55.呪術師? なんだ、この程度か

 頭から勢いよく落下し、地面の手前でくるんと回る。腐っても猫……そこは運動神経と本能がいい仕事をした。すたっと手足を曲げて着地し、衝撃を和らげる。その後ろから追ってきた矢を、今度こそ爪で叩き折った。折れると流石にそれ以上追いかけては来ない。


「ふんっ、僕を舐めるんじゃないよ! って、足いたぁ」


 叫んだはいいが、足の先が痛い。左の後ろ足を引き摺り、丸くなった。聖獣ノエルは、元々親とはぐれた野良猫である。ある日突然一人になってしまい、兄弟や母猫と離れた。幼い子猫が単独で生きられるはずもなく、死にかけたところを聖獣フィリスに拾われたのだ。


 聖樹の根元で暮らすうち、生命力も蓄えて聖獣になったがまだ若い。敵らしい敵との戦いも経験しておらず、未熟だった。その経験不足の面が、今回悪い方向へ出たのだ。


 敵を侮って、本能的な恐怖を覚えた矢に触れた。これがシリルなら、風や炎を操って触れずに燃やしただろう。フィリスも凍らせて叩き落としたはず。しょんぼりしながら、痛む足を覗き込んだ。落下中に衝撃を和らげるため、小型化した。お陰で着地の衝撃はかなり軽くなったのだが、やはり痛い。


「……帰れるかな」


 呪いの種類が分からない。生命力のバランスを崩したり吸い取る術だった場合、飛んでる途中で落ちる可能性があった。それでも帰らない選択肢はない。のそりと立ち上がったところで、近づく気配に毛を逆立てた。


 悍ましい気配だ。全身が拒絶しており、嫌悪感で身が震えた。のそりと立ち上がり、威嚇に牙を剥きながら唸る。


「……おやおや、聖獣といえど獣ですね」


 嘲笑う声に聞き覚えがあった。年老いた呪術師だ、まだ生きていたのか。前回、フィリスに蹴飛ばされて海の向こうへ……あ、そうか。だから海のある南から来たんだ。


 どうでもいい疑問が解消され、フィリスに一緒に来て貰えば良かったと肩を落とす。触れた足下の草が、さらりと揺れた。伸びた蔦を踏みつけて、元の大きさに戻る。生命力を蓄えて膨らんだ体は、牛や馬の二倍ほどの高さがあった。森では動きにくいが、この方が生命力を操りやすい。


 体内から力を外へ出そうとすると妙な反発があるのに、体内を巡らせることは阻害されなかった。これが呪いらしい。


「魔力は封じました。もう奇妙な魔法や術は使えないでしょう。大人しく捕まって使役されなさい」


 じりじりと距離を詰めてくる呪術師の後ろには、槍や弓を構えた屈強な兵士がずらり。普通なら怯えるところだが、ノエルは逆に肩の力が抜けてしまった。


 なんだ、この程度か。


 以前にフィリスが戦って、殺さずに投げ飛ばしたと言うから。凄い敵なのだと思い込んだ。だが、魔力? と生命力の区別も付かない程度の実力だった。人間が使う魔力と、僕達が蓄える生命力はまったく別の力で、特性や引き起こせる事象の規模が違う。


 人間が起こす魔法はせいぜい人を包めるほどの炎だ。僕らが炎を操れば、ひとつの都市が数時間で焼土と化す。その違いに気づかぬ小者へ、ノエルはにやりと笑った。


「僕はね、面倒だから力を温存してきた。お陰で、聖獣の誰より強い力を持ってる……こんなふうに、ね」


 シャー! 威嚇するように唸った瞬間、目の前にいる呪術師や兵士を海へ投げていた。聖霊が聖獣に力を貸すのに、理由も対価も必要ない。願えばいいのだ。だから生命力を封じられたとしても、聖霊に力を借りることは造作もなかった。


「ばーぁか」


 巨体で空を見上げ、木々の間を抜けるために小型化する。それから聖霊に頼んで、運んでもらうことにした。何も自力で飛ぶことないよね。ただ彼らは気ままだから、時々何かに気を取られて僕を落とすけど。今日は僕だけに集中して欲しいな。まだ痛む足を舐めてから、ノエルは空に駆け上がった。

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