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 大学の講義中、僕はずっと退屈していた。というかうんざりしていたと言うのが正しいだろうか。僕には一人、話の会う友人がいた。その友人は、僕と同じ様な力を持っているわけではなかった。彼はずっとこの世の是非を嘆いていた。「人間は生まれても、死んで無に還る。生きていてどんなことをしても、始点と終点だけみたら損得ゼロだ。それなのに努力をする人間の気も、求める人間の気も知れたもんじゃない」事あるごとに彼はこう言っていた。彼のこの考え方を、人の努力を無に還す僕はとても気に入っていた。普段は人とつるまない僕は大学に入り彼と出会ってからよく一緒に出掛けた。ローカル線に乗り、何もないような辺鄙な街の無人駅で下車して一日二人で散策した日々は今思い返しても楽しいものだった。

 先日、彼が死んだと聞いた。祝福すると同時に、どうせ死ぬなら言ってくれれば楽に死なせてやったのに、と「友人のよしみで」僕は思った。



 することもないので少女の事を考えていると、一応幼少の頃より使っている名前で呼ばれた。隣を向くと、女が 「分からないところがあるんだけど教えてくれない?」と頼んできた。この女に好意を向けられているのは前から知っていた。顔が小さく、整った美人だった。だが、交際したいかと考えると、そんなことは無かった。無論、個人的な考えだが人に重要なのは見た目ではなく話が弾むか、共感できる部分がどれほどあるか、だ。所詮外見など、皮一枚剥がせばたいして変わらない。『仕事』の経験でそれを理解している僕は分かりやすく女に説明をした後、知っている話を繰り返されるほどつまらないことはないな、と昨日と同じ考えで教授を眺めながら、また少女の事を考え始めた。



 僕は重大なことを忘れていた。集合時間どころか待ち合わせ場所も少女に伝えていなかった。時刻は四時を過ぎた辺りで、昨日少女が校門から出てきたのが四時半だった。今日は六時間授業だから少女は三時半には帰路につくだろう。大学から少女の高校へは電車で一時間半程の距離があった。

 今日は会えないかと思いながら門を出ると、白いワンピース姿の女性が目に入った。飛行機で隣の席だった女性だ。「流石の技術だな」と殺し屋が言うと少女は「来ちゃいましたー」と言った。 僕は少女と歩きながらこの娘を殺さないといけないことを思い出した。だけど、今の自分の技術では不意をついても無理だろうと決め込み、依頼の事は忘れることにした。少女が早退してまで自分に会いに来たことに関して僕は嬉しく思っていた。少女はこの日も「甘いー」と言いながら「ホット ブルーマウンテン 砂糖大量」の珈琲を飲み、僕の金でパンケーキを食べた。「ストーカーさん、また明日」と少女は言い、帰っていった。




 家に戻り僕は自分の気持ちが"少女を殺さない"方向に傾いているのに気付いた。そればかりか、居ても立っても少女の事ばかり考えているではないか。日々の『退屈な時間』であったほぼすべての時間が『少女のことを考える時間』になっている僕は焦燥感を覚える。彼女の顔を思い浮かべる。銃弾を避けたときの真剣な顔、僕の拳を寸前でかわしたときの不愛想な顔、キャンディーを舐めながら挑発したように余裕の表情を浮かべた顔を。


 綺麗だ、何よりも。


 やはりそうだ、言うまでもない。僕は彼女に恋をしている。殺さなければいけない女に恋をするとは。なんて背徳的で、ありふれた展開で。



 こうも楽しいのだろうか。

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