

 父親の胸から顔を上げて、環が尋ねた。

「ひどい怪我だが、一命は取りとめた」

「意識はあるの?」

「ああ。ついさっき、目を覚ましたよ」

「中に入ってもいいの?」

「ああ。かまわんだろう。彼も君と話したがっている」

 芹野は人目を憚るように辺りを見回しながら、病室のドアを開け、環ひとりを通した。大人数の面会は禁止されているのかも知れない。


 狭い病室のベッドの脇に拓海の両親が腰かけていた。ベッドの上の拓海は頭部を包帯でぐるぐる巻きにされ、まるでミイラのような有様だった。

 痛々しいその姿を見た瞬間、環の目にまた涙が溢れた。

「環ちゃん」

 振り向いた拓海の母が、環の姿を認めて立ち上がった。

「一体何があったの?どうしてこんなことに・・・」

 泣きはらした母親の目は真っ赤だった。

 拓海の方を見ると、包帯の奥から覗く目がしっかりと環の視線を捉えた。

 拓海は環の視線を捉えたまま、かすかに首を横に振った。


 何も話すな。


 拓海の目はそう言っている。

 環が御厨を撃ったとき、拓海はすでに気を失っていた。しかし、環が銃を握っていたことを拓海は知っている。ことを明かして、それが環の不利に働くことを拓海は恐れているのだ。

「知らない人たちと喧嘩になったんです」

 そう告げる環の声は震えていた。

「喧嘩・・・?」

 そう呟いたきり、拓海の母は絶句した。

「拓海がまた喧嘩したというのかい、環ちゃん」

 おもむろに拓海の父が口を開いた。

 父親の声に咎めだてる響きはなかったが、環は気後れしたように視線を落とし、こくりと頷いた。

「相手はどんな奴らだい?」

「分からないんです。私たちが駆けつけたときには、逃げていくところだったから・・・」

「何人いたかわかるかい?」

「五、六人はいたと思います」

「拓海は一人だったのかい?」

「拓海君、船に酔ったからって、一人で砂浜のほうに歩きに行ったんです。なかなか帰ってこないから、迎えに行ってみたら、遠くで騒ぎ声が聞こえて、人が走り去るのが見えました。近づいてみたら、浜辺に拓海君が倒れていたんです」

 自分でも不思議なほどすらすらと嘘が出てきた。

 拓海の父はふうっと大きな溜息をついた。

「まったく。こいつの喧嘩癖はいつになったら直るんだろうな。こないだでっかい騒ぎを起こしたばかりなのに・・・。いつか痛い目を見ると思っていたが・・・」

 父はベッドに横たわるわが子に視線を落とし、半ば呆れ、半ば諭すような調子で言った。

「船ってどんな船なの?」

 気を取り直した拓海の母が問うた。

「クルーザーです。南雲龍児君のお姉さんに誘われて、乗せてもらったんです」

「そう。南雲さんの・・・」

 拓海の母は複雑な表情を浮かべた。その名を聞いて彼女の胸に去来するのはどんな思いだろうか。

「どうして親御さんに断ってから行かなかったの?」

「急に誘われたから・・・」

「そう・・・。拓海もただ遊びに行くとしか言わないものだから・・・」

「ごめんなさい」

「いえ、ね。環ちゃんを責めてるんじゃないのよ。ただ、どうしてこんなことになったのかと・・・」

「まあ、済んでしまったことは仕方がない。拓海にもいい薬になっただろう。色々聞いてすまなかったね、環ちゃん。どうしようもないやつだが、これからも懲りずに付き合ってやってくれよ」

 拓海の父が割って入り、取りとめのない話を打ち切った。

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