第6話

「御厨は南雲の子ですよ」

 南雲京輔の妻、公子は言った。

 市街を外れた山中のカフェ。日曜の昼前だというのに客影はまばらだ。店主の趣味でやっているような店なのだろう、アールヌーボー調の家具で統一された店内は落ち着いている。程好い音量で流れるスローテンポのジャズは会話の邪魔にはならないし、また、テーブルでの話が外に漏れるのを防いでもくれる。密会にはうってつけの場所だ。

 急に呼びたてたことを芹野が詫びる間もなく、公子は切り出したのだった。傍らには付き添いの龍児がいる。さして驚いた様子もないところを見ると、前にも聞かされたことのある話なのだろう。

「あなたのお聞きになりたいのは、そういうお話でしょう?」

 公子は決め付けるように言った。大企業の社長夫人を長く務めてきたせいか、権高な態度が身に染み付いている。かつての美貌を窺わせる整った顔立ちも、眉間に走る縦皺のせいで険しい表情を浮かべているように見える。

 この会見を手配するに当たっては、龍児を介して用件を伝えてあった。御厨について話を聞きたい旨を伝えると、すぐに色よい返事が返ってきた。

「ま、あれだけの成功を収めた人間ですから、愛人の一人や二人いても不思議はありませんよ」

 公子は抑揚のない口調で言った。妻の立場でそれを認めることには抵抗があるはずだが、その表情にはある種達観したところがある。

「でも、子どもは困ります。後々お家騒動の火種になりますからね」

 芹野は気遣わしげに龍児のほうを見た。公子との会見を取り付けるに当たって仲介を頼んだものの、彼が同席することは想定していなかった。今日これからする話は、南雲京輔の孫である彼の前で持ち出すべき話題ではない。

「この子のことはお気になさらないで下さいまし。もう話の分かる年齢ですし、いずれ家督相続の当事者になる身でございますから」

 芹野の逡巡を見て取り、公子は言い添えた。

 芹野は意を決して公子に視線を戻した。

「何か確証はおありでしょうか」

「確証・・・と申しますと?」

「御厨総司が南雲社長の実子であるという・・・」

「ああ、そのことでしたら調べはついております」

 公子はこともなげに言ってのけた。

「お調べになったんですか」

「探偵を雇いましてね」

 ごめんあそばせと断りを入れると、公子は傍らに置いたハンドバッグをまさぐり、煙草の箱を取り出した。慣れた仕種で取り出した煙草を口元へ持っていくと、龍児がすっとライターを差し出し、火をつけた。公子は一服吸い、横を向いてつつましげに紫煙を吐き出すと、つと怪訝な顔で龍児を見つめた。龍児はさっと手の中にライターを隠した。

「どこでこんな真似を覚えたのかしら、この子は・・・」

 ぶつぶつと呟く公子の前に、そっと灰皿が差し出され、足音もなく現れた店主が店内は禁煙である旨を告げた。灰皿を出してきたところを見ると、咎めだてるつもりはないようだが、他の客の手前ルールは守ってくれということだろう。

「窮屈な世の中になりましたわね。何をするにも人の顔色を窺わなくちゃいけないなんて・・・」

 灰皿の中で点けたばかりの煙草を揉み消しながら、公子は誰に言うともなく呟いた。

 まったくです、と返しながら、芹野は目顔で話の先を促した。

 公子は小さく咳払いすると、話し始めた。

「御厨には清水妙子という名の母親がおります。主人の愛人だった女です」

 愛人という言葉を口にするとき、公子の声音から表情が消えた。

「名前が違いますね。御厨という姓はどこから来たのでしょう?」

 芹野は指摘した。

「存じません。でも、名前などいくらでも変えられるでしょう。とにかく、御厨は定期的にこの母親と会っているそうです」

「でも、それだけで親子だと断定するのは・・・」

「二十数年前・・・」

 公子は芹野の言葉を遮った。

「この清水という女は私生児を産んでいます。その子どもにつけた名前が総司。病院の記録に残っております。姓は変えても、御厨は今もこの名前を名乗っているのですわ。証拠などこれで十分でございませんこと?」

