第18話
女将の指示の下、一行は再び御厨の体を運び、玄関の車寄せに停めてある車の荷室に載せた。鹿島と綺羅、そして環の三人は女将がハンドルを握る車に乗り込んだ。行く先を告げず、女将は車を発進させた。海沿いの道を少し行くと、じきに山道に入った。街灯はなく、道を照らすのはかすかな月明かりと車のヘッドライトだけだった。曲がりくねった上り道が続いた後、車はふいに舗装されていない道に逸れた。木々が鬱蒼と生い茂る山林に道らしきものはなく、枯れ枝や落ち葉を踏んで進む車はガタガタと揺れた。ヘッドライトの照らす部分以外、窓外は暗闇に覆われ、時折木の枝が車体を擦った。
そうして山の中をどのくらい進んだだろうか。最早女将以外には来た道を戻ることも不可能だ。いや、彼女自身、こんな道とも言えぬ道を記憶しているのだろうか。一同が女将の正気を疑い始めた頃、ようやく車は止まった。
車を降りると、そこは林間の小さな空き地だった。暗い森の中でその場所にだけうっすらと月明かりが差している。
下生えの草を掻き分けて空き地の中ほどまで進むと、大きな三つの石が等間隔に並べ置かれていた。形は不揃いで銘も彫られていないが、それぞれが一つの石碑のようであった。
女将はその前にしゃがんで手を合わせると、ゆっくりと目を閉じた。
月明かりに照らされるその姿は、慈しみ深き聖母を思わせた。
「名付けられることもなく亡くなった我が子たちです」
やがて目を開けると、女将は言った。
「まともに育ったのは総司だけ。あとは皆、私のお腹の中で亡くなりました」
「水子供養の墓かい」
鹿島の問いに、女将は悲しげに頷いた。
母親にとって三人もの子をなくすのは辛い経験だろう。それだけに女将にとって御厨は大事な子だったはずだ。なのに、その死に際して女将のとった行動は奇妙なほど冷静だった。そこはかとない悲しみの裏に、こうなることを予期していたような、いや、むしろ望んでいたかのような節が見受けられる。先に亡くなった兄弟の隣に御厨の亡骸を葬ろうというのだろうが、女将の決断の早さは、最初からこうすることを決めていたことを窺わせる。
「御厨総司という人間は、この世に生まれてくるべきではなかったのです」
誰も、女将の言葉の意味を測りかねた。死んだわが子に手向ける言葉としては、余りにも冷たい。
「いえ、生まれてくるはずはなかったのです。このお墓の下に眠る他の兄弟たちと同じように・・・」
女将の言葉はますます謎めいてくる。
「ここに一緒に埋めようというのかい」
女将は頷いた。
「なぜこんな寂しい場所に墓を?」
「非合法なもので、人目に触れる場所を避けたかったのです」
「水子供養をしてくれる寺ならいくらでもあるぜ」
「・・・」
女将は俯いてかすかに首を振った。
「それさえも許さなかったのか、南雲京輔は・・・」
鹿島の言葉が非難めいた響きを帯びた。南雲に対するゆるぎない忠誠が崩れ始めていた。
女将の首が縦に揺れた。
「なぜだ?」
「・・・」
おそらくそれを話すために、彼らをこの場所へ連れてきたのだろう。しかし、ここへきて決心が鈍ったのか、女将は口をつぐんでしまった。
「はぁぁ」
彼らの後ろから、聞こえよがしの溜息が聞こえてきた。
「そんなこと、どうでもいいじゃない。やること済ませて、さっさと行きましょうよ。気味が悪いわ、ここ」
事態の深刻さが分からないのか、綺羅は苛立ちを隠そうともしない。
「お前には情ってものがねえのか、お嬢。人が一人死んだんだぞ」
鹿島は綺羅を嗜めた。溜息をつきたいのは彼のほうだった。
「彼、自分で死んだみたいなものじゃない」
「それにしたって、悲しくはねえのかい。仮にもあいつはお前の血縁だろう」
「そんなこと言われたって、別に好きで付き合ってたわけじゃないし・・・。おじいちゃんが言うから、仕方なく相手してただけよ」
またここにも南雲京輔の影がよぎる。庶子である御厨に対する南雲の態度は冷淡だ。それだけに、やたらな干渉は不自然に見える。それにしても、人の死を目の当たりにしてなお、綺羅の言葉は冷たい。
「だがよ、お嬢。私は無関係です、なんて言い逃れは出来ねえぜ。上杉たちを呼び出すのに、お前も一役買っているんだからな」
不興げに鹿島を一瞥すると、綺羅はむっつりと黙り込んだ。
「この子達の存在は闇に葬られなければならないのです」
不意にまた女将が話し始めた。
鹿島は女将に注意を戻した。
「あんた、さっきからそんなことばかり言っているが、何が何だかこっちにはさっぱりだ。分かるように話してもらえねえかい」
「この子たちは南雲の子でも私の子でもないのです」
「だが、あんたはさっき、この子たちは自分のお腹の中で亡くなったと言ったじゃねえか。御厨だってあんたの腹を痛めた子だと・・・」
「その通りです」
「じゃあ、御厨は一体誰の子なんだ」
「誰の子でもありません」
女将の言っていることは支離滅裂だ。
鹿島は本気で女将の正気を疑い始めた。
「南雲京輔にとって、この子たちはただの実験台だったのです」
「実験台?」
「この子たちは皆、南雲京輔のクローンです。私は彼らを育てるための器として母体を提供しただけ」
「しかし・・・」
「もちろん違法ですし、人間として許されることでもありません。でも、科学者としての南雲に世間の常識など通用しません。ちょうど世の中がクローン羊の誕生に騒いでいた頃です。南雲は自分の細胞と私の体を使って、人間のクローンを生み出したのです。最初の三回は失敗しましたが、四回目で、御厨総司というクローン人間が誕生しました」
