第17話

「いつかこんなことになるのではないかと思っていました」

 虚ろな声で呟く女将の顔には何の感慨も浮かんでいなかった。座敷に横たわる息子の亡骸を見下ろしながら、悲しんでいるのか、それとも安堵しているのか。彼女の胸に去来する思いは余人には知れない。


 鹿島たちが拓海と御厨の体を波打ち際まで引き上げたとき、女将が商用バンに乗って現れた。まるで事の顛末を予測していたかのように、砂浜に車を乗り入れ、二人の体を荷台に乗せるのを手伝った。

 銃弾に頭部を撃ち抜かれた御厨はすでにこと切れていた。

 息子の遺体と対面したときも女将は取り乱すそぶりもなく、粛々とその体を運んだ。むしろ、拓海の息があることにほっとしている様子だった。

 御厨の遺体を旅館に降ろした後、鹿島と環が拓海を病院に運んだ。

 拓海は命を取りとめたが、集中治療室を出た後も、意識は戻っていない。二人は拓海を病院に置いて旅館に戻ってきたところだった。環は拓海のそばを離れたがらなかったが、御厨を撃った後のショック状態から抜け切れていない環を一人病院に置いていくわけには行かなかった。鹿島は拓海の両親に連絡を入れ、環を連れて病院を後にしたのだった。病院のスタッフにも拓海の両親にも詳細は告げなかった。死んだ御厨の始末をどうつけるかが先決だった。何が何でも環を殺人犯にするわけにはいかない。あの状況では、御厨を撃つ以外、選択の余地はなかった。


「皆様には何とお詫び申し上げればよいか・・・」

 息子の亡骸を前に、その不始末を詫びる母の心境はどんなものだろう。

 だが、その場にふさわしい言葉は、他に見つかりそうもない。

「南雲の名がほしいなんてのは、本音を隠すための方便だよ。こいつがほしかったのは家族だ」

 鹿島の言葉に救われたように、女将はこくんと頷いた。

「父親に認めてもらいたかったのでしょう」

「女将」

 鹿島は襟を正して女将に呼びかけた。

 女将は顔を上げて鹿島を見た。

「無理を承知で頼みたいことがある」

 鹿島はスーツのポケットから拳銃を取り出し、自分と女将の間に置いた。環が御厨を撃った後、彼が取り上げたものだった。

「こいつを使ったのはおれだったってことにしてもらえねえか」

 女将は畳の上の拳銃に視線を落とした。その表情からは何も読み取れない。

「頼む」

 鹿島は女将に正対し、深々と頭を下げた。

「おじ様が罪を被ろうと言うの?」

 横から綺羅が言った。そんな人情劇は見たくないとでも言わんばかりに・・・。

「お嬢。お前にも頼みてえ。おれがやったことにすりゃ、ことは丸く収まる」

「そんなことしたって、この子が総司さんを撃った事実は変わらないわ」

 綺羅は冷たい目で環を一瞥した。

 環は部屋の隅に端座し、うなだれている。

「だが、あの時上杉を救うには、ああするしかなかった。そうしなきゃ、こいつは上杉を殺していた」

 鹿島は目の前の御厨の亡骸を見下ろした。

「でしょうね」

 綺羅はまるで他人ごとのように言った。

「自分が死のうが相手が死のうが、彼にはどっちでもよかったのよ」

「あなたが唆したからでしょ」

 唐突に発せられた女将の一言に、綺羅は目を白黒させた。

「唆した・・・?私が・・・、総司さんを?」

 不当な非難を浴びたとでも言うように、綺羅は女将に食ってかかった。

「そうよ。あなたたち南雲の人間は、総司をいいように利用してきた。南雲家の仲間入りをさせてやるという餌をちらつかせて・・・。あの子も馬鹿ではなかったけれど、その一言には弱かった。本当・・・、可哀そうな子」

