54.たまには本気出しちゃう?
「まいったなぁ……僕、こういう面倒くさいの嫌いなんだよね」
ぼやく白猫は空中で一回転した。飛んできた矢には、攻撃の意思が宿っている。聖獣や聖樹に対する信仰が根付いたエインズワースの住人ではない。聖獣へ攻撃を仕掛けることはないし、そもそも無駄な労力と知っていた。
人間が放った矢が当たるわけはない。そこに風の魔法を加えようと、聖霊が無効化してしまうのだから。知らずに攻撃するのは、海の向こうの国かな。当たらないと分かっていても、つい避けてしまう。空中でステップを踏むように左右へ躱すノエルは、うーんと唸った。
「僕が攻撃しなくても、知らせたら人間が戦ってくれるかも。でも領民や兵にケガ人が出たら、グレイスが嘆くよね。僕やパールが治すとしても……やっぱり泣かれたらヤダな」
人間同士勝手に争えばいいけど、エインズワースの領民は別だ。彼らは聖獣を大切にする。どこにいても自分達のできる最上のもてなしを心掛ける人の好さは、居心地がよい環境だった。執着が薄いノエルにとって、珍しく失いたくないと思える物だ。
「たまには本気出しちゃう?」
悪い顔で笑い、ぴんと前を向いた髭を前足で撫でる。心が決まれば、やることはひとつ。邪魔な侵入者を海岸線まで吹き飛ばす。風の聖霊を呼び寄せ、あの邪魔な人間を捨てるよう指示した。
遊び半分で人間を巻き上げては海へ投げ入れる聖霊に悪気はない。単に聖獣の指示を理由に遊んでいるだけだ。殺す気はないので、スタート地点まで戻せばいいだろう。真っ白な毛並みの聖獣達を、グレイスは大切にしている。無駄な殺害で色を濁らせる気はなかった。
そこまで人間という種族に執着していない。ただグレイスは愛しい。守りたいと思う。だから彼女を傷つけられたら、止める声を無視して処理するだろう。この純白の毛が黒く染まろうと、後悔しないと言い切れた。
「まあ、今じゃないけどね」
聖霊になる可能性があるグレイスが、そんなことを願う日は来ない。聖樹に同化できる聖霊は、過去に数例しかなかった。すべて人ではない。長く生きた聖獣や、大地の聖霊などだ。僅か十数年しか生きていないグレイスの穢れのなさは、聖獣の主と考えても珍しかった。
強い力を持つと人間は濁ってしまう。
「早く帰らないと、心配されちゃう」
くるりと背を向けた時、嫌な気配を感じた。ぞくりと背筋が震え、毛が逆立つ。振り返ったノエルに向けて飛んできた矢は、黒い点に見えた。あれは危険だ! 本能的に恐怖が過る。慌てて避けるが、矢は追跡するように向きを変えた。
「うそっ、何あれ、うわぁ、ちょ!」
曲芸のように飛んだり跳ねたりしながら避けるノエルは、迎撃するために距離を置いた。まっすぐに向かって来る黒い矢へ猫パンチを繰り出す。
「くらえ! ノエル様必殺、猫爪キック!!」
パンチを掻い潜った矢を後ろ足で蹴飛ばす。必殺技を叫んでいる最中にパンチを避けられてしまったので、苦肉の策だった。触れた後ろ足がびりっと痺れる。
「うぎゃっ!
うっかり触れた己の迂闊さを悔やみながら、ノエルは地上へ落下した。
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