鹿島の脳裏に、死ぬ間際の御厨との会話が甦った。
南雲は遺伝子工学の技術を用いて御厨の体を改造したという。女将の話が本当なら、南雲にはそれを躊躇う理由などなかったのだ。それ以前にもっと大きな罪を犯していたのだから。それを罪だと認識する理性さえ持ち合わせていたかどうか・・・。科学を信奉する者の中には、少なからずそういう人間がいる。
「総司という名前は私がつけました。御厨という名字をどこから取ってきたのかは存じません。この際、名前の由来などどうでもようございますね」
「そう言やあ聞いてなかったが、あんたの名前は?」
「清水妙子と申します」
「違う名字を名乗らせたのか。御厨という人間に、この世界の誰とも繋がりを持たせないために・・・」
「南雲は自分のクローンに愛情など抱いておりませんでした。彼にとってこれは単なる実験だったのです。ですが、私にとっては違いました。仮にも自分のお腹を痛めた子です。南雲の子を生むことを許されぬなら、せめてあの子を自分の子として育てたかった。生物学上血の繋がりがないことは存じております。でも・・・」
「・・・」
鹿島には女将の気持ちが分かるような気がした。母性とはそういうものなのだろう。しかし、今は、なぜ南雲がクローン人間など生み出したのかが問題だ。ただ科学的好奇心からクローンを作ったのだとしたら、御厨を世間の目に触れさせることは避けたかったはずだ。実際、御厨は幼少時代をそうして過ごす事を強いられたという。ならば、なぜ、大人になった御厨を自分の会社で働かせるような危険を冒したのか。
そのことを問うと、女将は答えた。
「クローンと言っても、人格を持った一人の人間です。ずっと世間の目を逃れて生きることなど出来ません。南雲もそのことは承知していました。だから総司を自分の手元に置いたのです」
「御厨はこのことを知っていたのかい。自分が南雲京輔のクローンだということを?」
女将は頭を振った。
「私の口からはとても・・・。南雲がそれを伝えたとも思えません。総司の私への反発は、父親に認めてもらえぬ苛立ちからだったと存じます」
「しかし、自分の生い立ちが異常なものだということには気付いていたんじゃねえか」
「ええ。うすうす何か事情があることは察していたでしょう。でも、ことの真相を突き止めていたかどうか・・・」
「だが、あの執着心は尋常じゃねえ。人を殺してでも南雲家に取り入ろうとする、あの執着心は・・・」
「半ば捨鉢になっていたのでしょう。生まれたときから存在を否定され続けたわけですから。父親に・・・南雲京輔に認められることだけが、総司の存在意義だったのです」
「そこを逆手にとって、南雲は御厨を人体実験の道具にしてきた」
「総司にとってはそれも南雲に自分を認めさせる手段の一つだったのかも知れません」
考えれば考えるほど、御厨が憐れに思えてくる。南雲京輔が自らのクローンである御厨に人格を認めている節はない。ましてや、御厨をわが子として認知するつもりなどなかっただろう。
「つくづく恐ろしい男だぜ、南雲京輔という男は・・・」
今まで親しみを込めて使ってきた「社長」という呼称を、鹿島は使わなかった。ビジネスの成功者として彼が崇拝してきた南雲京輔はただの影であった。その本性は命を弄ぶマッドサイエンティストだったのだ。
「これでお分かりいただけたでしょうか。御厨総司がこの世に存在した証拠は葬り去らねばならないのです」
「あんた、それで納得できるのかい」
「納得・・・?」
女将は首をかしげはたと考え込んだ。
「納得という言葉を使うのであれば、最初から納得などできる話ではございません。これはそのような次元の話ではないのです」
自分の心は完全に南雲京輔に支配されている。最早自らの意思を取り戻すことも出来ないほどに・・・。
女将の言う次元とはそういう意味だろう。悪魔の人望というのか、鹿島には到底理解できない心理だ。
「全ては惚れた男のため、というわけか。確かにそのほうが好都合だろうぜ。南雲京輔にとってはな」
鹿島は吐き捨てるように言った。
「それはそちらにとっても同じはず」
会話の輪から外れ、一人立ち尽くしている環を指して女将は言った。
「・・・」
そう言われると返す言葉がなかった。
女将の行動を否定することは、今夜の出来事を白日の下に晒すということ、つまり、芹野環を殺人犯にするということだ。しかし、その選択はありえない。となると、ここで双方の利害が一致する。とりもなおさず、それは御厨という一個の人間の存在と死を闇に葬ることを意味する。
そうせざるを得ないと分かっていても、鹿島には釈然とせぬ思いが残った。
「鹿島様。そちらのお嬢様、環さんと仰いましたかしら・・・。彼女の身代わりになろうというあなた様のお覚悟、大変立派なお心ばえと存じます。余人には真似のできぬことです。でも、ここはこちらの事情もお含みいただき、ことを穏便にお済ませいただけないでしょうか」
最早どこに道理があるのかも分からない。ただ、今は女将の言葉を呑む以外に道はない。様々な思惑が絡み合う人間社会において、そもそも正邪の二元論で物事を片付けようとすることに無理があるのだ。
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