「彼、いつもこう言っていたわ。どっちが利用する側か、いずれ分かる時がくるって。彼自身は自分が利用されてるなんて思ってなかったのよ」

「でも、あなた方は総司との約束を守る気なんてなかった」

「そんなことはないわ。彼にも南雲の血が流れていたんですもの。たとえ妾の子でも・・・」

 綺羅の発した「妾」という言葉には殊更の侮蔑がこもっていた。

「南雲綺羅・・・」

 女将の視線が綺羅を貫いた。面差しの美しさがその目に宿る炎の激しさを際立たせていた。

「何でもよくご存知のようだけど、あなたがまだ知らないこともあるのよ」

「知らないこと?」

 問い返す綺羅を無視して、女将は鹿島のほうを向いた。

「鹿島様。あなた様のお覚悟、しかと承りました。また、総司のためにお心を砕いてくださったことに対しては言葉もございません」

 改めて頭を下げる女将を前に、鹿島はばつが悪そうに居ずまいをただした。頼みごとをしているのは彼のほうで、女将が頭を下げる謂れはないのだ。

 女将は畳の上に置かれた拳銃を鹿島のほうに差し戻した。

「これはどこか人の知れないところにお捨てなさいまし」

「しかし・・・」

 御厨の遺体をどうするのか。検死が行われれば、頭部を貫く傷が銃創だということはすぐに判明する。誰かが罪を負わぬ限り、言い逃れは出来ない。

「この世に御厨総司という人間は存在しません」

 息子の遺体に視線を移し、女将は厳かに告げた。

「存在・・・しない?」

 やや間を置いて、鹿島は問い返した。

 女将は頷き、着物の腹部に手を置いた。

「この子は確かに、私がこのお腹を痛めて産んだ子です。でも、戸籍上に御厨総司という人間は存在しません」

「出生届けを出さなかったのか」

 女将は頷いた。

「しかし、一体どうやって育てたんだ。世間の目もあるだろうに」

「ここ伊豆の地には別荘が多うございます。総司が幼少のみぎりより、親子二人、人の住まぬ別荘を転々としてひっそりと暮らして参りました。お金の都合は南雲がつけてくれました。別荘地ゆえ、近隣の目が気になることはありませんでしたし、頃合いを見て引っ越せば、私たち親子を気に留める者などおりませんでした」

 この二十一世紀の世に、そんな風に人目を忍んで生きることが出来るのだろうか。

「ご不審の儀もございましょうが、それが真実でございます。私ども親子は、そうして南雲京輔の言うままに生きて参ったのでございます」

「なぜ?」

 鹿島は問うともなく問うた。心に渦巻く疑問をうまく言葉にすることが出来なかった。

「なぜ?」

 女将は不思議そうにその美しい顔を傾げた。

「さあ、なぜでございましょう。敢えて申し上げるならば、南雲京輔に魅入られたとでも申しましょうか。世間様にはなかなかご理解頂けないかも知れませんが、あの男にはそんな魔性が備わっているのでございます」

「・・・」

 魔性とはよく言ったものだ。一人の企業戦士として、間近で南雲京輔の仕事ぶりを見てきた鹿島には、女将の言葉が腑に落ちた。一代で世界有数の企業を築いた稀代の経営者南雲京輔と余人を隔てる差は何かと問われれば、それは何が何でも我が意を通す意志の強さであろう。人の心の機微に通じ、周囲との関係性を重視する鹿島のような人間の目には、時にその生き様は強引に映った。男であれば憧れもし、忌避するであろうその人格は、そのまま南雲京輔という男の魅力となっていた。女が靡くのも、決まってこの手の男だ。

「そんな父親に認められたい一心で総司は生きてきたのです。父に抗い、いつかその背を越えようと足掻き続けた人生でした。ただ掌の上で踊らされているとも知らずに・・・」

 女将の言葉には含みがあった。

 鹿島は黙し、女将の語るに任せた。

「皆様にお見せしたいものがございます。これは南雲京輔と私、二人だけの秘密でございました。しかし、図らずも総司の最期を看取って頂いた皆様にはお知らせすべきでございましょう。あの子の死は闇に葬られねばならないのです」

 一同を煙に巻くような言葉と共に、女将は立ち上がった。

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