「御厨が南雲社長の子だという証拠は?」

「あの顔を見れば一目瞭然。若い頃の南雲と瓜二つです。この子達とも似ておりますでしょう?」

 公子は傍らの龍児を見て言った。

「他人の空似・・・ということは?」

 公子はふっと笑った。

「単なる偶然だと仰るの?」

「いいえ。奥様の仰ることが真実だと思います」

 芹野はあっさりと首肯した。

「となると、社長が御厨を実子として認知しているかどうかが問題になりますね」

「そこまでは調べがついておりません」

「社長は遺言状を書いておられるでしょうか?」

「もちろん書いております。でも、その内容までは存じません。弁護士が管理しておりますから」

 弁護士には職業上の守秘義務がある。その線で調べを進めるのは無理だろう。

「清水妙子さんの居所はご存知ですか?」

「ええ。ここにひかえております」

 公子はハンドバッグの中から革装丁のメモ帳を取り出した。

「龍二さん、ボールペンを出してくださいな」

 公子はハンドバッグを龍児の手に押し付けると、目を細めてメモ帳の革表紙についている錠前のナンバーを合わせ始めた。

「いやですわね。年を取るとこういう細かいものが見えなくなって・・・」

 祖母がメモ帳を開くのを待って、龍児はボールペンをそっと差し出した。やんちゃ坊主の彼が、祖母の前では借りてきた猫のように畏まっている。

 芹野は自分のメモ帳を公子の前に差し出した。

「こちらにお願いします」

「ところで芹野さん。あなたなぜ、こんなことをお調べになっているんですの?」

 書き写したメモを芹野に渡しながら、公子は尋ねた。

 芹野は一呼吸おいて、どう答えるべきか思案したが、結局、率直に話すことにした。

「社内での御厨の行動が目に余るもので・・・。いくら社長のお墨付きをもらっているとは言え、少々度が過ぎます」

 公子は理解を示すように大きく頷いた。

「宅でもそうですのよ。勝手に人のうちに上がりこんで、我が物顔に歩き回りますの。図々しいにもほどがありますよ」

 井戸端会議で愚痴でもこぼすように、公子ははき捨てた。

「いつも社長と一緒ではないのですか?」

「一緒に来たことなんてありませんよ。いつも主人の用事で来たと言っては、一人でずかずかと上がりこむんです。いけすかないったりゃありゃしない。まあ、片親でろくな教育も受けてないんでしょうけど」

「ところが、医学・薬学の知識は一級品です。彼と話したことがありますが、その点は間違いありません。正規の教育を受けていると思われます」

「南雲が援助したに違いありませんわ。でも、私が申し上げているのは学問のことではございません。躾のことですよ。子供時分の躾ができていないと、ああいう大人が出来上がるんですわ。ところで、会社ではどんな問題を起こしていますの?」

「私のいた研究チームのデータを彼が持ち出しています。目的は分かりません」

「会社にとっても大事なデータなのでしょう?」

「本来なら極秘扱いのデータです。言いたくはありませんが、私個人の研究でもあります」

「あなた、その研究チームから外されたそうですわね」

 ストレートな言い回しだが、公子の側に悪気がないことは察せられた。

「役職が上がったわけですから、喜ぶべきところなのでしょうが・・・」

「研究をお続けになりたかったのね。お察しいたしますわ」

 芹野は公子に向かって頭を下げた。たとえ言葉だけでも理解を示してくれる相手がいるのは心強い。

「上層部を批判するつもりはないんです」

「分かっております。でも、御厨の行動と今度の人事には何か関係がありそうですわね。調べを進めてみる価値はありますね。その点では私とあなたの利害は一致しているとお考えくださって結構です。何かお手伝いできることがあれば、いつでも仰ってください」

「ありがとうございます。今日お会いしたことはくれぐれも社長には内密に願います」

「その点はご安心下さいまし。龍児にも重々言い含めておきます」

「それからもう一点。ご主人・・・南雲社長の若い頃の写真をお借りできないでしょうか」

 簡単な頼みかと思われたが、公子はふと考え込むような表情を浮かべた。

「お気が進まなければ、けっこうですが・・・」

「いえね、そういう訳ではございませんのよ。ただ・・・」

「ただ・・・?」

「以前、うちの邸が火事に遭いましてね。幸い家族旅行中のことで、大事には至りませんでしたけれど、家屋は焼失いたしました」

「ほう。どれぐらい前の話でしょうか」

「かれこれ二十年になりますでしょうか。まだこの子が生まれる前の話です」

 公子は傍らの龍児を見て言った。

「ということは、それ以前のご主人の写真は残っていない、と」

「ええ。ちょうど主人の両親が亡くなって、実家の片づけをしたばかりの頃でしたから、写真は残っておりません。まあ、他所を探せばないことはないのでしょうけど・・・」

「火事の原因は何だったのでしょう?」

「警察には放火の可能性が高いと言われました」

「犯人は?」

「見つかっておりません」

 まさか、南雲京輔自身が火事を仕組んだのではあるまいか。御厨総司という不義の子が生まれ、将来に禍根を残さぬために自分の過去を示すものを消した。たとえば写真である。御厨が成長して大人になれば、当然自分の容姿を受け継ぐだろう。将来御厨を会社に引き入れることを考えていたとすれば、いらぬ疑いを招かぬためにも予防線を張っておいたと考えられないことはない。

 おそらく同じことを考えたのであろう。頭に浮かんだ疑念を振り払うように、公子は付け加えた。

「ああいう人生を歩んでいれば、南雲も敵がないとは申せません。あの火事があって以来、うちも使用人を置くようになりました」

「そうですか。そういう事情なら仕方がありません。ご理解いただきたいのですが、私はご主人や会社に対して何ら害意を抱く者ではありません。ただ、御厨のことは・・・」

「それ以上仰らないで。承知しております」

 そう言って席を立つと、公子は芹野に向かって会釈をし、店の出口に向かった。

 一分の隙もない和装の麗人を見送る芹野の口から、ほっと小さなため息が漏れた。

「貫禄あるでしょ、うちのばあちゃん。うちではじいちゃんよりおっかねえんすよ」

 そんな芹野の様子を見守っていた龍児が、そっと耳打ちした。

 緊張の糸を途切らせた自分を恥じるように、芹野は照れ笑いを浮かべた。が、すぐに生真面目な顔を取り戻し、木枠の窓越しに駐車場の方を眺めやった。白塗りのロールスロイスから運転手が降りてきて、公子を出迎えるところだった。

「風格があるというのは、ああいう人のことを言うんだろうな」

「そう言っときますよ」

 芹野はその提案を否定するように首を振った。

「芹野さん、おれにできることがあったら言って下さいね。喜んでお手伝いしますから」

「ありがとう、龍児君。今日は嫌な話を聞かせて悪かったね」

「いいんすよ。初めて聞いたわけじゃないから。じゃ、おれ、行きますね。さよなら」

 龍児は板敷きの床にどたどたと足音を響かせながら店を出て行った。

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