92.順調すぎると人は不安になるものだ

 聖獣の祝福を受けた軍は順調に橋を渡り、川に沿って進む。その先に待つ海は、普段と様相が違った。大きな木の根が編み込まれた形で、馬車も通れそうな広さがあった。


 聖獣である翼ある狼が先頭を切って渡り始める。従う軍馬は少し躊躇ったものの、振り返ったフィリスの鳴き声に促されて、足を踏み出した。一頭が渡ると、次々と続く。念のため用意した兵糧や予備の武器は、この海辺沿いに半分残すと決めた。


 戦と呼ぶのも申し訳ないほどお膳立てされた場で、あまり大所帯なのも格好がつかない。往復4日程度と予測される戦で、携帯食料だけで足りそうだった。わざわざ不味い乾燥食料を口にする気はないので、ある程度は運ぶ。残りは聖樹様が預かってくれる約束だった。


 敵の抵抗が激しい時は、一時退却して体制を立て直す。その本陣として百人前後の兵も残した。テントを張り始める兵と別れ、本隊は海の向こうに歩を進める。馬で渡ることが出来たので、馬車にテントや毛布なども積み込むことが出来た。


 娘グレイスの言葉ではないが、本当に遠足のような順調さだ。苦笑いするアイヴァンの後ろで、兄弟も顔を見合わせる。両側は海で、聖樹ラエルの言葉では浅いと表現されたが……人が落ちたら飲み込まれそうな深さだった。


 軍馬は重く蹄も研いでいるため、走らせずに歩かせる。一時間もしないうちに、陸が見えた。誰もいない砂浜に上陸し、呆気なさに騎士や兵士が顔を見合わせる。正面に大きく立派な街道が作られていた。レンガや石畳の舗装はされていないが、平らな土の道が伸びる。


「聖樹様のお命を狙う者らを排除せよ! 参る!!」


 アイヴァンの掛け声に、騎乗した騎士が続いた。聖獣達も二手に別れた。白狐シリルは本来の大きな姿で、ゆらりと二本の尻尾を振る。すべての能力を開放する必要を感じていないのだろう。土埃を立てて駆けていく一行を見送り、後続隊を指揮するメイナードが合図を出した。


「あまり遅れると、出番がなくなりそうだ。急ごう」


 ぼやきに近い声を、兵を乗せた馬車が勢いよく引き裂く。そのまま走り出した一群は、一直線に走り続けた。この道を開拓しようとしたら、敵の攻撃がなかったとしても半年近く浪費しただろう。森を回り込んで街道沿いに進軍すれば、一ヶ月は余分にかかった。そこを短縮した聖樹ラエルの加護に感謝しながら、翼ある狼フィリスと共に馬車は走る。


 敵の城が見えるまで、休憩を挟みながら三時間ほど……休憩中に敵や獣に襲われることもなかった。


「順調すぎて怖いな」


「……仕方ありません。お膳立てされた聖戦ですからね、父上」


 カーティスが肩を竦めたその時、ひゅんと鋭い音で飛んできた矢が頬を掠める。風圧は感じたが、触れていない。指先で傷の有無を確かめた後、カーティスの唇が弧を描いた。


「さあ、戦端を開いて待つとしますか」

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