112.招かれざる誰かへの警戒
屋敷に近づくと、巨大猫の尻尾が見えた。なぜか背中ではなく、顔でもなく……尻尾。首を傾げた私をよそに、ラエルの声が低くなる。
『何か招かれざる者が来てるみたいだ。少し急ごう』
後ろから掴んだ手綱を操り、馬の速度を上げる。メイナード兄様も表情が硬くなった。ラエルは聖樹であり、エインズワースでは神として崇められる存在だわ。そのラエルが『招かれざる』なんて表現したら、騎士であるお兄様は気合が入るわよね。叩きのめす気でいると思うわ。
お母様のいる本宮へ向かう門を潜る。門番が馬を預かるのが普通なのに、そのまま駆けてくださいと言われて、馬の腹を蹴った。駆ける私やお兄様の脇を、シリルが抜いていく。ぶわっと大きく膨らんで、巨大な聖獣姿に戻った。
尻尾が8本……顔を埋めて体ごとだいぶしたいわ。吸ったらいい匂いがしそう。欲に駆られた目で見送り、走らせる前にお兄様が出る。
「グレイスは俺の前に出るな」
「……お約束できませんわ」
もしお母様に何かあれば、私も剣を抜きます。巫女だろうと半月で花嫁だろうと、関係ない。そうよ、家族を守るために剣を抜くのは当然です。覚悟を決めた私に肩を竦め、メイナード兄様は説得の方向を変えた。
「聖樹様、グレイスをお守りください」
『もちろんだよ、僕の大切な巫女でお嫁さんだからね。絶対に傷つけさせたりしない』
やだわ、私を傷つけるような人が来ているの? でも心当たりがないのよね。元婚約者とその母親は二度と会わない場所に行ったと言われたし、顔を合わせても傷つけられる気がしないわ。精々腹が立つくらいかしら。
愛馬は坂を駆け上がり、屋敷の前にいた侍女達の前でぴたりと止まった。ぽんぽんと首を叩いて労う間に、ラエルが降りる。手を広げる彼の腕めがけて、私は飛び降りた。加減はしたわ。
メイナード兄様は先に走り始め、騒がしい侍女達に話を聞くことにした。
「何があったの?」
「お嬢様! 使者が見えられて」
どこの?
「帝国の新たな皇帝陛下の使者です。その方が、使用人を外へ追い出してしまわれて……公主様がお相手を」
ここまで聞けば十分だわ。頷いて彼女らの間を抜ける。ドレスは女の戦闘服だと言うけれど、乗馬服の方が動きやすくていいわ。駆け寄った私専属の執事エイドリアンが、心得た様子で剣をベルト付きで差し出した。
「ありがとう。行ってくるわ」
「お気をつけて、お嬢様。くれぐれも血に汚れませぬように」
「ふふっ、抜かずに済めばいいわね」
巫女だけど血に汚れる考えはないの。だってこの世界で生きていくのに、どうしたって狩りをするわ。獣の血も人の血も同じ。それが聖樹の教えだから。
ベルトを手早く巻いて、剣を装着する。鞘が乗馬服の飾りに触れて、かちんと鳴った。まるで戦の前の鐘みたい。
「ラエルは残る?」
『僕を置いていくなら、勝手に入り込むけど』
「じゃあ、隣にいてね」
右側に立つ彼を見上げて微笑み、エイドリアンが開いた扉の先へ足を踏み入れた。
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