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 軽快な音楽は愉快でないときはただただ不快だ、そんな気持ちで席に着くと、店主はそっと再生機の電源を落とした。そんなにわかりやすかったのだろうか。店には僕と坊主頭で屈強な肉体を持つ彼の二人きりだ。客も危険な人間ではないとはいえ彼と二人きりになるのは少し不安があるのだろう。いつでもここは人が大勢いるか、全くいないかの二つに一つだった。最も、人が大勢いるというのはそれだけ技術が洗練されていて、味がいいからだ。そして、味だけに収まらず、珈琲を淹れているところを見ながら、かおりを楽しんでいるだけでも金を払う価値がある。そのレベルでこの店は完成されていた。もっとも、そんなことは"開店当初"は"誰も"意識していなかっただろうが。

「アイスコーヒーを、二つ」

 飲むのは僕一人だが、チェーン店ではないのだからこう頼んだからと言って同じタイミングで出してくるわけでは無い。先に注文することで丁度飲み終わるころに二杯目を出してくれるのだ、それも味を変えて。焙煎時間や蒸らし時間など、珈琲の味を変える要素は多々あるが、それらを用いて客の"望み通り"の味を表現できるのは流石というべきだと思う。通いであるから何も言わない時はこれを出す、というのはお互い分かっている筈なのだが、

「豆は?」

 今日は僕の表情がいつもと違うからか、豆の種類を訊いてくる。僕には好き嫌いはないし、この店主が淹れた珈琲であればどんな豆種であろうと楽しめるだろう。だがそれは僕が都合よく"僕を俯瞰した"建前で、本当は余計なことに思考を割きたくないのだな、と気付く。

「お任せで」

「かしこまりました」

 心地良いかおりと静寂の中で僕は考えていた。単純に、あの少女は何者なのか。何度も確認するのはナルシストのようだが、僕には他人と比べ物になら無いくらいの才能があった。いくつものの事柄を専門の研究者レベルで理解でき、超越した記憶能力を持つ脳。誰も殺し屋とは思えないような瘦せ型かつ成人男性の標準的な身長でありながらも身体から100%の力を引き出すことで道具無しの暗殺も何度も行った。一つの国家を内部から一人で壊滅させる力もある。驕る訳ではないが、これらは事実なのだから、僕が最強の殺し屋と恐れられるのはもっともであった。

 そしてその最強の殺し屋と呼ばれる自分ですら殺せない少女は、どこでその技術を身に付けたのか。依頼主から標的の情報をもらってない僕にとって分かるのは、提示された莫大な成功報酬に見合うだけの何かが少女にはあるということだけだ。あんな大人しい顔をした少女が何故殺されなければならないのか、それは僕には分からない。これから先、できれば知りたくない。

 殺しにあたって、僕は相手の素性を知ることを極端に嫌っている。それは至って分かりやすい理由だ。"殺しにくくなる"。これは同情なんて理由ではない。人間というのは誰彼もちろん個性を持っている。それで人間は判別されるのであるから、当然ではあるが。

 僕は相手のことを理解すればするほど、殺すのが惜しく感じてしまう。"世間的には求められる能力"を大抵兼ね揃えている僕は、そのような能力では人間をはからない。必要とされない能力であっても、じつはそれが特筆すべき面白さを孕んでいたり、何も持っていない人間の人間性、というのは観察するべき価値がある。人間はキャンパスだ。同じ人間を作るのはいまだ誰も成功していないのだから、生まれてから時間をかけて"熟成"したその姿は、大体どんな場合も面白いのだ。僕にとっては。そうなると、途中まで味わったのだから最後まで知りたいでは無いか。変な趣味のせいでこの仕事を天職に感じられないのは残念であったが、それが生きがいなのだからしょうがあるまい。

 アイスコーヒーの二杯目を飲み終わる前に、新しい仕事の依頼が来た。内ポケットから仕事用の携帯を取り出し、メールを開く。今度の標的は、国に影響を与える可能性があるテロ組織だった。同じ様な依頼は過去にもあった。同じ依頼先から。溜息が出た。この国の連中はどれ程敵を作っているのだろう。

「また君を頼って悪いね」

 その一言で、彼は"店主"から立場を変え"客"になる。心底申し訳なさそうに彼は言うが、別に気にしてはいない。この国を憂いただけだ。

「気にするな、報酬の金は十分だ」

「それなら良いんだが」

 髭を引っ張りながらやれやれと言った顔で彼は言う。

「一応見逃してもらっている立場だからな」

 僕はそう言って珈琲二杯分の料金をテーブルに置き、店を後にした。

 先の依頼を達成せず、次の依頼に向かってしまうのは初めてだった。しかし、"連盟"からの依頼と"客"からの依頼は立場が違う。ある程度突き詰めて言えば"連盟"は僕の所属する組織であり、"客"は利益を"連盟"に払うのだ。つまり先程殺さなければならなかった少女は"連盟"の依頼によるもの、一般社会で言えば上司にこれやっとけ、といわれたようなものだ。そして今受けたこれは取引先との話に近い。会社とすれば、優先するのはこちらだろうう。それに、客は"常連かつ上客"だ。

 僕は海外に飛んだ。知ったら駄目なことは重々承知している筈だった、しかし僕は移動中、少女について何かの情報が存在しないかだけを調べていた。どうしても、気になって仕方なかった。もしかしたら彼女についてだけは、知ってしまっても殺せないから問題ない、と勝手に考えてしまっていたのかもしれない。ただ、それは僕の目的に対してはそぐわない考えとなってしまう。僕は連盟のいう通りに殺しを続けなければならない。存在価値が無くなれば、僕は連盟に殺される。そして、僕は既に"半分"殺された状態である。ずっと前から連盟に所属していた僕は、過去に『過ち』を犯したらしい。それがどんなものかは分からない。分かっているのはその時連盟の特殊部隊が事実上壊滅状態になったこと、そして僕が記憶を失ったこと。連盟は僕が反逆を起こした為に記憶を奪ったと話しているが、恐らく、連盟の特殊部隊を僕が半壊滅状態にしたことは二次的に起こったことで、実際は別の理由があり、それに対して立ちはだかった連盟側と戦ったと考えられる。僕の記憶は明らかに連盟に奪われたものである。実際に見たことは無いがそういう技術者が連盟にいるのは有名な話だ。連盟は底が見えない組織だ。僕一人がいかに強かろうと、それに逆らうのは中々に無謀といったところ。

 尽きるところ、僕はその時の僕がどの様な考えだったのかを知りたいのだ。それを知るために、今も連盟の犬として生き永らえていると言ってもいい。自分でも感情の起伏が激しくはない人間であると思うし、理由が無ければ殺しはしない人間だと自己を分析している。であるからこそ、その様な事態を起こしたこと、それが起きるまでの過程が気になってしょうがない、過去の真実を突き止めること、それが生きがいの様なものであった。

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