57.安心して? 殺してあげないから

 うわっ、えげつない。フィリスを追いかけたシリルは顔を顰めた。呪いを受けた白猫ノエルの首根っこを銜えたフィリスは、先に帰ると言い置いて走っていく。この時点で呪いはかなり薄まっていた。


 誰かが消したのか。聖樹様にしては早い。そんなことを考えながら、流れ込んだ聖樹ラファエルの思考にシリルは同調していく。この大陸の外から入って来た者を、侵略者として排除する。それが彼の決めた命令だった。


 聖獣は聖樹を守るために存在する。同時に、動けない聖樹の手足でもあった。大陸中に根を張り終えれば聖獣の役割は半減するが、現時点ではまだ手足として必要だ。シリルはノエルが戦った痕跡を辿って、森の奥へ入っていく。その先で、聖霊が吹き飛ばした侵入者を発見した。


 海へ投げ落とされたのだろう。殺さずに退けたノエルは呪いを受けていた。どの類の呪いであれ、聖樹の眷属に手を出して無傷で帰すほど甘くない。咎を負わない抜け道はいくつかあるのだから。


「僕はね、グレイスの脅威になるものは許せないんだ」


 それが者でも物でも関係なく、彼女を傷付ける可能性があるモノを排除する。森であり大地である聖樹ラファエルの意思が、聖獣シリルに重なった。


「殺したりしないよ、眠りにつけばいい」


 二度と目覚めない眠りだ。その間に体が老いて死ぬのは、自然の摂理だよね。詭弁を弄するラファエルに、シリルは同意した。海から這いあがろうとした男達は武装している。ならば敵対者として処理しても問題ないはず。


「ひっ、化け物だ!」


「この大陸は化け物ばかりだ」


 怯える兵士を無視し、その奥で何やら呪文らしき物を唱える呪術師を睨みつけた。赤紫の瞳は強く輝き、額の紋章がくっきりと浮かぶ。ぶわっと毛が逆立ち、投げつけられた呪詛を弾いた。


「ふーん。これがノエルを傷つけたのか。あの子は経験が浅いから、うっかり触ったんだろう。僕は油断したりしないよ。たとえ足下を這う虫であろうと、敵は全力で潰す主義なんだ」


 半分はラファエルの意思、同調したシリルは万能感に酔いながら、一歩を踏み出した。踏みしめた足元から草花がぶわっと芽吹く。聖樹の生命力が溢れ出していた。


「くっ、これならどうだ」


 何やら別の呪いを放ったらしいが、シリルは巨大な尻尾をふぁさりと振った。頭上で何かが弾ける。防御する結界に見えるが、溢れた生命力が呪術の魔力を相殺しただけ。まだシリルもラファエルも攻撃態勢にさえ入っていなかった。


「『大地よ、飲み込め』」


 前兆もなく、足元が左右に割れた。叫び声を上げて飲み込まれた兵や呪術者を見下ろし、シリルはにやりと笑う。その顔は普段グレイスに甘える姿から想像できないほど、残酷な色を浮かべていた。


「安心して? から」


 大地は海水や周囲の木々を内包して、開いた口を閉じた。多くの侵略者を内側に閉じ込め、だが簡単に殺したりしない。罪はそれに相応しい罰をもって償うべきだし、殺したら毛皮が汚れてしまうだろう?


『もういいよ、シリル。ご苦労様、帰っておいで』


 己の口から出た聖樹の言葉に、白狐は8本の尻尾を揺らした。たった今、聖樹を宿したことで受けた恩恵を誇るように。

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