81.人の温もりを心地よいと感じた
エインズワースの民は善良だ。旅人が困っていれば手を差し伸べ、傷ついた者がいれば治療する。そんな民が集う市場を泣きながら歩く少女が、周囲の目を引かないはずはなかった。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい」
「家族とはぐれたんじゃないか?」
「心配ね、こんな可愛い子じゃ拐われちゃうよ」
八百屋のおじさんが声をかけ、肉屋や雑貨屋が口を挟む。あっという間に屋台や商店の店主達に囲まれてしまった。
『お節介しないで! 邪魔よ』
苛立ちのままに叫んだミカだが、雑貨屋のおばさんは気にせず豪快に笑った。
「なんだ、泣いてるかと思ったら元気だね。それなら安心だよ。ほら、これでも食べなさい」
普段からポケットに入れている砂糖菓子を握らせる。食べ物を粗末にする考えがないミカは、困惑しながらも受け取った。ぼそぼそと小さな声で礼も告げる。
「迷子じゃないなら、ここで休んでいきなよ」
『でも』
人間は怖い。笑いながら近づいて、いきなり切り付けるかも知れない。俯いたミカをひょいっと抱き上げ、おばさんは店の前に置いた椅子に座らせた。旅人や客が休めるようにと、店を開けている間は常に並べている。どかっと座った隣に少女を引き寄せた。
しっかりしていても、まだ庇護が必要な年齢の子どもだ。女の子で外見が綺麗となれば、変な輩に連れ去られる可能性があった。礼を言えるなら、それなりの教育をした家の娘だろうに。頭を撫でて歌い始めた。周囲の店は男女も客も従業員も関係なく、同じように歌い始める。
恵みを与える大地への感謝、聖樹が茂るエインズワースの領地を讃え、最後に聖獣や聖霊への賛辞で終わった。この地方に伝わる古い歌で、子どもが子守歌として覚える。大人は悲しくても嬉しくても口遊み、誰かが歌うと皆が参加した。
ここの人間は、本当にお兄様を大切にしてるのね。お兄様も、それで人間を選んだのかしら。ぐるぐると考え込むミカに、嫌な感じの男達が近づいた。酒に酔っているのか、目つきや足元が怪しい。
「おう? こりゃうちの嫁じゃねえか」
「本当だ、連れ帰ろう」
意味不明な言葉を口にしながら、明らかに嘘とわかる言い分で手を伸ばす。睨みつけるミカが力を使おうとした時、さっと前に立ちはだかったのは雑貨屋のおばさんだった。
「なんだい、余所者だね? 昼間から酔ってうちの子にちょっかいかけるなんて、いい度胸じゃないかい!」
「そうだそうだ! さっさと出ていけ」
「この子はまだ子どもなんだぞ。何を考えてるんだ、変態どもめ!!」
各店主が棒切れや商売道具を手に近付いてくる。肉屋の肉切り包丁は、ちょうど捌いた牛の血をたっぷり纏っていた。それを眼前に突きつけられ、絡んだ酔っ払いは肝が冷えたらしい。
「よ、よく見たら違う……悪かった」
「何もしねえからっ! ひっ、うわぁああ!」
逃げ出した酔っ払いが見えなくなるまで、おばさんはミカを抱き締めていた。店を切り盛りする女店主は、逞しい腕でミカを守る。不思議と嫌じゃなかった。
「あり、がと……」
「当然だよ、あたしにだって子どもはいるさ。皆独立しちまったけど、行き場がないならここに住んでもいいんだよ」
訳ありだろうと判断したおばさんは、ミカに目線を合わせてしゃがむ。そんな所作も意外で、ミカはくしゃりと顔を歪めた。自分から抱き着いて涙を零す。その背中をぽんぽんと叩きながら、女店主はミカの好きにさせた。
心の中にある蟠りや、あの頃感じた不満をすべて吐き出すように……ミカは声にならない嗚咽を吐き出す。触れる温もりを、初めて……心地よいと感じていた。
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